千 と 千尋 の 神隠し 泥 団子。 千と千尋の神隠し

千と千尋の神隠しラストは時間がどれくらい経っていた?車の変化から時間の流れを考察! | マジマジ情報局

千 と 千尋 の 神隠し 泥 団子

Contents• 千と千尋の神隠しで豚を当てるのは何故分かった? さっきまで「千と千尋」を観ていた。 豚に変えられたお父さんとお母さんがどれなのか当てるシーン(実際には豚の中にはいなかった)で、今日見た夢か?!ってなった。 私、娘が豚に変えられても当てられる自信ないから、娘はきっとベーコンやハムにされてしまうな。 プギー — Satomi Satryoshka 「 千と千尋の神隠し」の冒頭で豚にされてしまった千尋の両親・・・ 千尋は湯婆婆から、 たくさんの豚の中から父豚と母豚を当てるという難題を突き付けられます。 当てることができたら両親を元に戻してくれることになっていました。 そして成長した千尋は、見事当てることができたのです! しかし、始めの方では両親を見分けられなかったのに、なぜ千尋は最後に豚を当てることができたのでしょうか? その理由を考察していきます。 そこにいた豚は全員が変身した油屋の従業員でした。 そして、見事それを見抜いた千尋に笑顔で「大当たり~」と言ったのです。 千尋は見事それを見抜くわけですが、その理由は「 直感」だという説が有力です。 「ビビビッときた」というやつですね。 笑 実は宮崎駿監督が、このシーンについて「 千尋は色々な経験をして、そこに両親がいないことがわかった。 わかるのが人生だ、それしかない」ということを語っています。 つまりわかることに理由はないのだと、そういうことですね。 「 観客が自分で埋めればいい」とも言っているので、当てられた理由はそれぞれの思う解釈で良いのでしょうが、恐らく宮崎駿監督的には成長による直感なのでしょう。 銭婆の髪留めが力を貸した? 千と千尋で、最後に千尋が大勢の豚の中からお父さんお母さんを見つけることができた理由について、おれは銭婆にもらった髪留めのおかげだと思ってたんだけど、解釈によると湯婆婆の台詞の中にヒントがあるっていう考え方もあるんだってね — きりこ yugekiriko 「沼の底」に住む銭婆の元へ向かった千尋たちは銭婆にもてなされ、話をし、そして油屋へと戻ります。 銭婆は別れ際、 千尋に髪留めをプレゼントします。 実はこの髪留めに込められた魔力によって千尋は両親を当てることができたのではないか?という説もあるのです。 銭婆は「助けることはできない」と言ったものの千尋を助けてあげたくて、千尋の願い(元の世界に戻りたい)が叶うよう力を貸したのではないでしょうか。 ラストシーンで「振り返ってはいけない」と言われていたのに、千尋が思わず振り返りそうになったのをやめた時にも、キラリと髪留めが光っていましたよね。 髪留めのおかげだとすると豚とトンネル、銭婆の魔力が2度も千尋を助けたということになります。 湯婆婆の意地悪な性格を見抜いた? かつて『千と千尋の神隠し』を見た後に「どうして千尋は豚の中に両親がいないと気がついたのか」と子供と話した所、子供が「だって人間が豚になるわけないじゃん」と答えたという感想を読んだことがあるのですけどね。 深いなあと思いました。 確かにそれが結論なのですよねあの作品。 — ふぎさやか maomaoshitai 湯婆婆は強欲で意地悪な性格の持ち主なのですが、千尋は湯婆婆のそういった 性格を見抜いたのはないかとも考えられます。 「この中のどーれだ?」と聞いておいて、実はそこに答えがないなんて、超ひっかけ問題ですよね! 湯婆婆ならただ多くの豚の中に千尋の両親を紛れ込ませるのではなく、そういった手の込んだ意地悪なことも平気でしそうです。 多くの経験を積む中で、千尋は湯婆婆の性格を見抜けるようになったのかもしれません。 千尋の成長によるもの 『千と千尋の神隠し』観賞。 DVD。 諸事情により娘とちゃんと観たかったんです。 改めて観ると千尋の成長すげーなあ。 最初は挨拶すらできなかったコが…ねえ。 でも根は素直でいいコだったんだろうね。 カオナシ大暴れのところは娘も恐かったようです。 パパが豚になるところは恐くなかったようです。 そしてその中で 考え、行動し、成長していくのです。 物語における千尋の成長の集大成が、あの両親を見つけるシーンなのではないでしょうか? 無気力で弱かった千尋が、帰りたいと強く願うようになったのは大きな成長であり、帰りたい=生きたいとい意欲が、両親を見つける力へとつながったのだと思います。 不思議な団子の不思議な力によるものかも 「河の神」が油屋へ来た際に、千尋は一生懸命接客をし、神から不思議な団子を貰いました。 この団子は瀕死のハクを救ったり、暴走したカオナシを食い止めたりと様々な効力を発揮します。 千尋もちょっとだけですが食べていましたよね。 この 苦団子を食べることの意味は、恐らく 魔力の排除です。 苦団子はハクを銭婆の魔力から救い、砂金を生み出す魔力で人を誘惑するカオナシを正気にしました。 ですから千尋も苦団子の力で魔力を排除し、豚に化けている油屋の従業員たちを見抜くことができたのだと考えられます。 まとめ 千と千尋見てて、豚の正体当てた後のハクと千尋が手を繋いで走り出す瞬間が一番泣きそうになった。 好きな人ホシィ — 繭 mayupom126 「 千と千尋の神隠し」のラストシーンで、千尋が豚を当てることができた理由を考察しました! 千尋が両親を見抜くことができたのは• 千尋の直感• 銭婆にもらった髪留めの魔力• 湯婆婆の性格を見抜いたから• 千尋の成長• 苦団子を食べたことによるもの の5つが考えられます。 ちなみに自分は、やっぱり 千尋が物語を通して大きく成長したことで、見抜く力や帰りたいという意欲を持ったことが大きいのではないかなと思います。 他の説も夢があって良いですが、最後まで魔力に助けられていては意味がありませんし、直感も湯婆婆を見抜けたのもやっぱり成長合ってのものだからです^^ ラストまでドキドキがとまらない「千と千尋の神隠し」、ぜひ楽しく見てくださいね!.

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千と千尋の神隠しあらすじネタバレ!結末で分かるハクの本当の名前!

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声優&キャラクター紹介 (引用:) 荻野千尋… 柊瑠美 甘えん坊で泣き虫な10歳の女の子で荻野家の一人娘。 引っ越し先へ向かう途中に立ち寄った廃墟の向こう側で両親と一緒に不思議な世界に迷い込んでしまう。 異世界で豚に変えられてしまった両親を助けるために油屋(温泉旅館)の支配人湯婆婆の下で『千』という名前をもらって働くことになる。 (引用:) ハク… 入野自由 湯婆婆の弟子として油屋で働いている少年。 ハクというのも湯婆婆に付けられた名前で、本当の名前は忘れてしまっている。 不思議な世界に迷い込んだ千尋を助けようとする。 千尋は覚えていないが、ハクは千尋が小さい頃から千尋を知っているらしい。 油屋で働く他のメンバーや湯婆婆の前では冷静沈着な態度だが、千尋と2人きりの時だけは千尋に親切で優しい一面を見せる。 (引用:) 湯婆婆(ゆばーば)… 夏木マリ 油屋の支配人の魔法使いの老婆。 がめつくずる賢い。 油屋に迷い込んだ生き物たちから本当の名前を奪って支配する。 銭婆という双子の姉がいる。 自身の子である坊を溺愛している。 (引用:) 銭婆(ぜにーば)… 夏木マリ 湯婆婆と見た目も声もそっくりな双子の姉。 彼女も湯婆婆と同様に魔女であり、性格は湯婆婆と比べるとかなり穏やかでしたたか。 湯婆婆とはあまり関係がよくない。 (引用:) 釜じい… 菅原文太 油屋のボイラー室で客に出す特製の薬湯の準備をする老人。 石炭を運ぶ仕事をしているススワタリたちを仕切っている。 ボイラー室にきた千尋に湯婆婆のところに行くように進言する。 (引用:) リン… 玉井夕海 油屋で働く千尋より少し年上の女。 人の姿をしているが、ヤモリの黒焼きが好きなことから本来の姿は動物だと思われる。 口が悪いが姉御肌で面倒見が良い。 油屋に迷い込んだ千尋の面倒を見る。 (引用:) カオナシ… 中村彰男 油屋に続く橋の上に佇み千尋を見つめる、お面の部分以外は真っ黒な謎の存在。 欲しがっているものを手の平から出し、それを受け取った人はカオナシに飲み込まれてしまう。 言葉を話せないが、喋れる存在を飲み込むとその声を借りて話すことが出来るようになる。 油屋に迷い込んだ千を欲しがって動き始める。 ・その他のキャスト 荻野明夫(千尋の父親)… 内藤剛志 荻野悠子(千尋の母親)… 沢口靖子 青蛙… 我修院達也 坊… 神木隆之介 番台蛙(ばんだいかえる)… 大泉洋 河の神… はやし・こば 父役(ちちやく)… 上條恒彦 兄役(あにやく)… 小野武彦 ほか ネタバレあらすじ 荻野家の一人娘で10歳の 千尋、父親の 明夫、母親の 悠子は引っ越し当日のその日、マイカーで新居に向かっていた。 途中で道を間違えたのか山道に入りこんでしまった3人は、異国の雰囲気漂う赤い廃墟の前にたどり着いた。 興味を持った明夫に悠子と千尋がついて行くと、建物を通り抜けた先には広大な草原、さらにその先には美しい浅瀬の川があった。 この場所が何となく不気味に感じていた千尋は帰りたがったが、明夫と悠子はどこからか漂ってきた良いにおいに連れられて、川を越えてどんどん奥へと行ってしまう。 仕方なく千尋がついて行くと、川を越えて下り坂を降りた先には異国情緒漂う不思議な商店街に繋がっていた。 明夫と悠子は、においの元である中華料理のような惣菜を出しているカウンター席のある屋台にたどり着いた。 そこには誰もおらず、おいしそうな料理だけがズラリと並べられていたので、明夫と悠子は「後でお金を払えば良い」と勝手に食べ始めた。 (勝手に料理を食べ始めた亜紀をと悠子 引用:) 食べる気がしなかった千尋は両親を置いて散策していると、少し行った先に『油屋』という看板が掲げられた巨大な温泉施設のようなものがあった。 油屋の前の橋の上にいた千尋は、突然現れたおかっぱ頭の美少年に声をかけられた。 少年は鬼気迫る様子で「ここに居てはいけない!暗くなる前に川の向こうに戻れ!」と言う。 少年を不審に思いながら千尋が両親の所に行くと、両親が座っていた席には豚が居て屋台の料理を食い散らかしていた。 車に戻ろうと川へ走ったが、浅かったはずの川は深くなり、もう千尋には渡れなくなっていた。 さらに廃墟だった赤い建物には明かりが点き、川からは巨大な船が到着して明らかに人間ではない何かが大勢船から降りてきている。 恐怖で動けなくなった千尋の所に再びおかっぱ頭の少年が現れて、千尋を落ち着かせてくれた。 おかっぱ頭の少年は ハクと名乗り、 ハクは千尋が小さい時から千尋を知っていること、 千尋の両親には後で会わせてくれること、 この世界では人間はあまり良く思われていないことを教えてくれた。 しかし千尋にハクと会った記憶はなかった。 さらにハクは、 この世界では働かない者は動物に変えられて食べられてしまうこと、 この建物の地下にあるボイラー室にいる釜じいという人に会って「 働きたい」と頼むこと、 断られても諦めず、「帰りたい」とか 泣き言を絶対に言ってはいけないことを千尋に言い聞かせると、ハクを探している従業員の所に行ってしまった。 千尋は1人でどうにかボイラー室にたどり着き、そこで薬湯の調合をする 釜じいに会うことが出来た。 地面には、まっくろくろすけに手足が生えたような姿の ススワタリが火釜の中に炭を運んで放り込む仕事をしていた。 千尋は働きたいと釜じいに頼んだが、ここはもう人手が足りていると言う。 釜じいは千尋に、ハクは油屋の支配人である魔女の 湯婆婆の弟子で、油屋の番頭 (支配人の次に偉い立場)だということを教えてくれた。 釜じいは、ボイラー室に食事を運びにきた従業員の リンに、千尋を湯婆婆の所に連れていくよう頼んだ。 千尋はリンに連れられて、人ではない何かや、千尋と同じくらいの背丈のカエルの従業員などが歩き回る油屋の中を進み、リンと別れてエレベーターに乗って湯婆婆の前にたどり着いた。 湯婆婆が言うには、ここ『油屋』はお客様である 八百万の神様たちに癒しを提供する温泉施設で、 千尋の両親は準備していたお客様用の料理を勝手に食べたため、罰として豚に変えてしまったそうだ。 千尋は泣きそうになりながらも両親のために、ただ「働かせて下さい!」とだけ言い続け、折れた湯婆婆と契約を結んだ。 千尋は『 千(せん)』という新しい名前を与えられ、油屋の従業員になった。 翌早朝。 ハクに呼ばれた千尋は豚になった両親に会わせてもらった。 両親は今は人間だったことは忘れているらしく、スヤスヤと眠っていた。 その後、千尋は私服のポケットに入っていた前の学校の友達からのお別れのメッセージを見て、自分の本当の名前が『千尋』だったと思い出した。 千という名前をもらってまだ一晩しか経っていないのに、千尋はもう本当の名前を忘れかけていたのだ。 湯婆婆は名前を奪って支配するらしい。 ハクは自分の本当の名前がどうしても思い出せずにいるとこぼした。 ハクから元気が出る魔法をかけたというおにぎりをもらった千尋は、大粒の涙をこぼしながらそれを食べきった。 おにぎりのおかげで元気が出た千尋はその後、リンや他の従業員たちと共に元気に働いた。 (ハクが作ったおにぎりを食べる千尋 引用:) お客様が来るのは夜だけで、油屋が開店するのは日暮れと同時だった。 夕方、縁側で作業をしていた千尋は、千尋がこの世界に来た時からずっと油屋の前の橋に立っていた黒い存在、 カオナシが雨の降る外に立っていることに気付いた。 カオナシを客だと思っていた千尋は親切心からカオナシに声をかけ、雨宿りできるように窓を開けたままにして別の作業に移った。 千尋が去った後、カオナシは縁側から油屋に入り込んだ。 その日、リンと千尋は汚れがひどい客専用の風呂場『大湯』を任された。 そしてその日、湯婆婆が『 オクサレ様 (お腐れ様)』と呼ぶ、ヘドロにまみれた客が来店した。 オクサレ様の接客を任された千尋は、近づいただけでも気絶しそうなにおいを放つオクサレ様を大湯に案内した。 オクサレ様が湯船につかった時、千尋はオクサレ様の体に何かが刺さっていることに気が付いた。 それを聞いた湯婆婆は、この客がオクサレ様ではなく別の神様であることを見抜き、刺さっている物を引っ張り出すように命じた。 皆で力を合わせて刺さっていた物を引っ張り出すと、自転車などの大量のゴミが飛び出した。 その神様は、ヘドロの塊のような姿からおじいさんの顔をした竜に姿を変えて「あ~、よかった」と気持ちよさそうに言うと、窓から空へ飛んで帰って行った。 湯婆婆いわく、あの神様は 名のある河の神様だったそうだ。 神様が帰った後、千尋の手には神様からのお礼らしき 茶色い団子が握られていた。 また、神様が残したゴミや砂の中には砂金が紛れていて、湯婆婆は思わぬ報酬に喜んで「よくやった!」と千尋を褒めたたえた。 その後、千尋は興味本位で団子をかじってあまりの苦さに体が震えた。 千尋が起きると同じ部屋で寝ていたリンや他の従業員たちの布団が空っぽだった。 寝坊かと思って慌てて支度をしていると、外で白い竜が小鳥のようなものに追われて暴れまわっているのが見えた。 竜は苦しそうに暴れまわりながら湯婆婆の部屋に向かっている。 竜がハクだと直感した千尋は、ハクを助けようと湯婆婆の部屋に向かった。 窓から湯婆婆の息子の 坊の部屋に侵入した千尋は、湯婆婆が手下の物の怪、 頭にハクを捨てるように命じているのを聞いた。 湯婆婆が去った後すぐに千尋はハクを助けようとしたが、頭、坊、湯バードに遮られていた。 そこに、湯婆婆の双子の姉の魔女 銭婆の分身が現れて、魔法で坊をネズミに、湯バードをハエドリに、頭を坊の姿に変えた。 銭婆はハクに大切なハンコを盗まれて、それを取り戻しに来たという。 さらに銭婆は、ハンコには盗んだ者が死ぬような魔法がかけられていて、ハクはもう助からないと千尋に告げた直後、ハクが人型の紙切れを叩き切ると銭婆は消えた。 その後、苦しむハクと千尋は釜じいのいるボイラー室にたどり着いた。 千尋はとっさに河の神様からもらった団子をちぎってハクに飲ませると、ハクは黒いモヤモヤに包まれたハンコを吐き出して大人しくなった。 この団子は釜じいいわく『 ニガダンゴ』らしく、食べた人物の中にある 悪いものを吐き出させて浄化する効果があるらしい。 ハンコには黒い芋虫のような魔法の元がくっついていて、千尋は思わずそれを追いかけて踏み潰した。 ハクは人間の姿に戻ったが、意識はなかった。 ハクに薬を飲ませて寝かせると、釜じいは千尋にハクがこの世界に来た経緯を教えてくれた。 ハクは千尋のように突然油屋に現れて「もう帰る場所がない、働かせてほしい」と釜じいに頼んだという。 その後ハクは湯婆婆と契約を結び、魔法の力を手に入れるべく湯婆婆の見習いになったそうだ。 千尋はハンコを銭婆に返しに行く決意をした。 すると釜じいが、40年前に使ったという列車の切符をくれた。 銭婆の所へは、油屋の下に広がる川を走っている列車に乗って6番目の駅で降りれば行けるらしい。 千尋が釜じいにお礼を言った時、リンが千尋を探しに来た。 油屋でカオナシが大暴れしているらしい。 カオナシは河の神様の騒動の後、下働きの 青蛙を飲み込んで声を手に入れ、従業員に砂金をバラまいて油屋に居座っていた。 