フラー 新潟。 職人の技術が詰まったFURRER

職人の技術が詰まったFURRER

フラー 新潟

この度、私渋谷修太は、故郷である新潟県にUターン移住をすることにしました。 (引越しは来月です。 2ヶ月以上家に引きこもっていましたが、引越し後もしばらくは外出自粛生活をします。 ) 20歳で故郷を離れてからちょうど10年ほど、思えば色んな場所に住みました。 長岡高専を卒業してから筑波大学に編入するため、つくばに住みました。 それから就職のため六本木に住み、フラーを創業するためつくばに住み、オフィスの移転と共に守谷に住み、そして直近5年ほどは柏の葉に住んでいました。 途中何ヶ月かアメリカに住んでいたり、出張や旅行でたくさんの国や地域に訪れたり、20歳までほとんど新潟から出たことがなかった人間が、気づけば本当に色んな場所で経験を積むことができたものです。 そんな自分が、なぜ今回故郷に戻る決断をしたのか、このnoteに記しておこうと思います。 この記事を読んで、少しでも多くの人が故郷について考えるきっかけになれば嬉しいですし、故郷に帰ろうか悩んでいる人の背中をポンっと押してあげることができたら幸いです。 なぜ故郷に戻ろうと思ったのか? 実際は全ての理由を挙げようとしたらキリがないし、この決断に至るまでに何年もかかっているのでそんなにシンプルな話ではないのですが、できるだけ端的にまとめてみます。 どこに住んでも仕事に支障が出ない時代になってきた 実のところ、今年の年明け頃から引っ越しについてはぼんやりと考えはじめていて、東京に住もうと思っていたのです。 笑 最近は柏の葉でのオフィスワークよりも、社外の人と交流する頻度が上がってきていて、であれば都内の方が効率が良いなと単純に思っていました。 ところが、みなさんご推察の通り、コロナの影響でアポは激減、仕事もフルリモートになりました。 最初の頃は不便さを感じていたのですが、一度リモート会議中心の生活になってしまうと、あら不思議、以前より効率が上がっていることに気づきました。 今までアポのために移動していた時間はなくなり、移動のための準備もなくなり、疲労も蓄積しないので仕事が捗る捗る、、慣れてきたら、むしろ今までなんであんな生活をしていたのだろうと思ってきたわけです。 正直言うと、もう以前の生活には戻れません。 一度洗濯機を使ってしまったら、手洗いにはもう戻れないのと一緒です。 そしてなぜこのような生活が可能になっているのかといえば、コロナの影響で 「ウェブ会議が急速に普及したから」です。 もちろん対面で会った方が良いケースも当然ありますが、今後は今までのように「とりあえず会う」ということはなくなり、「これは対面にした方が良いな」と選択をするようになるはずです。 そんなこんなで、わざわざ東京に住む必要もないなと思いはじめたのです。 よく考えたら新潟って新幹線ですぐ東京に行けるので、そんなに困らない。 むしろ、新幹線は快適なので作業も捗るし。 コロナが落ち着いて東京に行く機会が増えてきたとしても、予定をまとめて一気にこなせば良いし、宿泊もサウナに泊まればいい!笑 ここ2ヶ月ほどはずっと家で引きこもり生活をしていたので、どうせ引きこもるなら大好きな故郷、自然あふれる新潟にしたいなということで、覚悟を決めました。 そういえば、このnoteを書き始めていたら、ちょうどタイムリーにこんな記事が出ていました。 自分と同じように、今回のことで「東京に住む必要ないな」と考え出している若者もきっとたくさんいるんだろうな。 東京一極集中により地方の若者離れが進んでいたけれど、これからは逆に 「地方回帰」がブームになるのかもしれませんね。 新潟はこの機を逃さず、どんどん若者にPRしていってほしい! 自分の存在価値がより一層実感できる場所 それにしても、「なぜ新潟に?」ということなんですが、、これは自分の中でも少し驚いています。 正直に言うと、20歳のころ新潟を離れるとき、 「もう戻ってくることはないかもしれないな」と思っていました。 それがここ数年ほど、どんどんと故郷への想いが強くなってきたのです。 一番大きいいのは、 「仕事で故郷と関わるようになったこと」です。 3年ほど前にフラーの新潟支社を駅前に開設し、それからちょくちょく出張で訪れるようになったのですが、自分でもびっくりするくらい故郷に貢献することができました。 