弘道 会 高山 組。 【高山組】弘道会/山口組

『山口組』抗争激化…篠田組長出身の弘道会がある“名古屋が舞台”の恐れ「ヒットマン何回も名古屋に」の見方も

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弘道会では、若頭をそれまでの中野寿城(山本組)組長から野内正博(野内組)組長に差し替えた。 こうした人事の意味を探ることは難しいが、西日本の中立系団体幹部によれば ——、 「中野さんはかつて岐阜刑務所で中田広志・山健組組長と一緒だった時期があり、そこで兄弟分になった。 二人は今でも立場を越えてツーカーの仲らしい。 中田組長は今年8月下旬から10月まで消息不明の時期が続いたが、これは神戸山口組の井上邦雄組長が何か理由は分からないけど、中田組長を手ひどく殴った。 それを怨みに思った中田組長は神戸山口組から離脱しようと考え始めた。 その相談に乗ったのが弘道会の中野若頭(当時)だったといいます。 つまり六代目山口組には、このパイプを使って山健組の中田組長を引っ張り、山健組を総取りするのは無理としても、分断ぐらいしようとする作戦が出来上がりつつあった。 だが、出所してきた高山若頭はこの策を取らず、あくまで神戸山口組壊滅路線に固執した。 それが今回の野内若頭への切り替えです。 中野さんは若頭の首を切られ、舎弟に追いやられて無力になったから、この作戦は頓挫。 中田組長はすごすご古巣の神戸山口組に戻らざるを得なかった。 もちろん井上組長はこの間の事情をある程度承知し、中田組長との間にすきま風が吹いている」.

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山口組7代目組長は誰になると思いますか?

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略歴 (昭和41年)5月5日、名古屋港でを仕切っていた三代目(組長は)・組長(中森光義とも名乗った)がから引退。 この時、鈴木組も解散するが、若頭のが鈴木組の縄張りなどを引き継ぎ弘田組を結成、同時に弘田も山口組直参に取り立てられる。 弘田は若頭にを据え、司は 司興業を旗揚げ。 更にが弘田より親子盃を受け、 佐々木組を結成した。 (昭和50年)にが佐々木組若頭に就任、翌76年に佐々木組はと改名し高山は理事長に就任。 程無くして高山は高山組を新設した。 で弘田は擁立にまわり、と対立。 しかし司ら幹部の説得により山本らが結成したには参加せず、(昭和59年)に弘田は引退。 弘田組は若頭の司が引き継ぎ、弘道会へ名称変更・改組した。 (平成3年)にはにより・を解体させ、その多くを傘下に取り込んだ。 その後、司が六代目組長を継承すると、(平成17年)3月に弘道会若頭・(二代目総裁)が二代目を継承、若頭にも就任した。 自らの組織の実態を秘匿することに努める一方で、のや対話に対して完全にを通したり、では出入口を封鎖して捜査員の入室を妨害するなど警察に対して対決姿勢を示す組織である。 さらに、内部の「十仁会」という組織が中心となって暴力団捜査担当の警察官の氏名や年齢、住所、所有車のナンバーから家族や親戚知人に至る様々な個人情報を収集し、暗黙に警察官に圧力を示すなどしている。 そのため、は暴力団捜査において暴力団の化を牽引する山口組の中核組織であるとして弘道会への徹底取締りを最重要課題としており捜査第4課内に弘道会特別対策室が設置されている。 一方で愛知県警察の暴力団担当刑事との癒着が指摘されており県警内部からは逮捕者が出ている。 には、が六代目司忍組長の出身母体である弘道会を中心とした組織運営に不満を募らせて離脱に動き、同月を結成。 山口組執行部側は、山健組など離脱派の組長10数人への制裁処分を行った。 こうした動きに対しのは8月28日、委員は県民の不安が大きいことから総力を挙げて対応することをに要請した。 歴代会長• 弘田組:弘田武志(三代目山口組若中 旧鈴木組若頭)• 弘道会初代 - 司 忍(初代組長)• 弘道会二代目 - 髙山清司(初代組長)• 弘道会三代目 - (二代目組長) 三代目弘道会組織図 役職 氏名 率いる三次団体 本拠地 会長 若頭 中野寿城 四代目組長 名古屋市中村区 舎弟頭 中村英昭和 舎弟頭補佐 鈴木 覚 北海道札幌市 舎弟頭補佐 福島康正 会長 北海道札幌市 本部長 間宮誠次 五代目総長 名古屋市中村区 若頭補佐・組織総括委員長 小松数男(椎名数男) 組長 東京都新宿区 若頭補佐・渉外総括委員長 野内正博 組長 岐阜県岐阜市 若頭補佐・綱紀総括委員長 古川陽忠 会長 長野県長野市 若頭補佐・運営総括委員長 松山 猛 弘道会 十代目総長 名古屋市中村区 若頭補佐・懲罰統括委員長 大栗 彰 栃木県宇都宮市 若頭補佐 野口新吾 二代目 名古屋市中区 事務局長 室橋宏司 名古屋市中川区 顧問 武藤宏史 会長 福岡市博多区 顧問 浜田健嗣 総長 名古屋市東区 相談役 中島 譲 舎弟・関東統括責任者 藤島洋志 組長 東京都台東区 舎弟 磯部伸冶 十代目総長 愛知県知多郡武豊町 舎弟 木村晃司 二代目組長 三重県伊勢市 舎弟 関谷優二 名古屋市千種区 舎弟・東北統括責任者 金田基一 秋田県秋田市 舎弟 桑原達彦 舎弟 浅丘健次 名古屋市熱田区 舎弟 山原清市 名古屋市西区 舎弟 石神正悟 六代目總長 三重県四日市市 脚注• 週刊金曜日2010年12月17日号• 参考文献• 、鴨林源史『実録王道ヤクザ伝 山口組六代目司忍』、2007年、• 、二ツ木哲郎『実録王道ヤクザ伝 真説 山口組六代目司忍 飛翔編』竹書房、2008年、• 東史郎、鴨林源史『正道ヤクザ伝 六代目山口組若頭 髙山清司』』、2008年、• 『二代目弘道会総覧』竹書房、2010年、.

