冠のあるツム。 ロホホラ、ツルビニカルプスの播種

名馬(エクリプス、キンツェム、セントサイモン他)

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名馬(エクリプス、キンツェム、セントサイモン他) 「神話的名馬編」 キンツェム ペガサス ギリシャ神話に登場する翼を持った名馬。 英雄・ペルセウスがメドゥーサの首を討った時に、その血から産まれたとされる。 ギリシャ神話では馬に関する話が少なくなく、他に角を持った馬・ユニコーン、半人半馬のケンタウロス等がおり、更にポセイドンとアテナの戦いにおいても人類にとって最重要なものとしてポセイドンが作り出した生き物とされる(戦いはオリーヴを作ったアテナの勝ち)。 スレイプニル 北欧神話に登場するオーディンの愛馬。 8本脚を持ち、この馬に名槍・グングニルを持ったオーディンが騎乗する姿は有名だった。 因みに、同じ北欧神話のジークフリートの愛馬・グラーネもワーグナーの楽劇等で有名。 烏騅 項羽の愛馬として歴史に名を残す名馬。 劉邦に敗れた項羽がこの馬を人に預けて渡河させようとした所、岸にいる項羽の許に辿り着こうとして、河に飛び込み溺死するという悲劇的な生涯を終えた。 赤兎馬 三国志に登場する一日千里を駆けるといわれた名馬。 最初は呂布、次に関羽の愛馬と成った。 関羽が呉に処刑されると、自ら食を断ち、死んだとされる。 バイアリーターク 1679〜1705。 サラブレッド三大始祖の中でも最も古い血統で、ヘロド〜トゥルビョンへと連なるサイアーラインを現在も辛うじて維持している。 ゴドルフィンアラビアン 1724〜1753。 マッチェム〜マンノウォーへと連なるサイアーラインを築いたが、現在は稀少血統と成っている。 ダーレーアラビアン 1700?〜1730。 現代のサラブレッドの血統の大半を占める偉大なる始祖。 「総ての馬はダーレーアラビアンに通ず」と言われるのも無理からぬ程、この馬の血統表には歴史的名馬の名前がズラリと並ぶ。 中興の祖のエクリプス、セントサイモン、ノーザンダンサーらも皆この系統なのだ。 凄いぜ、ダーレーアラビアン! エクリプス 1764〜1789。 ダーレーアラビアンの玄孫で、18世紀後半に活躍した英国の伝説的英雄。 18戦18勝という戦績もさる事ながら、種牡馬としても超人気で、殆どの牝馬が交配された為、逆に直系の子孫は先細りに成った。 グラディアトゥール 1862〜1876。 1860年代に活躍したフランスの至宝。 当時の欧州競馬界は英国が断然の先進国であり、仏国もその後塵を拝していたが、グラディアトゥールはその壁を打ち破り、英三冠を獲得するという快挙を成し遂げた。 特に、伝統のエプソム・ダービーで10番手から繰り出した猛烈な末脚は伝説と化している。 他にもパリ大賞を制するなど活躍。 更に英国伝統の長距離レース、アスコット・ゴールドC(4000m)の走りも殆ど神話と化している。 このレースでは何と先頭集団から250mも離されながら後方待機、しかし騎手がゴー・サインを出すと、2着馬に何と40馬身もの差をつけて圧勝したというのだ。 かくして、グラディアトゥールの活躍は、仏国民にとって英国に敗れたナポレオン戦争の溜飲を下げ、フランスの国民的英雄として後世に迄語り継がれる事に成った。 その偉業を記念してロンシャン競馬場に銅像が作られ、今も鎮座している。 キンツェム 1874〜1887。 近年は現地語に近い「キンチェム」という表記も少なくない。 1870年代の名馬で、若しかすると欧州史上最強はこの馬かも知れないと言われている。 その成績はとても牝馬のものとは思えない。 というより、54戦54勝という記録はギネスブックにも載る大記録で(世界一の生涯無敗記録)、クリフジやトキノミノルはおろか、サイテーションやリボーの連勝記録すら可愛く思える程だ。 一体何者?スーパー・サイヤ人(馬だけど……)?余談だが、プエルトリコのカマレロ(1951〜1956)という馬がデビューから56連勝(これがギネスブックにも掲載されている世界一の連勝記録)、生涯77戦73勝という記録を残しているが、プエルトリコの馬という事で、一般的知名度や評価は欧州7カ国で活躍したキンツェムに遠く及ばない。 