当初2名でスタートしたオフィスも今では10倍ほどの規模になり、公式アプリを手がけさせていただいている長岡花火やスノーピークさんをはじめ、様々な県内企業・自治体の皆様とお仕事をさせていただくようになりました。 母校の長岡高専とも包括連携協定を結び、少しずつ恩返しをさせていただいています。 個人的にも、新潟県内の多くの経営者や行政関係者の皆様とお付き合いさせていただくようになりました。 経済同友会やNIPなどの各種プロジェクトに参加したり、有志でシリコンバレーに行ったり、本当にたくさんの飲み会にお誘いいただいたり笑、子供の頃は考えられなかったくらい、ここ数年は新潟に行くたびに楽しい日々を過ごさせていただきました。 そして一年ほど前から、何人もの方に「新潟に戻っておいでよ」と温かい声をかけていただいておりました。 戻りたい気持ちも山々だけど、仕事が・・と思っていたところに、コロナによる大きな働き方のチェンジがやってきたのです。 僕自身、新潟にいるとその他の場所にいるときよりも若干元気な気がするなと感じていたのですが、それはきっと 「必要してもらえている」と感じられることが多いからです。 新潟は元々起業率が全国的に見て最も低い、つまり起業家が少ない県です。 そんな中で起業家として発揮できる価値がたくさんあることに気付きました。 後ほどまた述べますが、都内に比べるとIT企業も圧倒的に少ないので、IT企業経営者としてもお役に立てることがたくさんあります。 そして若者(もう30過ぎてしまいましたが、、)の一人としてもきっと貢献できることがたくさんあるはずです。 どうせ暮らすなら、自分の存在価値を一番実感できる場所が良いなということで、この決断に至ったのは自分の中ではとても納得感があります。 地方こそDXのニーズも効果も大きい さて、3つ目の大きな理由です。 今回コロナウイルスの影響で、DX(デジタル・トランスフォーメーション)の必要性がとても高まっているのを感じます。 飲食店、旅行業、学校、小売店などなど、困っている人が自分の知り合いでも本当にたくさんいます。 フラーでは最近、コロナの影響で急速にニーズが増している医療相談アプリ「LEBER(リーバー)」の開発支援や、日本企業のDX支援を加速するための業務提携など、積極的にDX関連事業を推進しています。 日本は米国などに比べると圧倒的にデジタル化が遅れていることは周知の事実だと思いますが、その中でも地方は特に遅れていると思います。 今こそ、デジタル化を推し進めるべきタイミングなのは、間違いありません。 今までDXを遅くしていた要因は何かというと、 「リアルとのトレードオフ」の問題です。 どこの業界でも、必ずこの壁にぶち当たっていました。 デジタル化を進めると、リアル店舗が衰えるのではないか?仕事が減ってしまうのではないか?みんな使いこなせないのではないか?、そういった懸念がいつも出てきていました。 ところが今回、コロナの影響で 「デジタル化が急務である」という共通認識が生まれたのではないでしょうか。 僕の考えでは、デジタル化を進めるということは 「適切なポートフォリオを組む」というリスク分散のメリットが大きいと思っています。 例えばEC化をしっかりとやっておけば、もし店舗を開けられなくても購入してもらうことができますし、飲食店のテイクアウト・デリバリー対応なんかもそうです。 キャッシュレスだって、直接現金に触れなくて良いというメリットがあります。 遠隔授業に慣れておけば、災害発生時にも教育を届けることができます。 そして更に重要なポイントとして、 「オンラインは地域格差をなくすことができる」と考えています。 ウェブ会議が本当に普及すればどこに住んでいても働きやすくなるし、インターネットで最先端の知識や教育が届くようになれば、地方の子供達にもどんどんチャンスが生まれる。 僕はDXによって、 「自分が好きな場所で、最先端の知識を得て、楽しい仕事ができる。 」 そんな世界を実現したいと心から思っています。 地方には、魅力がたくさんあります。 これは後ほど述べますが、埋もれている宝が本当にたくさんあることに、大人になってはじめて気づきました。 