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六代目山口組高山清司若頭が出所し神奈川、四国に向かうなど多忙な日々を送られているようだ。 また、暴排条例で山口組総本部、関係事務所など使用制限があることから先日11月5日に名古屋市内の組関連施設で六代目山口組の執行部が集まって何らかの話し合いが行われた。 そこには司忍組長も同席されていたとの事だったらしい。 自分も以前記事にしたがこの様な集まりなどはこれから名古屋で行われると思う。 高山若頭は早速、人事の改革を速めた。 神戸山口組から移籍した 三代目杉本組の山田組長(岡山県津山市)と二代目兼一会の植野会長(大阪府大阪市)だった。 これは神戸山口組若しくは任侠山口組からすれば驚いたと思う。 一度は割れて出て行った組織が戻っても冷や飯を食わされると誰もが意識していただろう。 こうなると、六代目人事は続くし、神戸若しくは任侠からも続いて願い出る者もいるのではないかと思われる。 高山若頭は神戸に対し「ほかの奴は許してもあのハゲだけは許さない」と言っているとの事。 高山若頭不在時にこうしたクーデターを起こされた事に余程、憤慨していると思われ今後の高山若頭の動向が気になる。 今後の展開予想 暴排条例により拳銃などを使った抗争は組の存続にも影響するから無駄な弾は使わないとみられるが神戸側から山健組事務所前発砲事件での報復攻撃も懸念される。 六代目山口組高山若頭、執行部はこの神戸山口組にいた三代目杉本組、二代目兼一会 六代目山口組直参への復帰を皮切りに、神戸山口組に一層の揺さぶりをかけて切り崩していくかと思われる。 yahoo. view-000 しかし、どうなろうがヤクザのシノギの苦しさは変わらない 任侠か神戸かは言えないが役職を持っている幹部と電話で話したが。 現実、シノギがやり辛く身動き出来ないのが現状だ。 もし、抗争が終結してもヤクザに対する締め付けはなんら変わらない。 中には一時的に儲けている組員もいるだろうが、会費、生活費に困窮するヤクザが多いのは現実だ。 数年前に花隈近辺(山健組事務所周辺)の暴力団事務所がこぞって売りに出しているとの話も耳にしたことがある。 ある幹部は、山口組の分裂前に神戸のクラブラウンジにその分裂後、組長となる人に呼び出され、店のVIPルームで軟禁状態にされて、同意するまで帰してくれなかったという。 」と、言わされたそうだ。 移籍後、本人は半ノイローゼ状態で自分では対人恐怖症だと言っていた。 その幹部は関西ではないのでつくづく「楽になりたい」「六代目には帰られないから地方で一本組織としてやっていきたい」と、語っていた。 出典 サンテレビ 筆者後記 自分もみちのく抗争、山竹抗争を経験したがその時は山口組が一つであった。 事件を起こしても戻れる組があるという当時安心感はあった。 しかし、この度は3つ巴に別れているので、これからもし事件を起こそうと思っている組員は果たして組が存続しているのだろうかという不安になる気持ちは分からないでもない。 山口組の2次団体、3次団体以降になると余計に組の存続が気になるであろう。 誰が本物の山口組なのか答えは一つやと思います。 それを早く各組員に伝えてあげる事がバラバラにならない事にもつながると思う。 抗争の早期終結、一般人に被害が起きない事を祈ります。 最後まで読んで下さり有難う御座いました。

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