しかもその中身も半端ではない。 1000メートル以下から4000メートル以上迄勝ちまくり、斤量も170ポンド(76.5kg)を背負って10馬身以上の楽勝、レースに勝ったその2日後に亦レースに勝つ等現代競馬では到底考えられない偉業を残したのだ。 しかも英国馬や仏国馬ではない。 ハンガリー産馬なのだ。 尤も、当時の欧州競馬は先進国英国以外の格差は今程ではなく、凱旋門賞やキングジョージも創設されておらず、バーデン大賞3連覇やドーヴィル大賞典を制したキンツェムの名声は全欧州に轟いていた。 その為、先進国英国でも「ハンガリーの奇跡」と称えられたという。 因みに、当時のハンガリーは現在とは異なり、オーストリア=ハンガリー二重帝国の一員として、ハプスブルク家の支配下にあったが、民族意識の高まりつつあった時代に作られた馬だけに、国民的英雄だった事は間違いない。 そして、私はこの馬にどうしてもハプスブルク家のエリザベート皇后の姿を重ねずにはいられない。 「絶世の美女」と称されたエリザベートに対し、産まれた時には決して見栄えのしなかった馬と言われるキンツェムに重なり合う部分は少ない筈なのだが、エリザベートがハンガリーの民族主義に賛同を示した事は知られているし、エリザベートが大の馬好きで、本場英国の騎手が絶賛する程の騎乗技術を持っていたという意識があるからかも知れない。 或いは黄昏を迎えつつあったハプスブルク帝国の象徴的存在と感じるからかも知れない。 因みにエリザベート皇后の夫、即ちオーストリア=ハンガリー二重帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ一世はキンツェムの大ファンだったそうだ。 まあ、兎に角キンツェムは空前絶後の名馬である。 一方で、微笑ましい逸話が多く残されている点も「後期ロマン派」の時代に活躍した馬らしい。 汽車が大好きだったとか、夜番の厩務員が寒そうにしているのを見て毛布をかけてあげたとか、猫と大の仲良しで何時も一緒にいたとか……そういう点は牝馬かなとも思う。 子孫も傍系(牝馬だから当然だが)として現在迄残っているといわれている。 尚、今回この記事を書く為に色々検索していたら、古い馬であるにも関わらず、熱狂的なファンが結構いるのには驚いた。 強いだけでなく、何となく人々を惹きつける魅力を持っている馬、それがキンツェムなのだと言えよう。 実は私が「神話的名馬編」を作成したのも、この馬について書きたかったからに他ならない。 セントサイモン(サンシモン) 1881〜1908。 英国史上最高の騎手との呼び声高いアーチャーが「私が騎乗した馬の中でもこの馬は抜きん出て強かった。 距離は不問。 しかも本気で走った事がないのに、次元の違う強さ。 調教で一度だけ本気で走った事があるが、私はあまりの速さと迫力に恐怖した。 二度と本気で走らせたくない」と語ったという馬、セントサイモン。 1880年代に活躍した英国の名馬で9戦9勝、「エクリプス以来の英雄」と言われた。 気性の悪さも有名で、馬を落ち着かせる為にキンツェムを真似て厩舎に猫を入れた所、叩き潰してしまったとか。 種牡馬としてもエクリプス同様の運命を辿る。 即ち、繁殖牝馬の殆どがこの馬とつけまくった為、直系が先細りに成ってしまったのである。 当時は「セントサイモン産駒に非ずば馬に非ず」と言われた程だそうだが。 尤も、直系にあのリボーがいるし、傍系なら世界中のサラブレッドの殆どにこの馬の血が入っていると言われているのだから、やはり凄い馬だ。 レキシントン 1850〜1875。 アメリカ独立戦争の有名な戦いの名を冠する米国の名馬で、種牡馬としてもリーディングサイアー16回(連続14回)という不滅の大記録を残したが、英国に正式なサラブレッドとして認められなかった為、偉大な業績も今では忘れられかけている。 しかし、後に血統が承認され、父系は殆ど絶滅したものの、レキシントンの血を母方に持つトゥルビヨン系などにその血脈が受継がれたという。 ザテトラーク 1911〜1935。 20世紀の愛国の名馬だが、スペースの関係上こちらに掲載する事にした。 7戦7勝という成績はありがちだが、2着を50馬身以上ブッチ切って圧勝したとか、10秒以上(10馬身ではない!)も出遅れたのに勝ってしまったとか、この頁に名を連ねるだけの価値のある凄い馬だと思う。