ITの力を使えば、イノベーションの余地が無数にあります。 イノベーションの種は「不便さ」だとすると、地方こそイノベーションを起こしやすいはずなのです。 「起業家にとって魅力的な場所はむしろ地方にあるんだ」ということを、これから身をもって体現して行こうと思います。 居住地選択の自由を取り戻そう 僕は自由をこよなく愛しています。 日本国憲法の条文で個人的に最も好きなのは、第二十二条に定められている 「職業選択の自由・居住地選択の自由」です。 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。 これは非常に重要な自由の権利なのですが、現代社会は居住地選択の自由を失いつつあると思っています。 それはなぜかというと、 「住む場所は仕事によってある程度縛られてしまう」からにほかなりません。 「例えばある仕事が大好きで一生続けていたいとする。 でも、その仕事は東京でしかできない。 故郷に帰りたいが、そうすると仕事を諦めなければならない。 」 こういった状況は、実際に非常に多く起こっていますし、Uターンできない理由の一位は統計的にも「仕事」です。 つまり、居住地選択の自由は、職業によって制限されているのです。 本当の意味で居住地選択の自由を人々が手に入れるためには、 「どこに居ても自分のやりたい仕事ができる」という状態にならなければなりません。 元々僕が新潟に拠点を開設しようと思ったのも、ある社員から「新潟に帰りたい、でもそうするとフラーで働けなくなってしまう。 」と言われたのがきっかけです。 実際に拠点を構えはじめたら、同じように本当はUターンしたかったけど仕事の理由でできなかったという人がたくさんいて、気づくと今の人数になっていました。 現在も、絶えず多くの応募をいただいています。 今年は毎年恒例の年末年始のテレビCMに加え、上越新幹線に交通広告を掲載するなど、新潟で積極的に採用を行なっています。 さて、話を戻すと、上述したように、理論上は選択の自由があるのだが、実際問題そうなっていないという状況は往々にしてあるものです。 僕は今、コロナの影響で人々は 「真の居住地選択の自由」に近づいたのではないかと考えています。 僕と同じように、 「ぶっちゃけどこに住んでいても仕事ってできるな」と実感した人はきっと多いでしょうし、社会は急速にリモートワークを取り入れています。 これは、またとないチャンスなのではないでしょうか。 このタイミングで人々は今一度、 「自分が本当に住みたかった場所」について考えるべきではないでしょうか。 真の居住地選択の自由は、社会のデジタル化だけでは成し遂げられません。 人々の価値観が変わって、はじめて実現されるのです。 「居住地選択の自由を、取り戻しませんか?」 みんなへの感謝の気持ち 新潟に住むという話は、一部の関係者を除き実はこのnoteではじめてオープンにしているので、びっくりしている人も多いでしょう。 笑 特にフラーのメンバーで驚いている人、突然の報告でごめんね。 とはいえ、コロナが落ち着いたら月に何度かは柏の葉にも行くだろうし、都内に行く頻度もまた増えていくとは思うので、そんなに大きく変わることはないと思います。 ただ、ベースが新潟になるので気軽に飯とかはいけなくなるかもだけど、ぜひ落ち着いたら新潟に遊びにきてください!そして新潟にお金を落としていってください!笑 さて、今回の決断に至るきっかけとなってくれた人たちに、この場を借りて感謝の気持ちを伝えたいと思います。 まず、新潟に拠点を創るきっかけになった創太、本当にありがとう。 そして、二つ返事で拠点立ち上げに協力してくれたまさや、本当にありがとう。 転職を決意して初期メンバーで入ってくれたあつし、本当にありがとう。 3人がいなかったら、間違いなく今この決断には至っていないと思う。 そして、新潟支社をここまで成長させてくれたマーシー、本当にありがとう。 マーシーが頻繁に新潟に通ってくれたおかげで、今があります。 新潟支社を盛り上げてくれているメンバーのみんなにも、お礼を言いたいと思います。 ありがとう。 新潟に拠点を創って良かったなと一番思った瞬間は、おそらく去年の忘年会かな。 隣の席に座っていたとあるメンバーから、こんなことを言ってもらえました。 