油屋の従業員たちは青蛙が呑み込まれたことも知らず、突然現れた太っ腹な客を歓迎していたが、カオナシはさらに他の従業員も飲み込んで、今は「千を出せ」と大騒ぎしているらしい。 千尋がカオナシの待つ部屋に行くと、カオナシは千尋に何が欲しいのかと尋ねた。 千尋は「私が欲しい物はあなたには絶対に出せない」と答え、残りのニガダンゴをカオナシの口の中に放り込んだ。 ニガダンゴを食わされたカオナシは怒り、油屋で飲み込んだ物を吐き出しながら逃げていく千尋を追いかけた。 千尋はカオナシを誘導しながらリンが出してくれた桶の船に乗り、坊ネズミ、ハエドリ、カオナシと共に川の上に浮かぶ駅へ行き、電車に乗った。 一方、カオナシの件と千尋が油屋から消えたことで怒った湯婆婆は、千尋の両親を調理するように 兄役たちに命じていた。 そこに意識を取り戻したハクが現れて、坊が頭にすり替わっていること、坊は千尋と一緒に銭婆の所に行ったことを湯婆婆に告げ、坊を取り戻すかわりに千尋と千尋の両親を元の世界に帰してやって欲しいと頼んだ。 銭婆の家に着いた千尋は、すぐに銭婆にハンコを返し、ハンコに付いていた芋虫は踏みつぶしてしまったことを謝った。 銭婆は、あの芋虫は銭婆のまじないではなく、 湯婆婆がハクを操るために仕込んでいた虫だと言って大笑いした。 銭婆は千尋に、湯婆婆と銭婆は2人で一人前のはずなのにどうしても気が合わず、こうして離れ離れで生活しているのだと明かし、もう夜遅いから今夜は泊まるように言った。 千尋はしばらく考えて、両親やハクが心配だからやっぱり油屋に戻りたいと答えると、銭婆は皆で紡いだ糸で作った髪留めを千にプレゼントした。 (みんなで作った髪留めをプレゼントする銭婆と千尋の手 引用:) そのとき、銭婆の家の外に元気になったハク(竜の姿)が到着した。 千尋、坊ネズミ、ハエドリはハクと一緒に油屋に戻り、カオナシはここに残って銭婆のお手伝いをすることになった。 千尋は銭婆にお礼を言い、ハクと一緒に空に飛び立った。 油屋に戻る途中、千尋はまだ小さい頃に遊んでいて川に落ちたことがあり、その川は今は埋め立てられてしまって無いが、あれがハクの川だったのではないかと言い、その川の名が『 琥珀川』だったことを告げた。 その瞬間、ハクは自分の本当の名が『ニギハヤミコハクヌシ』だったと思いだした。 千尋はハクが本当の名前を思い出したことを喜んで涙を流した。 その頃、油屋では従業員全員と、8匹の豚を並べた湯婆婆が千尋の帰りを待っていた。 千尋、ハク、坊ネズミ、ハエドリが油屋の前に降りると、「坊はどこだ?」と聞く湯婆婆の前で坊ネズミが本来の姿に戻った。 湯婆婆は「この世界にはルールがあり、千は問題に答えなければならない」と告げてから、8匹の豚の中から両親がどれか当てろと命じた。 千尋が「この中にはいない」と答えると、湯婆婆の持っていた千尋の契約書が粉々になり、8匹の豚が従業員に変わり「大当たり!」と声をあげた。 歓声を上げる従業員たちと不満げな表情の湯婆婆にお礼を言うと、千尋はハクと一緒に帰り道に向かって走った。 ハクも近いうちに湯婆婆に解放してもらって元の世界に戻ること、戻ったら再び千尋に会いに行くと約束した。 ハクに「建物を抜けるまで振り返ってはいけない」と言われ、千尋は頷いてハクと繋いでいた手を放して元来た道を戻った。 草原を進むと両親の声が聞こえ、赤い廃墟の前で両親が千尋を待っていた。 千尋は喜んで両親に駆け寄り「大丈夫だった?」と聞いたが、両親はあの世界にいた記憶が全く無いようだった。 そして、千尋は振り返るのを我慢しながら建物を抜けた。 車に戻って来ると、車の上には葉っぱや小枝が積もり、車の中は埃だらけになっていた。 両親は驚いて「誰かのいたずらか?」と文句を言いながら車のエンジンを点け、千尋は後ろ髪を引かれる思いで車に乗り込んだ。 本作で伝えたかったこと 宮崎駿監督は「 現代の日本を表したかった」とインタビューで答えています。 現代社会に例えると、油屋は湯婆婆が経営している『会社』、千尋はそこに就職した『新入社員』に置き換えることができます。 この世界では働かない者は生きていくことを許されず、千尋は豚に変えられた両親のために働くことになります。 湯婆婆は人物の名前を奪って支配してここから出られないようにしています。 本作における『本当の名前』は、『その人の夢や目標』に言い換えることができます。 会社はその人が本当にやりたいことや夢を忘れさせてずっと会社でこき使おうとする、ということが言いたいのではないでしょうか。 千尋は湯婆婆に名前を奪われて忘れかけるけど、ハクのおかげで忘れずにいられます。 このように千尋は油屋でハク、釜じい、リンのような素敵な出会いもしているので、会社は支配される場ではあるが、 人との出会いを多くくれる場所としても描かれています。 ちなみに親が豚に変えられたことにも意味があり、親がどん欲な存在であることを示すために豚に変えたそうです。 そして千尋は油屋で成長しましたが、千尋の両親は油屋の世界に居たことも千尋に救われたことも何も覚えておらず、何も変わっていません。 これは、子どもは成長して(肉体も精神も)変われるけど、両親(大人)は本質的なものは変わらないという割とシビアなメッセージでもあるようです。 日本の未来を子どもたちに託しているという意味でもありますね。 千尋については『 大切なことを見極める』、『 多く欲しがらない』というメッセージが強かったように思います。 それはカオナシから物を受け取らなかったり、ハクや両親を必死で助けようとする姿勢に描かれています。 また、ハク、カオナシには「自分の居場所」に対するメッセージが込められているように感じます。 ハクは現実世界で自分の川(居場所)を失い、油屋にやってきた人物です。 しかし油屋では湯婆婆に良いように使われてしまい、千尋と再会したことで勇気づけられて油屋を出る決意をします。 カオナシは後に書いているのでここでは省略しますが、居場所を求めてさまよう姿が描かれています。 ハクが油屋の中で千尋に冷たかった理由 油屋で働くことになった千尋は、リンに「ハクって2人いるの?」と聞き、リンは「あんなのが2人もいたらたまったもんじゃない!」(ハクは1人しかいない)と答えています。 千尋がリンにそう聞いた理由は、最初に会った時のハクと油屋で再会したときのハクの態度があまりにも違っていて「別人だったのかも?」と思ったからです。 千尋がこの世界に来てハクと会った時、ハクは千尋にとても優しく接します。 ところが、湯婆婆の部屋でハクと再会したとき、ハクは千尋に対してとても冷たかったですね。 これは恐らく、ハクにとって千尋は大切な存在だったので、それが湯婆婆にバレて湯婆婆が千尋に何かするのを避けるためだったのでしょう。 ハクが千尋に「私のことは『ハク様』と呼べ」と言ったのも、ハクは油屋の中では偉い立場なので、他の従業員も釜じいとリン以外はハクをハク様と呼んでいます。 突然現れた人間の娘がハクを呼び捨てにしていたら周囲に変に思われますし、従業員経由で湯婆婆に何か勘繰られるのを避けるためだったと思われます。 河の神様がくれたお団子の正体は? (神様からもらった団子を見つめる千尋 引用:) 千尋が河の神様からもらった茶色い団子については、釜じいが「ニガダンゴか」と名前だけは言いますが、効果については語られていません。 あの団子は、河の神様がため込んでいたゴミを取り除いた時に千尋がお礼としてもらったものです。 なので、恐らく『浄化』や『悪いものを吐き出す』効果がある団子だったのでしょう。 苦しんでいるハクに団子を飲ませたら、銭婆のハンコと湯婆婆がハクに忍び込ませていた黒いイモムシが出てきましたね。 ハンコには銭婆がかけた『盗んだ者が死ぬまじない』、イモムシは『湯婆婆がハクを操るために忍び込ませた虫』だと明かされているので、ハクにとって悪いものを吐き出したことになります。 そしてカオナシに団子を食べさせると、油屋で食べた大量の食べ物と飲み込んだ従業員たちを吐き出しました。 湯婆婆がカオナシを「欲に駆られた怪物だ」と言っていたことから、カオナシは恐らく欲望を食べて巨大化する存在なのだと思われます。 カオナシにとって悪いものは「欲に駆られて食ったもの」だったのでしょう。 千が飲み込めないカオナシが「さみしい」と言っていたように、カオナシが欲望を食べる理由はさみしさからなのでしょう。 しかし、淋しさは食べることや他人を飲み込むことでは解消されません。 なので、カオナシがさみしさゆえに飲み込んだものはカオナシにとって悪いものだと言えるのだと思います。 従業員たちがカオナシの砂金欲しさに作った大量の食事、飲み込んだ従業員たちにも欲の感情がこもっているので、カオナシは食べ物と従業員を吐き出したのだと私は思っています。 一番最初に団子を食べたのは千尋でしたが、千尋は団子を苦いと思っただけで何も吐き出しませんでした。 