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キンチェム

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出自 [ ] キンチェムはハンガリーの国立キシュベル牧場に生まれた。 キンチェムの母ウォーターニンフ Water Nymph は5着のザマーメイド The Mermaid の子で、現役時代にハンガリーのに優勝した名牝だった。 キンチェムを生産したエルンスト・フォン・ブラスコヴィッチは、自分の乗馬用の馬としてこの馬を購入したのだが、周囲に説得されて繁殖牝馬とした。 ウォーターニンフは繁殖に入って1年目からハンガリーオークス馬のハマト Harmat を輩出した。 2年目にはバッカニア Buccaneer が配合されるはずだったのだが、牧場のミスでウォーターニンフはカンバスカン Cambuscan に配合されてしまい、そしてキンチェムが生まれた。 カンバスカンはとして活躍したを父に持ち、2着、3着に入った後にで種牡馬となり、を勝ったカムバッロ Camballo を出している。 その後ハンガリーのジョッキークラブに購入されたが、受胎率が低くバッカニアに比べれば人気はなかった。 キンチェムは1歳時にブラスコヴィッチの所有するタピオセントマルトン牧場に移動した。 ブラスコヴィッチの生産馬は1歳時に1人のオーナーに対して一括で売却されることになっており、1875年の1歳馬はアレックス・オークシーという人物に7頭まとめて700程度の価格で売却されることになったのだが、購入したにもかかわらずオークシーはキンチェムともう1頭の馬を引き取らなかった。 キンチェムはひょろっとした暗い毛色の栗毛馬で外見が悪かったため、オークシーは走らないと判断したのである。 結局、キンチェムは生産者であるブラスコヴィッチの所有馬として走ることとなった。 このように外見が悪かったキンチェムであったが、意外な人物にその素質を評価されていた。 キンチェムは仔馬の頃に誘拐された事があり、犯人逮捕後に警察が「あの牧場にはもっといい体の馬が沢山いたのに何でこんな馬を狙ったんだ?」と尋ねた。 すると犯人は、「確かにあの馬は外見は他の馬に見劣りする。 でもそれを補って余りある勇気を持っていたんだ」と答えたという。 競走馬時代 [ ] 2歳時(1876年) [ ] キンチェムは2歳時の6月、の第一クリテリウムでデビューした。 このレースに勝利すると快進撃を開始した。 続けてでフェアグレイヒス賞、クリテリウム、エリネルンクスレネン、ルイーザレネン、ツークンフツレネンの各レースにすべて勝利した後オーストリア・ハンガリー帝国に戻り、のボルガルデューユ、のケーテヴェシェックヴェルシェニエ、のクラッドルーバー賞、のクラッドルーバークリテリウムにそれぞれ勝利した。 この年は全て違うで10戦10勝をあげた。 3歳時(1877年) [ ] 5ヶ月の休みを挟みのトライアルステークスで復帰しこれに勝利すると、ブダペストのネムゼティ賞(ハンガリー2000ギニー)、ハザフィ賞(ハンガリー1000ギニー)といったハンガリーのに相当するレースを連勝した。 特にハザフィ賞は母子制覇であった。 さらに、の強豪馬たちが出走するレースだったジョッケクルブ賞(オーストリアダービー)を大差で圧勝した。 この後ウィーンのトライアルステークスとカイザー賞に連勝してドイツに渡り、初のとのレースとなったハノーファー大賞、続いてレナードレネン、、ヴェルトヒェン賞に勝った。 地元ハンガリーに帰ってショプロンのアラームディーユを2連勝した後、ブダペストのハンガリーセントレジャーに楽勝した。 さらにカンツァディーユも勝った。 この後キンチェムはウィーンのフロインデナウアー賞に単走で勝利、続いてプラハのカイザー賞を連勝し3歳のシーズンを終えた。 