「新潟にこんな素敵な会社を創ってくれて、本当にありがとうございます。 」 これは本当に嬉しかった。 あまりに熱く想いを伝えてくれたので、泣きそうになりました。 泣いてたかも。 上の方で書いた「戻っておいでよ」もそうですが、人々から貰うこういった言葉の一つ一つが、僕の人生を大きく変えているのです。 本当に、出逢いに感謝しかありません。 背中を押していただいた山井さん、木山さん、太郎さん、祥護さん、健太さん、武田さん、いつも仲良くしていただいている新潟の経営者の皆様、本当にありがとうございます。 きっかけを創っていただいた永瀬さん、星野さん、佐藤さんをはじめ金融機関の皆様、本当にありがとうございます。 そして、花角知事、佐々木さんをはじめ行政関係者の皆様、磯田市長、長谷川さんをはじめ長岡の皆様、林市長、清水さんをはじめ南魚沼の皆様、竹茂先生、外山先生、伊藤先生をはじめ教育機関の皆様、本当にありがとうございます。 ここに挙げたらキリがないのですが、本当に多くの方々に感謝しています。 皆様との出逢いに恵まれなかったら、こうして大好きな故郷に帰ることはなかったかもしれません。 本当に本当に、ありがとうございます! そして最後に、今こうして晴れ晴れとした気持ちでいられるのは、いつも支えてくれるフラーのメンバーみんなや、応援していただける多くの方々のおかげです。 本当に、ありがとうございます。 新潟にお越しの際は、精一杯おもてなしします!笑 なぜ自分はこんなにも故郷が好きなのか さてさて、理由を述べていたら熱くなって長い文章になってしまいましたね。 ここまで読んでいただいたら分かるかと思いますが、僕は故郷の新潟が大好きです。 先程地方についての話も書きましたが、正直なところ参考にならない部分も多いと思います。 なぜなら、僕は新潟が大好きだし、本当に良いところだと思っているからです。 なので、バイアスがかかりまくっています。 もし自分の故郷が新潟以外だったとしたら、今回のような選択をしたかは微妙です。 正直、わかりません。 僕は人より愛郷心が強いことは実感しているのですが、なぜそうなのか?というと特殊な生い立ちだからだと思います。 僕の親の実家は佐渡島(両津)にあります。 幼少期を妙高(上越)で過ごし、小学生時代を南魚沼(豪雪地帯)で過ごし、中学校を新潟市内(下越)で過ごし、高専時代には長岡(中越)で5年間寮生活をしていました。 このように、20歳までに新潟県内の様々な場所で暮らした経験があるからか、新潟県というものが全体的に好きなのです。 どこかの市町村とか、特定のエリアが好きとかではなく、新潟全土に愛着を持っています。 小さい頃は転々としたことがコンプレックスだった時期もあったけど、今となっては新潟全土に愛着を持たせてくれた両親に、とっても感謝しています。 ありがとう。 おら、10年ぶりに帰るっちゃ。 最近zoomのバーチャル背景に使っています。 もちろん、客観的に見て新潟には良いところがたくさんあります。 食べ物もお酒も美味しいし、四季が楽しめるし、海も山もあって自然豊かだし、魅力たっぷりです。 そういえば最近、新潟に関するこんなツイートをしたらとっても反響がありました。 【新潟県民が初めて関東に移り住んだ時に思うことあるある】 ・米が不味い ・関東は平野だ ・晴れの日が多い ・枝豆の量が少ない ・外食のコスパが悪い ・雪が降らないの寂しい ・ルレクチェが売ってない ・皆あんまり日本酒飲まない ・新潟は結構特徴的な県かも? 外に出て初めて分かることは多い。 — 渋谷修太 フラー 新潟出身高専卒起業家 shibushuta 新潟の魅力についてはここで書いたらキリがないので、これから住むことだし、後日noteで地道にPRしていこうと思います!笑(そろそろ新潟なんちゃら大使になって良いレベルだと思う) さてさて、長くなりましたが、 「渋谷、新潟戻るってよ。 」ということで・・・ 新潟の皆様、これからよろしくお願いします!! 旧友たちはもちろん、面白い取り組みをこれから一緒にやってくれる企業様、経営者・起業家の皆様、ぜひお気軽にご連絡ください! 最後に、新潟関連・地方移住関連のツイートをこれからたくさんしていくと思いますので、興味のある方は是非是非Twitterフォローしてみてください!.