恐らく千尋にはため込んでいた悪いものはなかったのでしょう。 ちなみに名のある河の主の存在は、ハクもどこかの川の神様であることの伏線です。 商店街や電車の中にいた黒い影の正体 千が不思議の世界の商店街に迷い込んだ時や、銭婆の家に行くために乗った電車の中に半透明の黒い影が登場します。 商店街に居た影は、ぼんやりしていてちゃんとした形を持っていなかったので、夜になると実体化する神様や精霊の類か、迷い込んでしまって商店街で湯婆婆に働かされていた動物たちだったんじゃないかな~と想像しています。 それに比べて電車に乗っていた影はちゃんと人の形をしていましたね。 本作のタイトルに「神隠し」と付いているように、千尋と両親は神隠しにあって湯婆婆たちがいる異世界に来てしまったのでしょう。 そして、あの油屋は死後の世界とも繋がっていて、それを繋いでいたのがあの「中道」と書かれた電車だったのだと思われます。 中道とは仏教用語で『二つ(生と死、楽と苦など)のどちらにも偏らない』という意味です。 あの影たちは油屋の世界とは関係のない存在で、 死んだ人間の魂だったのではないかと想像しています。 黒い影たちが降りていった駅名が「沼原」、さらに進んで千尋たちが降りた6つ目の駅名が「沼の底」と下に降りていくようなイメージだったので、この列車は始発駅が神様のいる天国のような所で、終着点は地獄のような所だったのではないかと推測しています。 釜じいが「昔は戻りもあったが、近頃は行きっぱなしだ」と言っていたのは、恐らくですが、昔は神様になるような(付喪神のような)魂もいたが、今は大量生産大量消費や使い捨ての文化なので、そういうこともほとんどなくなったということなのではないかと想像しています。 カオナシについて (列車に乗る千尋とカオナシ 引用:) 宮崎駿監督によると、「カオナシは『 会社員』をモデルにしているが、誰の心にも存在するもの」なのだそうです。 自分自身の顔がなく、声はあるものの、誰かの声を借りることでしか話すことが出来ない。 (自分の意見がなく、上司や他の誰かが言っていたことのマネしかできない) 淋しさゆえに人の心、興味関心を物やお金で引こうとするが、それで人の心を手に入れても本当には満たされず、また同じことを繰り返す。 (自分自身に魅力がないと思い込んでいて、人の興味を物やお金で引く方法しか知らない) 自分の居場所がなく、居場所を求めてさまよっている。 書き出しているとなるほど、と思いました。 カオナシは千尋がこの世界の物を食べた後から登場し、ずっと千尋を見つめています。 恐らくカオナシは直感で千尋が優しそうで助けてくれそうに見えたんでしょう。 橋の上に立っていても誰も気づいてすらくれなかったのに、千尋にだけは気付いてもらえたのも、カオナシが千尋に注目した理由だと思います。 千尋のおかげで油屋に入り込んだカオナシは、自分の欲望を満たそうと、物(砂金)で従業員の気を引いて思う存分油屋のサービスを堪能します。 そしてカオナシの一番の目的は千尋から必要とされることだったのですが、カオナシは人の心を物で釣るような方法しか知らないため、ひたすら千尋に砂金を受け取るように迫ったり、欲しい物が何かを聞き続けます。 カオナシの意図を感じ取った千尋は「私が欲しいものはあなたには絶対に出せない」と断り、ニガダンゴを食べさせます。 千尋は欲しいものは本当はあるのでしょうが、カオナシが本当は淋しいだけだということ、何を食べても淋しさは解消されないことを千尋はわかっていたので、カオナシの質問を突っぱねたのだと思います。 この場面は、千尋が成長したことを表した場面だったのでしょう。 カオナシはニガダンゴの効果で欲望を全て吐き出して空っぽになってからは大人しい元の姿に戻ります。 千尋は恐らく油屋でのカオナシを見て「あの人(カオナシ)は油屋に居てはいけない」と言っていました。 カオナシは外からの影響を受けやすいので、欲望がうずまくような環境の中に居てはいけないということだったのでしょう。 カオナシはニガダンゴのおかげで欲望はなくなりますが、居場所がない淋しさは消えなかったので千尋について行き、結果 銭婆に必要とされてカオナシの心は満たされます。 このカオナシのストーリーは、自分の居場所を見つけることというテーマの1つとつながります。 千尋が豚たちの中に両親が居ないとわかったのは (豚の中から両親を当てるように命じられた千尋 引用:) これについては諸説あるようで、探して納得できると感じたものだけを書き出していきます。 ちなみにこの疑問について、宮崎監督は「私にも理由はわかりませんが、千尋はなぜかわかってしまうんです」とコメントしているようにあまりこれといった理由があることでもないようですし(しいて言えば『千尋の直感』が正解なのかもしれませんが)、作品を見た人それぞれが思い思いの解釈をする内容ですので正解はなく、逆に言えばすべてが正解です。 1つは『親子の絆』で両親がいないことが分かったという説。 2つ目は千尋が銭婆からもらった紫色の髪留めに、千尋の助けになるようなおまじないがかけられていて、千尋はそれに助けられたという説。 3つ目は、千尋自身が油屋で精神的に成長したから、という説です。 私は個人的には3つ目を信じています。 千尋は銭婆の所に行った時から、銭婆のことを「おばあちゃん」と呼びます。 そして、油屋に戻ってきたとき湯婆婆のこともおばあちゃんと呼んでいます。 これは恐らく、千尋が現実世界に帰るという決意が千尋の心を現実に近づけていたからだと思っています。 現実の世界にこんな不思議な銭湯はないし、魔法使いはいません。 (もしかしたらいるかもしれませんが、一般論として話を進めます) そして豚については、両親は魔法で豚にされていましたが、現実的に考えると魔法は存在しないので、両親が豚であるはずがありません。 そのため、千尋は「両親はこの中にいない」という答えを出したのではないかと思っています。

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千と千尋のイモリの黒焼きは精力剤?ほれ薬の効能と通販は可能?

千 と 千尋 の 神隠し 泥 団子

監督は。 第1位。 概要 [ ] 千尋という名の10歳の少女が、引っ越し先へ向かう途中に立ち入ったトンネルから、神々の世界へ迷い込んでしまう物語。 千尋の両親は掟を破ったことで魔女の湯婆婆によって豚に変えられてしまう。 千尋は、湯婆婆の経営する銭湯で働きながら、両親とともに人間の世界へ帰るために奮闘する。 声の出演は、・・・・・・・など。 制作のきっかけは、宮崎駿の個人的な友人である10歳の少女を喜ばせたいというものだった。 この少女はの映画プロデューサー、の娘であり、主人公千尋のモデルになった。 企画当時宮崎は、信州に持っている山小屋にジブリ関係者たちの娘を集め、年に一度合宿を開いていた。 宮崎はまだ10歳前後の年齢の女子に向けた映画を作ったことがなく、そのため彼女たちに映画を送り届けたいと思うようになった。 (平成13年)に公開。 興行収入は300億円を超え、 第1位 を達成した。 この記録は2020年6月11日現在も塗り替えられていない。 では『』と同時にを受賞した。 宮崎の友人である映画監督の尽力によって北米で公開され、ではを受賞した。 2016年のイギリス主催の投票では、世界の177人の批評家が「21世紀の偉大な映画ベスト100」の第4位に選出した。 に行われたスタジオジブリ総選挙で見事1位に輝き、2016年9月10日 土 〜9月16日 金 の7日間、全国5カ所の映画館にて再上映された。 あらすじ [ ] 10歳の少女・千尋(ちひろ)は、両親と共に引越し先へと向かう途中、森の中の奇妙なトンネルから通じる無人の街へ迷い込む。 そこは、怪物のような姿の八百万の神々が住む世界で、人間が来てはならないところだった。 千尋の両親は飲食店で神々に出す食べ物に勝手に手を付けたため、罰として豚にされてしまう。 千尋も帰り道を失って消滅しそうになるが、この世界に住む少年ハクに助けられる。 ハクは、八百万の神々が客として集う「油屋」という名ので働いていた。 油屋の主人は、相手の名を奪って支配する、恐ろしい魔女の湯婆婆(ゆばーば)である。 仕事を持たない者は動物に変えられてしまうとハクは千尋に教える。 千尋は、雇ってくれるよう湯婆婆に頼み込み、名を奪われて「千(せん)」と新たに名付けられ、油屋で働くことになる。 ハクは、本当の名前を忘れると元の世界に戻れなくなると忠告する。 ハクもまた名を奪われ、自分が何者であったのかを思い出せずにいた。 しかし、彼はなぜか千尋を知っており、千尋のことを覚えているのだという。 一方、千尋には、ハクの正体に心当たりがない。 