3歳時は17戦17勝をあげた。 4歳時(1878年) [ ] 4歳になってもキンチェムの快進撃は止まらなかった。 この年はまずウィーンのエレフヌンクスレネンとプラーター公園賞に勝利し、続けてブラチスラヴァのアラームディーユ、ブダペストのアラームディーユ、キシュベル賞、アラームディーユ、再びウィーンに行ってシュタット賞、トライアルステークス、シュタット賞と、オーストリア・ハンガリー帝国で4月から5月にかけての約1ヶ月の間に9連勝をした。 そしてキンチェムはこの後、西遠征を敢行する。 西遠征の初戦はのだった。 イギリスでもキンチェムは有名で、のにちなんで「 ハンガリーの奇跡」と呼ばれていた。 なお、キンチェムにはダービー馬シルヴィオ Silvio やオークス馬プラシダ Placida とのも企画されそうになったが実現はしていない。 グッドウッドカップは、 Hampton やを勝ったヴェルヌイユ Verneuil を初めイギリスの有力馬たちはハンガリー馬に負けるのを恐れ回避してしまっていたため、わずか3頭でレースが行なわれた。 キンチェムの他にはこの後を勝つことになるページェント Pageant などが出走していた。 そしてレースはそのページェントが逃げ、キンチェムは控える展開になったが、最後はキンチェムが2馬身差で勝利する。 続いてキンチェムはのドーヴィル大賞典に出走した。 1番人気こそ(フランス2000ギニー)を勝っていた地元フランスのフォンテヌブロー Fontainebleau だったものの、結局キンチェムが勝利している。 ドーヴィル大賞典に勝利した後、バーデン大賞に出走するためドイツのに遠征した。 キンチェムは自分が馴染んだものしか口にしなかったことから、キンチェムの遠征時にはいつもタピオセントマルトン牧場の水も持って行かれたが、バーデンバーデンでキンチェムは突然その水を飲まなくなってしまった。 その後、キンチェムは3日間も水を飲まないでいたが、ある井戸を見つけると、その井戸に止まって水を飲んだ。 この出来事をきっかけとして、その井戸が「キンチェムの井戸」と呼ばれるようになった。 バーデン大賞では、騎手のマイクル・マデンが極端に後ろからの位置取りをしてしまい、プリンスジルス Prince Giles という馬と同着だった。 マデンはこの時酒に酔ったまま騎乗したといわれている。 この後プリンスジルスとの決勝戦が行われたが、突然馬場に野良犬が出てきて終始キンチェムに絡み、その隙に相手のプリンスジルスがキンチェムを突き放していった。 しかしキンチェムは犬を蹴飛ばして追い払い、プリンスジルスとの差を縮めて追いつくとあっという間に交わして6馬身差で楽勝した。 遠征を終えたキンチェムはオーストリア・ハンガリー帝国に戻り、ショプロンのアラームディーユとブダペストのリターディーユに勝利、さらに同じくブダペストのカンツァディーユを連覇して1878年を終えた。 4歳時は15戦15勝だった。 5歳時(1879年) [ ] 5歳時も現役を続けたキンチェムは、この年も12戦で全て完勝した。 ブラチスラヴァのアラームディーユで5歳初戦に勝利すると、続けてブダペストでからの5日間でカロイー伯爵ステークスとアラームディーユ2レースの計3レースに出走し3連勝。 特に5月8日のアラームディーユでは斤量が76. 5kgだったにもかかわらず勝った。 この後ウィーンでシュタット賞を連勝。 さらにドイツに渡り、シルバナーシルトとエーレン賞に勝利し、さらにバーデン大賞に勝ち同レースの3連覇を果たす。 ドイツから帰国した後、前年と同様にショプロンのアラームディーユ、ブダペストのリターディーユとカンツァディーユに勝利した。 なお、カンツァディーユは3連覇であった。 このレースの後、同厩舎の馬との喧嘩により脚を怪我したため、この年を最後にキンチェムは54戦54勝で引退した。 競走成績 [ ] 出走日 競馬場 競走名 着順 騎手 距離 着差 1着(2着)馬 1876. 21 ベルリン 第一クリテリウム 1着 M. マデン 1000m 4馬身 Boreas 0 0 0 0 0 07. 