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Recent Blog• Archives• 29 こんにちは!新潟のセレクトジュエリーショップBROOCHの佐久間です! 秋の空は変わりやすいとは、どうやら本当のことみたいですね!朝は晴れてていいお天気だったのですが、急にバケツをひっくり返したような土砂降りが!!!かと思いきやすぐに上がって青空が見えたり・・・。 その中で私自身が感じたことや、お客様がブライダルリング(婚約指輪・結婚指輪)選びでお困りのことや、気になることを解消し、お2人にとって、素敵なリングを選ぶお手伝いができるようなブログにしていきたいと思っています。 セレクトジュエリーショップBROOCH取り扱いのブライダルリングの魅力を余すところなくお伝えしていきます!! 今回ご紹介させていただくのは、機能美を追求し、緻密に計算されたデザインで人気のスイス生まれのブライダルブランド「FURRER-JACOT フラー・ジャコー 」です! フラー・ジャコーのリングには、強くて洗練されたマリッジリングが生み出される背景とジュエリーの制作に情熱を注ぐ職人たちの物語が込められております。 1858年 日本でいうと、江戸時代! 一人のゴールドスミス 貴金属細工師 がライン川沿いのスイス・シャフハウゼンにアトリエを備えた小さな宝飾店を開きました。 彼の名はジャン・ジャック・アルベルツ。 シャフハウゼンには中世から宝飾品を作成する職人の感性を刺激する自然環境と要素が揃っていました。 シャフハイゼンは、 中世より近隣の山々から産出される半貴石を加工し、教会に納める宝物を作るゴールドスミスが集まってきたため、宝飾の街としてヨーロッパ中に知られるようになりました。 加えて、街を流れるライン河はドイツとイタリア、フランスとオーストリアをつなぐ交通の要所としても繁栄しました。 街の近郊にはライン河の中で一番大きな滝「ラインフォール」があり、ライン河を通る船は進路を阻まれるため一度荷揚げをしなければならず、シャフハウゼンは交易の街として栄えました。 彼の優れた先見性、独自の創造性、そして高い技術力は名声を築き、アルベンツの宝飾店は、開店後わずか1年にして10人もの職人を抱えるまでに成長しました。 1943年、長年に渡って創業者ファミリーと親交のあったリッツ・フラーがその事業を継ぎ、ルシェンヌ・ジャコーと結婚して「フラージャコー」誕生しました。 「フラージャコー」のロゴマークにはライン川を表すブルー、背景は雪を表す白とし、スイスの自然豊かな情景を表現しています。 そしてブルーのラインで二人のイニシャル「FとJ」がデザインされています。 創業から数えて一世紀半越の歴史を持ち、ジュエリーへの情熱とそのこだわりは今なお継承されています。 フラー・ジャコーが高いクオリティーを維持している理由の一つに「ゴールドスミス」の存在があります。 ゴールドスミスとは、直訳すると「金細工師」となりますが、現在では金よりさらに取り扱いが難しいプラチナの細工も行っているため、「貴金属細工師」と訳します。 ゴールドスミスの資格を取得するまでには国家試験を合格しなければなりません。 ゴールドスミスは、中世の昔、ギルドと呼ばれる同業者組合で親方から弟子への技術の伝承を行っていましたが、現在のスイスにおける伝統の技術は国家試験と企業のアトリエで守られています。 4年におよぶ学校での訓練を授業と実践、企業でのインターンシップを経た後に国家試験が行われます。 この試験に合格した者だけが「ゴールドスミス」という称号を与えられ、企業のファクトリーに所属するベテランのゴールドスミスの元で技術を磨くことが許されます。 フラー・ジャコーのアトリエには数十年にわたり技術を磨いてきたゴールドスミスがおり、製品の製造に携わるだけでなく、かけがえのない職人の技を後世に残すこともブランドの使命と考え、若いゴールドスミスの育成にも力を注いでいます。 