豚にされた両親を助けるため、油屋で働き始めた千尋だったが、彼女は人間であるために油屋の者たちから疎まれ、強烈な異臭を放つ客の相手まで押し付けられる。 しかし彼女の実直な働きにより、客から大量の砂金が店にもたらされると、千尋は皆から一目置かれる存在になる。 千尋はその客から不思議な団子を受け取る。 翌日、ハクは湯婆婆の言いつけにより、彼女と対立している双子の姉の銭婆(ぜにーば)から、魔女の契約印を盗みだす。 しかし、銭婆はハクを追ってきて魔法で重傷を負わせ、湯婆婆の息子である坊(ぼう)もネズミに変えてしまう。 千尋はハクに不思議な団子を飲ませて助けるが、ハクは衰弱してしまう。 千尋はハクを助けたい一心で、危険を顧みず銭婆のところへ謝りに行くことを決意する。 そのころ油屋では、カオナシという化け物が従業員を飲み込んで暴れていた。 カオナシは千尋から親切にされたことがあり、金や食べ物で千尋の気を引こうとするが、彼女が興味を示さないので激怒する。 千尋は不思議な団子をカオナシに飲ませて従業員を吐き出させ、感謝される。 千尋は、カオナシとネズミになった坊を伴って銭婆の家を訪れる。 銭婆は千尋を穏やかに受け入れる。 一方、意識を取り戻したハクは、坊が銭婆のところへ行ってしまうことを湯婆婆に伝える。 ハクは、坊を連れ戻してくることを条件に、千尋と両親を解放するよう約束を迫り、帰る手段のなかった千尋を迎えに行く。 ハクは銭婆から許され、千尋と共に油屋へ帰る。 その途中で、千尋は自分が幼いころに落ちた「川」がハクの正体であることに気づく。 幼いころハクの中で溺れそうになったとき、ハクは千尋を浅瀬に運び、助けあげた。 千尋がハクの名前に気づくと、ハクも自分の名前を取り戻す。 油屋に帰ったハクは、千尋と両親を解放するよう湯婆婆に要求する。 従業員たちも、今度は千尋の味方である。 湯婆婆は、油屋の前に集めた豚の中から両親を言い当てろと難題を課すが、千尋はこの中に両親はいないと正解を言い当てて自由となり、従業員たちに祝福されながら油屋を去る。 ハクは千尋を途中まで見送り、自分も湯婆婆に暇を告げて元の世界に戻るつもりであると伝え、再会を期して別れる。 人間に戻った両親は、最初のトンネルの前で、なにごともなかったかのように待っていた。 もとの世界に戻った千尋が振り返ると、トンネルは来たときとは違う姿に変わっていた。 荻野家の一人娘。 すぐ卑屈になって我侭を言ったり両親に頼ろうとする典型的な都会育ちの一人っ子、現代っ子気質。 10歳の少女。 髪は焦げ茶色の。 私服はクリーム色と黄緑色のに赤色の半ズボンを穿いている。 両親と共にに迷い込む。 神への料理を口にした罰を受けてにされてしまった両親を人間に戻し、元の世界に帰るために湯屋「油屋」の経営者である湯婆婆と契約を交わし、名前を奪われ「千」となって湯屋で働くことになる。 初めは仕事の手際も悪かったが、湯屋での経験を通じて適応力や忍耐力を発揮していく。 物語の中盤ではこれからどうしたらいいのか分からずいじけていく中、ハクが差し出した「千尋の元気が出るようにまじないをかけて作った」を食べ、ずっと自分を心配してくれていたハクの優しさと思いやりに触れた事で、声を上げて泣きじゃくるほど感情を露わにする。 オクサレ様を接客した際には、最初こそ鼻を摘んで湯婆婆に叱られたり、ヘドロ塗れのお金を受け取って悲鳴を上げて身震いしていたが、体から大量の廃棄物を引っ張り出して中の河の神を救い出す。 映画終盤では暴れるカオナシを鎮め、坊の親離れに一役買い、傷ついたハクを救うなど活躍する。 龍の姿のハクにニガダンゴ を食べさせたときには、力づくでハクの口をこじ開けている。 千尋が油屋に迷い込んだ期間は宮崎のインタビューでは三日程度としている。 に自分の名前を書くシーンでは、「荻」ではなく「 获」と書いている。 千尋役のオーデションには女優のも参加していた。 外見年齢は12歳。 魔法使いの見習いで、湯婆婆の弟子であり、また番頭として湯屋の帳場を預かってもいる。 作中で初めて千尋と会ったときから彼女の力になる。 釜爺によれば、千尋同様忽然と湯屋に現れ、湯婆婆の弟子になることを懇願したという。 釜爺は「魔女の弟子など、碌な事は無い」と反対していたが止め切れず、その後は湯婆婆の手足として利用されるようになった。 中盤以降、白龍の姿でも登場する。 その正体は、千尋が以前住んでいた家の近くを流れていた「コハク川」という川の神だった。 本名は「 ニギハヤミコハクヌシ」(英語版では Kohaku River とされている)。 最終的に千尋の尽力で本来の自分の名前を取り戻し、湯婆婆の支配と銭婆の呪詛から救われる。 千尋が解放された後は湯婆婆に話を付けて弟子を辞めると語り、いつか千尋に会いに行くと約束した。 千尋の家族 [ ] 荻野 明夫(おぎの あきお) 声 - 千尋の父親。 38歳。 建築会社に勤める サラリーマン。 愛車は。 体育会系で 、良くも悪くも肝の据わった性格で、基本的にどんな事にも物怖じしない反面、後先考えない行動をとってしまいがちな浅慮な一面も強い。 引っ越しのときには道をよく確認しないままどんどん進んでしまい、いつの間にか不思議の町に迷い込むが、千尋や悠子の制止を聞かずに面白がって進み続け、結果的に千尋が異界に迷いこませてしまう直接の原因を作った。 挙句に町の飲食店に迷い込んだ際、勝手に食事に手をつけてしまい、豚の姿に変えられてしまった。 最終的に元の姿に戻ったが、豚になっていたときの記憶は無くなっており、落ち葉に埋もれた愛車を見つけて驚いていた。 モデルは日本テレビので、千尋のモデルとなった奥田千晶の父。 車の運転や食事シーンに奥田の個性が反映されている。 荻野 悠子(おぎの ゆうこ) 声 - 千尋の母親。 35歳。 不思議の町に迷い込んだ際、夫につられて勝手に食事に手をつけてしまい、夫と一緒に豚の姿に変えられてしまった。 作中で名前は明らかになってはいない。 やや自分勝手な夫に苦慮しながらも、さり気なく夫に寄り添う仕草を見せる。 娘の千尋に対してはドライに振る舞うことが多いものの、千尋を心配したり、気にかけてくれるなど、面倒見が良く温かい面を持ち合わせている。 夫同様、最終的に元の姿に戻った。 モデルはジブリ出版部に勤務する女性。 湯婆婆とその関係者 [ ] 湯婆婆(ゆばーば) 声 - 湯屋「油屋」の経営者で正体不明の老。 二頭身という人間離れした体格で顔も大きい。 強欲で口うるさく、老獪な人物として描かれている。 その一方で息子の坊を溺愛しており、ハクに指摘されて坊が行方不明になったことに気付き、ハクに詰め寄るほどに激しく取り乱していた。 の世界から迷い込んできた千尋を最初こそ拒否していたが雇い、名前を奪って「千」と呼ぶ。 油屋が閉まる明け方になると黒いマントに身を包み、コウモリのような姿になって湯バードと共に彼方へ飛び去っていく。 弟子のハクを呪い のような黒いあやつり虫 で操り、銭婆の持つ魔女の契約印を盗ませる などの悪行に加担させている。 悪事も辞さない横柄な性格だが、一方で経営者としての度量と心意気も持ち合わせており、河の神の穢れを清めて大量の砂金の儲けをもたらした千尋を褒め称え、怖気付いた従業員達に千尋を見習うようたしなめている。 他にも、横暴な態度の客の撃退を試みたり、経営者として腐れ神やカオナシなどの客への対応を自ら行うなど、全てを従業員に任せっ放しというわけでもない。 最後は千尋に対し、「数頭いる豚の中から両親を当てられたら自由にする」という条件を課すが、実は罠に引っ掛けようと全頭豚にされた両親のダミーを用意したが、千尋に「ここには両親はいない」と気付かれ、契約書が消滅してしまい、豚にされたダミーも元の姿に戻る。 嫌々な顔で負けを認め、人間界へ帰らせた。 千尋に御礼を言われた際には顔を背けていたが、湯屋から去っていく千尋を静かに見送っている。 銭婆(ぜにーば) 声 - 夏木マリ 湯婆婆の双子の姉で坊の伯母。 声や容姿、服装、髪型まで湯婆婆と瓜二つで、甥の坊が母である湯婆婆と間違えてしまうほど。 彼女と同様に強力な魔力を持つ魔法使いである。 紙やなど無生物に魔力を吹き込んで使役しながら「沼の底」という寂れた田舎に住んでいる。 本人曰く「私たちは二人で一人前」だが、姉妹仲はお世辞にも良好とは言えず、妹からは性悪女呼ばわりされている。 口調は湯婆婆と同じで、釜爺にも「あの魔女は怖い」と評されている。 自身に害を及ぼす者には容赦はせず、湯婆婆の差し金で魔女の契約に用いるを盗み出したハクに紙の式神を差し向けて痛めつけたり、判子を盗んだものは死ぬまで命を食い散らす守りの呪い をかけるなど、評判通り恐ろしい人物であるような印象を見せたが、実際は穏やかな心優しい性格で、千尋に対しても「助けてやりたい(が、自分にはどうする事も出来ない)」と言う等、強欲な妹よりも物解かりのよい気質である。 