02 ハノーファー フェアグレイヒス賞 1着 M. マデン 芝1000m 1馬身 Harmburg 0 0 0 0 0 07. 09 クリテリウム 1着 M. 29 ドベラン エリネルンクスレネン 1着 M. 20 フランクフルト ルイーザレネン 1着 M. マデン 芝1000m 10馬身 Regimenstochter 0 0 0 0 0 08. 31 ツークンフツレネン 1着 M. マデン 芝1000m 大差 Criterium 0 0 0 0 010. 02 ショプロン ボルガルデューユ 1着 M. マデン 芝1200m 大差 Little Luder 0 0 0 0 010. 15 ブダペスト ケーテヴェシェックヴェルシェニエ 1着 M. 22 ウィーン クラッドルーバー賞 1着 M. マデン 芝1600m 10馬身 Der Landgraf 0 0 0 0 010. 22 プラハ クラッドルーバークリテリウム 1着 M. マデン 芝1400m 大差 Criterium 1877. 27 ブラチスラヴァ トライアルS 1着 M. マデン 芝1800m 1馬身 Blucher 0 0 0 0 0 05. 06 ブダペスト ネムゼティ賞(ハンガリー2000ギニー) 1着 M. マデン 芝1600m 大差 Camillo 0 0 0 0 0 05. 08 ブダペスト ハザフィ賞(ハンガリー1000ギニー) 1着 M. 21 ウィーン ジョッケクルブ賞(オーストリアダービー) 1着 M. マデン 芝2400m 大差 Tallos 0 0 0 0 05. 24 ウィーン トライアルS 1着 M. マデン 芝1600m 2馬身 V Secko Jedno 0 0 0 0 0 05. 27 ウィーン カイザー賞 1着 M. マデン 芝3200m 10馬身 Hirnok 0 0 0 0 0 06. 24 ハノーファー ハノーファー大賞 1着 M. マデン 芝3000m 6馬身 Konotoppa 0 0 0 0 0 07. 09 ハンブルク レナードレネン 1着 M. マデン 芝2800m 4馬身 Pirat 0 0 0 0 0 09. 03 バーデンバーデン バーデン大賞 1着 M. マデン 芝2500m 3馬身 Kotoppa 0 0 0 0 0 09. 08 フランクフルト ヴェルトヒェン賞 1着 M. マデン 芝2400m 10馬身 Pfeil 0 0 0 0 0 09. 29 ショプロン アラームディーユ 1着 M. マデン 芝2400m 3馬身 Prince Gregoire 0 0 0 0 0 09. 30 ショプロン アラームディーユ 1着 M. マデン 芝2400m 1馬身 Blankensee 0 0 0 0 010. 07 ブダペスト ハンガリーセントレジャー 1着 M. マデン 芝2800m 10馬身 Prince Giles the First 0 0 0 0 010. 09 ブダペスト カンツァディーユ 1着 M. マデン 芝2400m 3馬身 Konotoppa 0 0 0 0 010. 14 ウィーン フロインデナウアー賞 1着 M. マデン 芝2400m (単走) - 0 0 0 0 010. 21 プラハ カイザー賞 1着 M. マデン 芝2400m 1馬身 Prince Giles the First 0 0 0 0 010. 23 プラハ カイザー賞 1着 M. マデン 芝3200m (単走) - 1878. 22 ウイーン エレフヌンクスレネン 1着 M. マデン 芝1600m 2馬身 Wold Rover 0 0 0 0 0 04. 25 ウイーン プラーター公園賞 1着 M. マデン 芝2000m 3馬身 Orszvar 0 0 0 0 0 05. 04 ブラチスラヴァ アラームディーユ 1着 M. マデン 芝2400m 5馬身 Prince Giles the First 0 0 0 0 0 05. 14 ブダペスト アラームディーユ 1着 M. マデン 芝3200m 5馬身 Prince Giles the First 0 0 0 0 0 05. 