フラージャコーのアトリエには数十年にわたって技術を磨いてきた「ゴールドスミス」がおり、製品の製造に携わるだけでなく、若いゴールドスミスへの宝飾技術の伝授も行っています。 MATTERHORN マッターホルン マッターホルンとはスイスとイタリアの国境にある4000m以上の標高の高い山で、ピラミッド型の斜面でとがった頂が特徴的な山です。 そのマッターホルンにインスパイアされたフラージャコーのゴールドスミスが作り出したリングがこのFURRER-JACOT「マッターホルン」です。 よくあるミル打ちの丸い形の粒ではなく、4つの面があるピラミッド形の粒が特徴です。 鍛造リングをこれだけ正確に切り削りができる技術を持っているフラージャコーのゴールドスミスだからこそ実現できた素晴らしい作品です!!人とは違うこだわりの全周デザインのマリッジリングを選びたい方にとてもオススメです!ミル打ちの部分や内側のみ違う色味の金属を使って、個性的なコンビネーションリングをお作り出来ます! フラー・ジャコーには、「ライフタイム・ワランティー」という一生涯保証の制度があります。 製品情報とお客様情報をWeb上でご登録いただくことにより、「ライフタイム・ワランティー」サービスをお受けいただくことができます。 05ct以下のものについて1回のみ無料で留め直しいたします(期限はありません)。 と、充実の保証内容!一生身に着けるリングだからこそ、一生涯の保証を続けていくのです。 是非ご来店ください!そしてセレクトジュエリーショップBROOCHで展開するのブライダルジュエリーの世界観やリングのすばらしさを、そしてBROOCH取り扱いの世界最高品質のダイヤモンドを確認しに来てください!.

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高専の同級生ら社員の3割が新潟出身。フラーが地元進出、母校とIT人材育成も

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Recent Blog• Archives• 29 こんにちは!新潟のセレクトジュエリーショップBROOCHの佐久間です! 秋の空は変わりやすいとは、どうやら本当のことみたいですね!朝は晴れてていいお天気だったのですが、急にバケツをひっくり返したような土砂降りが!!!かと思いきやすぐに上がって青空が見えたり・・・。 その中で私自身が感じたことや、お客様がブライダルリング(婚約指輪・結婚指輪)選びでお困りのことや、気になることを解消し、お2人にとって、素敵なリングを選ぶお手伝いができるようなブログにしていきたいと思っています。 セレクトジュエリーショップBROOCH取り扱いのブライダルリングの魅力を余すところなくお伝えしていきます!! 今回ご紹介させていただくのは、機能美を追求し、緻密に計算されたデザインで人気のスイス生まれのブライダルブランド「FURRER-JACOT フラー・ジャコー 」です! フラー・ジャコーのリングには、強くて洗練されたマリッジリングが生み出される背景とジュエリーの制作に情熱を注ぐ職人たちの物語が込められております。 1858年 日本でいうと、江戸時代! 一人のゴールドスミス 貴金属細工師 がライン川沿いのスイス・シャフハウゼンにアトリエを備えた小さな宝飾店を開きました。 彼の名はジャン・ジャック・アルベルツ。 シャフハウゼンには中世から宝飾品を作成する職人の感性を刺激する自然環境と要素が揃っていました。 シャフハイゼンは、 中世より近隣の山々から産出される半貴石を加工し、教会に納める宝物を作るゴールドスミスが集まってきたため、宝飾の街としてヨーロッパ中に知られるようになりました。 加えて、街を流れるライン河はドイツとイタリア、フランスとオーストリアをつなぐ交通の要所としても繁栄しました。 