ハクに代わって謝罪しにきた千尋を快く家に迎え入れて、カオナシやネズミ、ハエドリ達も同様にもてなした上で優しく接し、カオナシとネズミ・ハエドリとともに紡いだ手製の髪留め を贈り、湯屋へ送り出す。 その際に迎えにやってきたハクのことも快く許した。 また、行くあての無いカオナシを「ここにいて私の手助けをしてくれ」と引き取るなど、面倒見もよい。 赤い腹掛けをした巨大なで、銭婆に「太りすぎ」と評される肥満体型。 怪力の上、甘やかされて育てられている為、性格はかなり我儘。 癇癪を起こすと暴れ泣き喚き、部屋を破壊する。 物語の中盤で、銭婆の魔法によって小太りのネズミに姿を変えられる。 湯婆婆の過保護のもと部屋から出ずに暮らしていたが、千尋と出会って初めて外界を冒険し、精神的に成長する。 ネズミの姿の際の移動は、同じく銭婆に小さなハエドリに姿を変えられた湯バードに運んで貰っているが、ハエドリが飛び過ぎて疲れ果てた際は、彼を乗せて自ら歩行を行う事もある。 途中で、銭婆の魔法の効力は無くなっていたため、自らの意思で元に戻れるようになっていたが、湯屋に戻って千尋と湯婆婆が対峙する時までネズミの姿で行動している。 ネズミの姿をしていた際に湯婆婆と会っているが、自分だと気付くどころか、汚いものを見るような態度や言動をされた事に対して、悲しげな表情を見せたあと、怒りを露にした表情を見せている。 湯婆婆の息子だが「お母さん」や「ママ」とは呼ばず、「ばぁば」と呼ぶ。 また、千尋達と共に油屋に戻った際は、頑なな態度で千尋と両親を人間世界に戻す事を拒否する湯婆婆を「ばぁばのケチ、もう止めなよ」と諌めている。 頭(かしら) 湯婆婆に仕える、緑色の頭だけの怪物。 中年男性のような容貌で、跳ねたり転がりながら移動する。 言葉は話せず、「オイ」と声をあげるのみだが、感情はあるようで、坊が部屋から出てきた際には怯える姿を見せている。 作中では銭婆の魔法によって坊の姿に変えられるが、お菓子をむさぼり食うその姿に違和感を覚えた湯婆婆によって元の姿に戻されてしまい、正体が露見した後はドアを開けて逃亡した。 またネズミと化した坊とハエドリの湯バードを叩き潰そうとしていた。 いつも三つ一緒に行動している。 元々このような姿なのか、湯婆婆に魔法で姿を変えられたのかは不明。 常に湯婆婆につき従っている。 言葉は話せず、のような鳴き声を発する。 中盤で銭婆の魔法でハエのように小さい鳥(ハエドリ )にされ、以降は終始この姿で行動する。 ネズミに変えられた坊を足で掴んで飛ぶこともできる。 湯婆婆がネズミとなった坊と会った際、気付かずに邪険な態度と言動を見て、坊と共に批判的な表情を見せている。 ネズミになった坊とは違い、元の姿に戻りたくないようで 、最後までハエドリの姿だった。 「湯バード」という名前は劇中では呼称されない。 油屋の従業員 [ ] 従業員の大半はカエル(男衆) とナメクジ(女衆) であり 、ヘビ と合わせての関係にある。 釜爺(かまじい) 声 - 油屋のボイラー室を取り仕切っている黒眼鏡をかけた老人。 のような姿で、伸縮可能な6本の腕・手を自在に操り 、油屋で使われる湯を沸かし、薬湯のを調合する仕事をしている。 休憩時間の際は、リンからもらった付きのを頬張っている。 人間に対する差別意識は希薄で唐突にボイラー室に現れた千尋に対し、厳しめの態度を取りながらも、人間である彼女がいる事に騒ぐリンに「儂の孫だ」と庇うなど彼女を気遣い、リンに湯婆婆のところへ連れてくように頼む。 その後も傷付いたハクを介抱し、銭婆の所へ行こうとする千尋に40年前に自分が使い残した電車の切符を渡すなど、千尋をサポートする。 部下にを運ぶがいる。 前述の通り、仕事には厳しいが、千尋には優しい一面も見せる。 劇中では湯婆婆と直接絡むシーンは無いため、お互いの関係は不明だが、かなり昔から湯屋に勤めている人物である。 リン 声 - 油屋で働いている娘。 外見年齢は14歳。 一人称は「俺」、もしくは「あたい」。 口調は荒っぽいが性格はサッパリとした姉御肌。 人間である千尋を初めて見た時は驚いて当惑し、少々きつく当たっていたが、彼女の雇用が決まるとハクから半ば押し付けられる形であったとはいえ、雇用してもらえるよう奮闘した千尋に対し「上手くやったなぁ」と彼女を認め、湯屋の先輩として千尋に色々と仕事を教えて面倒を見る。 出自は不詳で 、不本意ながら湯屋で働く自分の運命を呪っており、いつか湯屋を出て海の向こうの街に行く事を夢見ている。 そのため、雇い主である湯婆婆に対する敬愛の念などは無く、上司であるはずのハク・父役・兄役らに対してもタメ口で話す。 彼女の他にも人間の娘と全く変わらぬ外見をした湯屋で働く下働きの娘が何人かいる。 他の従業員は人間である千尋を差別的に嫌っているが、彼女にはそういった偏見は無く、千尋に対しても他の従業員と同等に接している。 カオナシに対しては「千に何かしたら許さないからな」と叫んでいた。 好物はの黒焼き(油屋では貴重な品で、従業員はみなイモリの黒焼きに目がない)。 父役(ちちやく)、兄役(あにやく)、番台蛙(ばんだいかえる) 声 - (父役)、(兄役)、(番台蛙) それぞれ油屋の従業員たちと湯婆婆との間の中間的役割を担っており、父役はハク以外の従業員の中で最も地位が高く、兄役はその下という位置づけ。 番台蛙は番台に座り、様々な薬湯の札を渡す役割を担っている。 いずれもの化身。 それぞれ、上には諂い下には威張るような態度を取るキャラクターとして描かれている。 下の者を見下す傾向にあり、特に人間である千尋を毛嫌いしている。 兄役は、カオナシが客として振舞っていたときにもしていた。 些細な誤解から機嫌を悪くしたカオナシに蛞蝓娘と共に飲み込まれてしまうが、千尋がニガダンゴを食べさせたことで救出される。 カオナシを追い払ってからは、父役共々千尋に対する態度を改め、同じように救出された青蛙とともに湯婆婆から千尋を庇う姿を見せている。 青蛙(あおがえる) 声 - 湯屋で下働きをしている。 金に目がなくがめつい性格。 千尋が人間だと最初に気づいた。 大湯で砂金探しをしていた所、カオナシの手から出す大量の砂金(土塊)に目が眩み、最初に飲み込まれる。 その後はカオナシが言葉を発するために声を借りられていたが、千尋がニガダンゴをカオナシに食べさせた事で最後には吐き出される。 カオナシを追い払ってからは父役、兄役と共に「千のお陰で俺達、助かったんです」と千尋を庇う様子を見せている。 イガ栗のような形をした黒い実体。 釜爺からは「チビ共」と呼ばれている。 魔法の力でから生まれたらしく、常に働いていないと消えてしまうが、煤に戻ってもいつのまにか煤から生まれてくるらしい。 釜爺の指示でを抱えて運び、ボイラー室のに放り込むのが仕事。 休憩時間の際はを食事として与えられている。 千尋の服と靴を預かる等、釜爺と共に千尋を手助けする。 『』にも同名の生物が登場するが、本作に登場するススワタリと違って手足が無い。 その他 [ ] カオナシのコスプレ カオナシ 声 - 黒い影のような物体にお面をつけたような存在。 言葉は話せず「ア」または「エ」といったか細い声を搾り出すだけで、表情も無い。 コミュニケーションが取れないため、他人を呑み込んで声を借りる。 その際はお面の下にある口腔から話す。 普段は直立歩行だが、湯屋の従業員の青蛙を取り込んで巨大化した後は4足歩行に変わった。 相手が欲しい物を手から出す力を持ち、それを手にした瞬間にその人を飲み込んでしまう。 ただし、それは土塊が変化したものに過ぎなかった。 橋の欄干で千尋を見かけたときから彼女を求めるようになり、喜んでもらいたい一心で番台から薬湯の札を盗み、千尋に差し出した。 オクサレ様の一件の翌日に油屋に現れ、砂金を餌に従業員達を丸め込み、大量に料理を作らせて暴飲暴食し巨大化した。 千尋にも砂金を差し出したが断られ、兄役がやってきて説明すると逆上し、湯屋の従業員である兄役と蛞蝓女を飲み込んで肥大化していく。 その後千尋を呼び出し、対面するが彼女に拒絶され、更にニガダンゴを食べさせられすると同時に怒りで暴走し、千尋を追いかけている途中に飲み込んだ3人を全て吐き出して縮み、元の姿に戻る。 戻った後は大人しくなり、千尋について銭婆のところへ行き、銭婆の厚意でそのままそこに留まることになる。 英語版での名前は"No-Face"。 元々は重要キャラではなく、単なる「橋の上で単にハクの術で気配を消していた千尋が見えており、通り過ぎるだけの何か」程度であったが、宮崎駿が物語を進めるに当たって、後からキーパーソンになるキャラに起用した経緯を持つ [ ]。 鈴木敏夫によってがモデルであるとされていたが 、のちに米林本人が後づけであると否定している。 