16 ブダペスト キシュベル賞 1着 M. マデン 芝2000m 3馬身 Prince Giles the First 0 0 0 0 0 05. 19 ブダペスト アラームディーユ 1着 M. マデン 芝2400m 大差 Altona 0 0 0 0 0 05. 26 ウィーン シュタット賞 1着 M. マデン 芝2800m 1馬身 Erzsi 0 0 0 0 0 05. 28 ウィーン トライアルS 1着 M. マデン 芝1600m 大差 Prince Giles the First 0 0 0 0 0 05. 30 ウィーン シュタット賞 1着 M. マデン 芝1600m 5馬身 Rococo 0 0 0 0 0 08. 01 グッドウッドカップ 1着 M. マデン 芝21 2馬身 Pageaant 0 0 0 0 0 08. 18 ドーヴィル大賞典 1着 M. 03 バーデンバーデン バーデン大賞 1着 M. マデン 芝3200m 同着 Prince Giles 0 0 0 0 0 09. 03 バーデンバーデン バーデン大賞(決勝) 1着 M. マデン 芝3200m 6馬身 Prince Giles 0 0 0 0 0 09. 29 ショプロン アラームディーユ 1着 M. マデン 芝3200m 大差 Lorincz 0 0 0 0 010. 20 ブダペスト リターディーユ 1着 M. マデン 芝2800m (単走) - 0 0 0 0 010. 22 ブダペスト カンツァディーユ 1着 M. 28 ブラチスラヴァ アラームディーユ 1着 不明 芝2400m 8馬身 Tallos 0 0 0 0 0 05. 04 ブダペスト カロイー伯爵S 1着 不明 芝3600m (単走) - 0 0 0 0 0 05. 06 ブダペスト アラームディーユ 1着 不明 芝3600m 2馬身 Nil Desperandum 0 0 0 0 0 05. 08 ブダペスト アラームディーユ 1着 不明 芝2400m 2馬身 Harry Hall 0 0 0 0 0 05. 18 ウィーン シュタット賞 1着 不明 芝2800m 10馬身 Prince Giles the First 0 0 0 0 0 05. 20 ウィーン シュタット賞 1着 不明 芝3200m 2馬身 Bolygo 0 0 0 0 0 06. 17 ベルリン シルバナーシルト 1着 不明 芝2400m 3馬身 Altona 0 0 0 0 0 08. 25 フランクフルト エーレン賞 1着 不明 芝2800m 4馬身 Blue Rock 0 0 0 0 0 09. 02 バーデンバーデン バーデン大賞 1着 T. 29 ショプロン アラームディーユ 1着 不明 芝3200m (単走) - 0 0 0 0 010. 19 ブダペスト リターディーユ 1着 不明 芝2800m (単走) - 0 0 0 0 010. 21 ブダペスト カンツァディーユ 1着 不明 芝2400m 10馬身 Ilona• 全54戦54勝、6度の単走があり、10戦以上に及び10馬身差を超える大差勝ちを記録している。 成績表上は55戦の様に見えるが同着とその決勝戦で1レースなので54戦である。 引退後 [ ] にあるキンチェムの銅像 引退後は繁殖牝馬として5頭の産駒を残した。 どの馬も競走馬または繁殖で活躍した。 また、キンチェムの子孫(以下、「子孫」とは直系の牝系子孫、すなわちその馬の母親の母親・・・をたどっていくとキンチェムにたどり着く馬のことをいう)は繁栄し、多くの活躍馬を出した。 オーストリアやハンガリーのクラシックに何度も勝ち、ドイツ、、、のダービーにも勝っている。 にはキンチェムから数えて13代目の子孫ポリガミー Polygamy が英オークスに勝った。 また、ポリガミーの全妹ワンオーバーパー One Over Parr の玄孫で、キンチェムから数えて17代目の子孫はにとを制して英国クラシック2冠馬となるなど、21世紀となった現在でも、世界各地にキンチェムの子孫が残り活躍を見せている。 キンチェムは13歳の誕生日ににより死亡した。 