街の近郊にはライン河の中で一番大きな滝「ラインフォール」があり、ライン河を通る船は進路を阻まれるため一度荷揚げをしなければならず、シャフハウゼンは交易の街として栄えました。 彼の優れた先見性、独自の創造性、そして高い技術力は名声を築き、アルベンツの宝飾店は、開店後わずか1年にして10人もの職人を抱えるまでに成長しました。 1943年、長年に渡って創業者ファミリーと親交のあったリッツ・フラーがその事業を継ぎ、ルシェンヌ・ジャコーと結婚して「フラージャコー」誕生しました。 「フラージャコー」のロゴマークにはライン川を表すブルー、背景は雪を表す白とし、スイスの自然豊かな情景を表現しています。 そしてブルーのラインで二人のイニシャル「FとJ」がデザインされています。 創業から数えて一世紀半越の歴史を持ち、ジュエリーへの情熱とそのこだわりは今なお継承されています。 フラー・ジャコーが高いクオリティーを維持している理由の一つに「ゴールドスミス」の存在があります。 ゴールドスミスとは、直訳すると「金細工師」となりますが、現在では金よりさらに取り扱いが難しいプラチナの細工も行っているため、「貴金属細工師」と訳します。 ゴールドスミスの資格を取得するまでには国家試験を合格しなければなりません。 ゴールドスミスは、中世の昔、ギルドと呼ばれる同業者組合で親方から弟子への技術の伝承を行っていましたが、現在のスイスにおける伝統の技術は国家試験と企業のアトリエで守られています。 4年におよぶ学校での訓練を授業と実践、企業でのインターンシップを経た後に国家試験が行われます。 この試験に合格した者だけが「ゴールドスミス」という称号を与えられ、企業のファクトリーに所属するベテランのゴールドスミスの元で技術を磨くことが許されます。 フラー・ジャコーのアトリエには数十年にわたり技術を磨いてきたゴールドスミスがおり、製品の製造に携わるだけでなく、かけがえのない職人の技を後世に残すこともブランドの使命と考え、若いゴールドスミスの育成にも力を注いでいます。 フラージャコーのアトリエには数十年にわたって技術を磨いてきた「ゴールドスミス」がおり、製品の製造に携わるだけでなく、若いゴールドスミスへの宝飾技術の伝授も行っています。 MATTERHORN マッターホルン マッターホルンとはスイスとイタリアの国境にある4000m以上の標高の高い山で、ピラミッド型の斜面でとがった頂が特徴的な山です。 そのマッターホルンにインスパイアされたフラージャコーのゴールドスミスが作り出したリングがこのFURRER-JACOT「マッターホルン」です。 よくあるミル打ちの丸い形の粒ではなく、4つの面があるピラミッド形の粒が特徴です。 鍛造リングをこれだけ正確に切り削りができる技術を持っているフラージャコーのゴールドスミスだからこそ実現できた素晴らしい作品です!!人とは違うこだわりの全周デザインのマリッジリングを選びたい方にとてもオススメです!ミル打ちの部分や内側のみ違う色味の金属を使って、個性的なコンビネーションリングをお作り出来ます! フラー・ジャコーには、「ライフタイム・ワランティー」という一生涯保証の制度があります。 製品情報とお客様情報をWeb上でご登録いただくことにより、「ライフタイム・ワランティー」サービスをお受けいただくことができます。 05ct以下のものについて1回のみ無料で留め直しいたします(期限はありません)。 と、充実の保証内容!一生身に着けるリングだからこそ、一生涯の保証を続けていくのです。 是非ご来店ください!そしてセレクトジュエリーショップBROOCHで展開するのブライダルジュエリーの世界観やリングのすばらしさを、そしてBROOCH取り扱いの世界最高品質のダイヤモンドを確認しに来てください!.

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