神々 における( やおよろずのかみ)で、疲れを癒そうと油屋を訪れる。 の名のとおり、姿形・性質・性格は様々。 おしら様 声 - における「」をモデルとしており、作中では、福々しく肥え太った真っ白なの神として描かれている。 裏返したののような被り物をしている。 見も知らぬ千尋と突然出逢うことになったが、驚くことも物怖じすることもなく、付き添えなくなったリンに代わって、湯婆婆の所へ赴く千尋に付き添ってくれる。 その後は、を持ってを楽しんだり、正装らしき衣装を着て帰る千尋を見送ったりしている様子が描かれている。 2柱( ふたはしら)同時に映るシーンが作中にある。 民俗上の「おしら様」と同様なら、複数柱いると言うか、そもそもおしら様は、例えば毎年のを数えないのと同じく、数で捉える存在ではない。 春日様(かすがさま) 現実世界における( かすがのかみ。 の)をモデルとしてはいるが、描かれ方は完全オリジナルに近い。 1柱( ひとはしら)ではなく、続々と参集する様子が描かれており、少なくとも数十柱が訪れている。 人間様の姿をしていながら身体は見えず、それでいて物にを落とす。 見えない体に風のと和の( こきあけ)の官衣を纏い、見えない顔には舞楽面の一種である蔵面( ぞうめん)を被っている。 蔵面はの曲目ごとに描かれる顔の図柄が異なるが、作中のものは曲目『蘇利古( そりこ)』に用いられる蔵面である。 移動するのに歩いている様子はなく、中空を浮いて滑るように動く。 春日様が列をなして風呂に向かう場面では服を脱いで動いており、宙に浮いた蔵面と体の影が移動しているように見える。 硫黄の上の湯に入っている。 おしらさまと連れ立ち、扇子を振って千尋を讃えている様子も描かれている。 牛鬼 大きな頭にののような枝角を生やした、ずんぐりむっくりな体形の。 モデルは民俗・伝承上の「」とされているが、性格的にも造形的にも、原形の禍々しい・牛鬼ではなく、地方祭で親しまれているほうの牛鬼( cf. )を指していると思われる。 オオトリ様(オオトリさま) のまま生まれてこられなかったの神様。 モデルは存在しない。 大所帯で風呂に入っている。 おなま様(おなまさま) 民俗における「」がモデル。 二本角のの姿、手にはを持ち、を羽織っているのもなまはげと変わらないが、蓑はではなく木の葉でできている。 水に溶けた流動性の高いが集まって巨大な一塊になったような姿をしていて、這うように移動する。 動くたびに泥が体の表面を流動する。 その泥はとをたっぷり呑み込んだで、それゆえに凄まじいを放つ。 その臭気は少し離れた所で見ていたリンが調達してきた飯を一瞬で腐らせるほど危険なもので、湯婆婆を始めとする湯屋の者はみな慌てふためきながら迎え入れることになる。 これほどの穢れには特別な薬湯( くすりゆ)が必要とあって湯番( ゆばん)の千尋はその準備を急かされるが、しくじって浴槽に転落し、底に溜まっている湯泥に頭から埋まってしまう。 逃れようともがく千尋の体を引き抜いて助け出してくれたのはオクサレ様であった。 湯屋の皆はオクサレ様を「 腐れ神(くされがみ)」 と決めつけて、迎え入れはしても近付こうとしなかったが、千尋だけはすぐ側で甲斐甲斐しくお世話をした。 その結果、オクサレ様の体に刺さって抜けない( とげ)のようなごみに千尋が気付き、それを引き抜いたことで、オクサレ様が長年に亘ってその身に抱え込んでいたごみや穢れが堰を切ったように吐き出され、神は本来の姿を取り戻す。 その姿は、河の流れそのものであろう半透明で不定形な長い龍のような体に、の「」にも通じるののような顔を持つ、好々爺然としながら神々しくもあるものであった。 河の神は歓喜し、湯屋の高所にある格式高いの扉から飛び去ってゆくが、去り際には世話になった千尋に謎の「ニガダンゴ」を授け、湯屋には大量の塊を残していった。 (ひとことぬし) 名称のみ登場する。 理砂(りさ) 名前のみ登場する。 千尋が引っ越す前の友達。 千尋が引っ越す時、「元気でね また会おうね」と書かれたお別れのカードを添えた花束をプレゼントした。 名前を奪われて「千(せん)」になってしまった千尋が、お別れのカードに書かれていた「ちひろ」という名前を見て、自分が「千尋(ちひろ)」であることを思い出す。 舞台 [ ] 湯婆婆が経営する、八百万の神が体を休める「油屋」(あぶらや)という屋号の湯屋が舞台。 油屋は一見和風建築であるが、土台部分はコンクリートであったり、やといった近代的な設備が備わっている。 和様に装っているのは表面部分だけであり、宮崎はこうした作りを「俗悪」と言い表す。 最下層にボイラー機械室、その上に従業員用のスペースがあり、湯婆婆とハク、釜爺以外の従業員達はそこで寝泊りする。 従業員の生活空間は崖側に配置されており、神々の出入りする正面側からは見えない。 油屋正面とその上階が営業スペースとなっている。 中に大きな吹き抜けがあり、下には様々な種類のが配置され、その上を取り囲むように宴会場や客室が配置されている。 さらに、その上には湯婆婆の個人宅があり、その部分は洋風の建築様式となっている。 千尋たちは最初に、時計台のような建物に迷い込む。 そこから先は、廃墟が点々とするなだらかな草原がしばらく続く。 その後小川を渡ると、食堂街に出る。 丘と街を区切る川は、昼は小川であるが、夜になり神々が訪れる時間になると草原全体を占める大河に変わり、そこを船が行き交う。 食堂街を抜けると大灯籠のある広場に出、そこから延びる橋が湯屋の正面入り口に繋がる。 食堂街の周りには、両親の収容されている畜舎や冷凍室、花園などが配置されている(花園では季節の異なる花々が同時に咲き乱れている )。 湯屋の方から見ると、畜舎は突き出た絶壁の上に建っていることがわかる。 町と湯屋をつなぐ橋の下は巨大な平原になっており、雨が降ると海になる。 橋の下には 海原電鉄(はない) が走っている。 の一方通行で、専ら行きっぱなしである(釜爺によれば、昔は帰りの電車も通っていたという)。 途中には千尋が降りる「沼の底」駅があり、ほかに乗客の降りる沼原駅なども出てくる。 声の出演 [ ] 英語版はのが製作総指揮を手掛け、4人の翻訳家が英語版台本を作成し、カーク・ワイズが演出を手がけた。 キャラクター 日本語版 英語版 荻野千尋 ハク 湯婆婆 銭婆 釜爺 カオナシ リン 坊 荻野明夫 荻野悠子 父役 兄役 青蛙 ボブ・バーゲン 番台蛙 河の神? 役不明 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、 ミッキー・マクガワン、、ジャック・エンジェル、、ボブ・バーゲン、、ロジャー・バンパス、、、、ポール・エイディング、 スタッフ [ ]• 製作総指揮:• 製作::、、、、、、• 原作・脚本・監督:• 音楽・指揮・ピアノ演奏:• 作画監督:・・• 原画 : ・山田憲一・松瀬勝・芳尾英明・・中村勝利・小野田和由・鈴木麻紀子・松尾真理子・田村篤・・藤井香織・山田珠美・・・・・古屋勝悟・倉田美鈴・山形厚史・君島繁・山川浩臣・・・・・古川尚哉・・大城勝・・・・高野登・・石井邦幸・山内昇寿郎• 動画チェック:・鈴木まり子・斎藤昌哉・大橋実• 動画協力:アニメトロトロ、、、、グループどんぐり、、、、、、スタジオムサシ、スタジオ・ブーメラン、、、ラジカル・パーティー、キリュウ、、、、LIBERTY SHIP、• 美術監督:• 美術監督補佐:• 背景:・平原さやか・福留嘉一・・春日井直美・伊奈涼子・長田昌子・石原智恵・矢野きくよ・糸川敬子・・斎藤久恵・菊地正典・長縄恭子・佐々木洋明・• (永井一男)• (、久保田正宏)• 色彩設計:• 色指定補佐:山田和子・野村雪絵• デジタル作画監督:• 映像演出:• 録音演出:• 整音:井上秀司• 編集:• 編集助手:水田経子・内田恵・武宮むつみ• 制作担当:• プロデューサー補:• 特別協力:・• 宣伝プロデューサー:• 製作担当:・福山亮一• 制作:• プロデューサー:• 配給: (以上、特に注記のないものは, pp. 102-103より抜粋) 製作 [ ] 企画 [ ] 企画書脱稿までの経緯 [ ] 宮崎駿はに山小屋を持っており、毎年夏になるとジブリ関係者の娘たちを招いて合宿を行っていた。 宮崎は子どもたちを赤ん坊のころから知っており、「幼いガールフレンド」という言い方もしている。 少女たちは宮崎を「お山のおじさん」と呼んでおり、その頃はまだ映画監督とは思っていなかった。 『もののけ姫』公開直後の1997年8月、制作に疲れ果てた宮崎は山小屋で静養し、「幼いガールフレンド」たちの訪問を楽しみにしていた。 同年9月ごろ、宮崎に次回作への意欲が灯りはじめる。 山小屋には『』や『』といった雑誌が残されていた。 