この日ハンガリーの教会はキンチェムを追悼するために鐘を鳴らし続けたという。 キンチェムの骨格はハンガリーの農業博物館に展示されている。 そして生誕100周年の1974年にはこの馬を記念してブダペスト競馬場が「」と改名された。 ここにキンチェムの銅像も建てられている。 繁殖成績 [ ]• に勝利。 前述のポリガミー、キャメロットはこの馬の子孫。 ハンガリーセントレジャーに勝利。 タルプラマジャル Talpra Magyar (牡、父バッカニア、生)• 未出走だったが、種牡馬としてトキオ(バーデン大賞、オーストリア・ダービー)を輩出した。 オーストリアダービー2着になり、独ダービーの有力馬になるが直前にされる。 キンチ Kincs (牝、父ドンカスター、生)• 未出走で、産駒にナフェニィ(ハンガリーオークス)がいる。 身体・精神面の特徴 [ ] キンチェムは子馬のころはひょろっとして見栄えが悪かったが、成長すると良い馬体に成長した。 体高(キ甲=首と背の境から足元まで)は165. 1cmあったとされ、当時の大型馬の分類に入る。 また、胴が長く典型的なステイヤー体形だった。 毛色は暗い栗毛で、腰から後脚の辺りに褐色の斑点を持っていた。 走るときは首を下げていて、まるで地面を這うように走っていた。 すらりとした体形だったものの、その体形からは想像できないほどキンチェムは精神的に強くタフな馬だったことがさまざまな事例からわかる。 勝利距離は947mから4200mに達し、斤量76. 5kgでも勝利した。 さらにレース間隔も詰まっていて、2日連続で出走することもあった。 4歳時にわずか1ヶ月間で9連勝したこともある。 確かにキンチェムの時代の中欧の馬は各地に遠征をするのが当たり前だったが、それに耐えることができるタフさを持っていた。 実力もそうであるが精神的な強さを持ち合わせてこその54戦54勝だったのだろう。 エピソード [ ] 周囲の人間、動物との仲 キンチェムの親友はだったそうで、いつもこの猫と一緒に転戦した。 グッドウッドカップに勝利した後、船から列車に移る際に猫が行方不明になったことがあり、その時は猫が見つかるまで2時間鳴き続けた。 しかし猫が見つかると、キンチェムはいつもと同じように列車に乗り込んだ。 また、厩務員のフランキーとも非常に仲がよかった。 キンチェムは列車で旅行するのが好きだったためいつも自ら進んで乗り込んでいたが、フランキーがそばにいることを確認した後で寝たそうである。 フランキーのキンチェムへの愛情を知ってか、フランキーが寒い中で何も掛けずに寝ていると、キンチェムは自分の馬衣をフランキーに掛けた。 その夜からフランキーが毛布を掛けていてもキンチェムは馬衣をフランキーに掛けたといわれている。 フランキーはその後、フランキー・キンチェムと名乗り、墓標にもその名が刻まれているため本名がわかっていないほどである。 また、キンチェムの死後フランキーは一生独身のままでいたといわれている。 馬主のブラスコヴィッチはキンチェムがレースに勝つと必ずその後にキンチェムのに花を付けていたが、たまたまあるレースの後にこれが遅くなってしまうと、キンチェムはをなかなか取らせようとしなかったという。 キンチェムのファン キンチェムの強さは多くの人の関心を集めた。 オーストリア・ハンガリー帝国の皇帝もこの馬のファンだったことで知られている。 キンチェムがレースに勝つたびに、馬主のブラスコヴィッチを祝福していたという。 好物 なぜかキンチェムはが好きで、スタート地点で探すのが癖になっていた。 血統表 [ ] キンチェム Kincsem の (血統表の出典)• では長い間「 キンツェム」として知られてきたが、ハンガリー語の発音では「 キンチェム」の方が近い。 ハンガリー政府観光局もこちらの名称で同馬を紹介している。 系最後の歴史的種牡馬。 東欧ではドイツで4回、ハンガリーで15回リーディングサイアーを奪取した。 ただし、19世紀後半のオーストリア・ハンガリー帝国においては、キンチェムの勝ったクラシック相当のレースに帝国内の有力馬がこぞって出走したというわけでなく、各都市でクラシック的なレースがいくつも開催されていた。 出典 [ ].

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ツムツム 冠を被ったツムを使って1プレイで680個消そうを攻略

冠のあるツム

ミッションでおすすめの冠をかぶったツム コインを稼ぐミッション おすすめ度: おすすめ度: おすすめ度: 冠をかぶったツムでのコイン稼ぎに使えるツムは以上のツムです。 中でも乗馬ソフィア、オーロラ姫が最も稼ぐことができますい。 乗馬ソフィアは消去系ツムの中でスキル消去数トップクラスのツムです。 オーロラ姫も扱いは難しいですがコイン稼ぎトップクラスのツムです。 この他にもスキルレベルが上がっているツムなら、コイン稼ぎを行うことができるので、ぜひ試してみてください。 スコア Exp を稼ぐミッション おすすめ度:. おすすめ度: おすすめ度: 冠をかぶったツムでスコアを稼ぎたい時は、オーロラ姫、ウィンターオーロラ姫、ソラKH3ver. 、ブライドアリエルがもっともおすすめです。 これら4体はスキルレベル3前後まで育てると1000万点以上を狙えることが可能な優秀なツムです。 Expは基本的にスコアに依存するので、スコア稼ぎでおすすめした冠をかぶったツムと変更はありません。 クリアできない場合は、expアップのアイテムを使いましょう。 スコアボムを出すミッション 推奨SLV:3以上 推奨SLV:3以上 推奨SLV:2以上 推奨SLV:1以上 推奨SLV:2以上 推奨SLV:3以上 スコアボムは、15チェーン以上した時に出ることがあり、21チェーン以上した時は必ず1個出ます。 そのため、消去系スキルなどで21個以上のツムを一度に消せるツムなら、スキル1回につき1個のスコアボムを出すことができます。 上のツムのスキルレベルが「推奨SLV」に達しているなら、スコアボムを出せる可能性が高いため、本ミッションで使えます。 本ミッションでは7個スコアボムを出す必要があるので、1プレイ内で7回以上スキルを発動できるようにしましょう。 基本的には、なるべくスキルが育っているツムを使うのがベストです。 フィーバーを発生させるミッション フィーバー発生におすすめのツム. 冠をかぶったツムでフィーバー回数を稼ぐには上記のツムがおすすめです。 強制的にフィーバーに入れてくれるツムはいないので、ツムを多く消せるスキルを持ったツムを挙げています。 おすすめ度: おすすめ度:. 冠をかぶったツムでマイツムを消すのに特化したツムはいません。 ツムを多く消せるツムを使ってマイツム消去数を稼ぎましょう。 ウィンターオーロラ姫を持っていなかったり、消去範囲が広いソラKH3ver. やその他上記であげた消去系スキルのツムを使うと良いでしょう。 コンボを稼ぐミッション おすすめ度: おすすめ度: おすすめ度: 冠をかぶったツムでコンボ数を稼ぐ時には、女王とソラKHverがおすすめです。 女王が出すりんごをタップしていくと、そのままコンボに繋がるので、コンボ数を伸ばすことができます。 ソラKH3ver. は、スキル発動だけでコンボ数を稼ぐことができるため、初心者の方でも簡単に扱うことができます チェーンを繋ぐミッション おすすめ度: おすすめ度: 冠をかぶったツムでチェーン数を稼ぐには、上のツムがおすすめです。 なかでもエルサは凍らせたツムをタップして消す時に、チェーン扱いとなるため、チェーンが稼ぎやすいです。 スキル回数を繋ぐミッション おすすめ度: おすすめ度: もっともスキル発動が軽いのは必要数が13個のジャスミンです。 ジャスミンを持っていない場合は消去系スキルで消去範囲の大きなツムを使うことをおすすめします。 スプリングミスバニーは複数の大きなマジカルボムを出現させるスキルを持っており、そのマジカルボムが大ツムとしてカウントされます。 冠をつけたツム指定のビンゴミッション 21枚目 21-4 冠をつけたツムでコインを合計15000枚稼ごう 冠をつけたつむ指定のイベントミッション ピクシーホロウのお仕事 2019年6月 冠をつけたツムを使って1プレイで660Exp稼ぐ方法 ツムツムのかくれんぼ(2019年5月) 冠をつけたツムを使って1プレイでツムを550個消そう ジーニーのザ・マジックショー 冠をつけたツムを使って1プレイで2,250,000点稼ごう ディズニー・ストーリー・ブックス 冠をつけたツムでスコアボム7個消す方法 ツムツム関連リンク その他関連記事 ツムツム最新情報 最強ツムランキング 攻略お役立ち情報 その他お役立ち情報•

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