宮崎は過去にも、山小屋に置かれていた少女漫画誌から映画の原作を見つけ出している(『』や『』)。 しかし今回は、漫画の内容が恋愛ものばかりであることに不満を抱いた。 山小屋に集まる子どもたちと同じ年齢の、10歳の少女たちが心に抱えているものや、本当に必要としているものは、別にあるのではないか。 美しく聡明なヒロインではなく、どこにでもいるような10歳の少女を主人公に据え、しかも安易な成長物語に流れないような映画を作ることができるのではないか。 少女が世間の荒波に揉まれたときに、もともと隠し持っていた能力が溢れ出てくるというような、そんな物語が作れるのではないか。 このように考えた。 当時宮崎は、思春期前後の少女向け映画を作ったことがなかったので、「幼いガールフレンド」たちに向けて映画をプレゼントすることが目標になった。 宮崎は『』(1972年)のとき、自分の子供を楽しませようという動機でアニメーションを制作した。 顔の浮かぶ特定の個人に向けて映画を作るという経験はそれ以来のことだった。 しかし宮崎駿は、『』の製作中からしきりに監督引退をほのめかしており、1997年6月の完成披露試写会以降、「引退」発言はマスメディアを賑わせていた。 当時はまだ引退の心づもりは変わらず、次回作ではシナリオとは担当しても、監督は別人を立てるつもりでいた。 1998年3月26日、スタジオジブリの企画検討会議で、『』(1975年、講談社)が案に挙がる。 小学6年生の少女が「霧の谷」を訪れ、魔法使いの末裔たちが営む不思議な商店街で働きはじめるという筋のファンタジー小説だった。 この原作は以前から企画検討にかけられており、1995年の『』では天沢聖司が『霧のむこうのふしぎな町』を読む場面が組み込まれている。 宮崎は、柏葉の原作をもとに『ゴチャガチャ通りのリナ』というタイトルで企画に取り組む。 しかし、これは早々に断念された。 宮崎の事務所「」のアトリエ、および宮崎の愛車。 2016年。 次に、新企画『煙突描きのリン』がはじまった。 1998年6月、のスタジオジブリ付近に事務所「」が完成、宮崎の個人事務所のアトリエとして使われることになった。 宮崎はここで新企画に取り組みはじめた。 『煙突描きのリン』は、大地震に見まわれた東京を舞台にした映画で、銭湯の煙突に絵を描く18歳の画学生、リンが、東京を影で支配する集団と戦うという物語であった。 作品の背景には、現代美術家の影響があり、荒川をモデルにした登場人物も用意されていた。 宮崎は1998年にを訪れて気に入り、荒川とも対談して意気投合している。 プロデューサーのによれば、リンと敵対する集団のボスは宮崎自身が投影された60歳の老人であり、しかもこの老人と18歳の主人公のリンが恋に落ちる展開が用意されていたという。 1998年6月から約1年間進められた『煙突描きのリン』の企画は、1999年8月、突如廃案になった。 鈴木敏夫によれば、次のような出来事があったという。 鈴木は、1998年に公開されヒットしていた映画『』(監督)を遅れて鑑賞する。 若手の監督によって同時代の若者の気分がリアルに表現されていることに衝撃を受け、同時に、宮崎の描く若い女性が現代の若者像として説得力を持ちえるのかどうか疑問を抱く。 鈴木は映画を観たその足で宮崎のアトリエに赴いた。 すでに『煙突描きのリン』の企画はかなり進んでおり、アトリエの壁面には数多くのイメージボードが貼りつけられていた。 イメージボードとは、作品のおおまかなイメージをスタッフと共有するために、アニメの代表的なシーンをラフに描き起こしたスケッチである。 しかし鈴木はそれには触れず、『踊る大捜査線』の話をしはじめた。 宮さんは僕の話を聞きながら、すっと立ち上がり、壁に貼ってあったイメージボードを一枚一枚はがし始めました。 そして、全部まとめて、僕の目の前でゴミ箱の中にバサッと捨てたんです。 あの光景はいまでも忘れられません。 「この企画はだめだってことだろう、鈴木さん」 — 鈴木敏夫、, p. 56 宮崎はその場ですぐ、「千晶の映画をやろうか」 と提案した。 「千晶」とは、本作の製作担当であるの娘、奥田千晶のことである。 奥田誠治はの社員で、宮崎の友人のひとりだった。 奥田千晶は毎年夏に宮崎の山小屋に滞在する「幼いガールフレンド」のひとりであり、鈴木とも親しかった。 さらに宮崎は、作品の舞台をにすることを提案した。 江戸東京たてもの園はスタジオジブリにほど近い場所にあり、宮崎・鈴木・らの日常的な散歩コースになっていた。 身近な場所を舞台に、親しい子供のための映画を作るという宮崎の提案に、鈴木は首を縦に振らざるをえなかった。 ある夏、宮崎らが山小屋の近くの川に沿って散歩をしていると、千晶がピンク色の運動靴を川に落としてしまった。 千晶の父と宮崎・鈴木は必死で靴を追いかけ、川から拾い上げた。 このエピソードは宮崎の印象に残り、『千と千尋の神隠し』のクライマックスの場面で直接的に使われている。 幼いころの千尋はハク(コハク川)から靴を拾おうとして川に落ちたが、そのときの運動靴はピンク色である。 また、この靴は、エンドクレジット後の「おわり」のカットでも作画されている。 企画は当初、「千の神隠し」という仮題でスタートし、主人公の名前もそのまま「千晶」になっていた。 しかし、「教育上よくない」という理由で、「千尋」と改められた。 1999年11月2日、企画書 が書き上げられた。 宮崎は企画書の中で大きく分けて次の3点の意図を掲げている。 現代の困難な世の中で危機に直面することで、少女が生きる力を取り戻す姿を描く• 言葉の力が軽んじられている現代において、「言葉は意志であり、自分であり、力」であることを描く(千尋は湯婆婆に名前を奪われ、支配されてしまう)• 日本の昔話の「直系の子孫」として、日本を舞台にするファンタジーをつくる 「千尋が主人公である資格は、実は喰い尽くされない力にあるといえる。 決して、美少女であったり、類まれな心の持ち主だから主人公になるのではない」とし、その上で、本作を「10歳の女の子達のための映画」と位置づけている。 『千と千尋の神隠し』は、『霧のむこうのふしぎな町』、『ゴチャガチャ通りのリナ』、『煙突描きのリン』の影響を部分的に受けてはいるが、キャラクターやストーリー展開の面では完全なオリジナルになった。 本作の制作は、12月13日にが公開した配給作品ラインナップで公にされた。 制作過程 [ ] 1999年11月8日、宮崎駿はメインスタッフに向けて説明会を行う。 11月12日にはジブリ全社員を集めて作品についてレクチャー。 翌週から監督は作業に入り、メインスタッフたちも本格的な制作準備に入った。 2000年2月1日、宮崎は社内に打ち入りを宣言、作画打ち合わせがスタートした。 作画班の体制 [ ] にはが起用された。 安藤は『』で26歳にして作画監督に抜擢された。 しかし、鈴木敏夫の回想によれば、『もののけ姫』の制作終了後、安藤は一度辞意を示しており、鈴木に慰留されていた。 宮崎のアニメーションがキャラクターを理想化・デフォルメする傾向が強いのに対して、安藤はリアリズムを希求し、映像的な快楽を優先して正確さを犠牲にすることを許さなかった。 両者の志向は対立していた。 通常のアニメ作品では、修正は作画監督が行い、監督は直接関与しない。 しかし、宮崎駿監督作品の場合、宮崎がアニメーターの長として全体の作画作業を統括し、原画のデッサン・動き・コマ数などを先に描き直す。 このため、作画監督の仕事は宮崎のラフな線を拾い直す作業が主となる。 安藤は『もののけ姫』公開後のインタビューで、宮崎の作品では作画監督という肩書で仕事をしたくないと心情を語っている。 そこで鈴木は、次回作では「芝居」についても安藤のやり方で制作していいと認めることにした。 宮崎自身も、『もののけ姫』の制作で加齢による体力の低下を痛感し、すでに細かな作画修正作業を担いきれない段階にあると考え、作画の裁量を安藤に委ねる方針を取った。 それだけでなく、を安藤に任せる案もあった。 宮崎が絵コンテを描いた『』でが監督を担当した前例もあり、同様の制作体制が取られる可能性もあった。 少なくとも『ゴチャガチャ通りのリナ』の段階では、演出を安藤に任せるつもりでいたという。 しかし、当の安藤は宮崎の絵コンテで演出をするつもりはなく 、結局は宮崎が監督することになった。 原画は過去最大規模の37人体制になった。 しかし、当時ジブリ社内の原画陣は過去に例がないほど脆弱で 、特に中堅のアニメーターの層が薄かった。 これに加えて、フリーで活躍しているアニメーターを積極的に受け入れ、宮崎駿の中になかった表現を取り入れたいという安藤の意向もあり 、やといった実力派のフリーアニメーターが参加した。 チェックチーフは。 舘野は『』から『』までのすべての宮崎監督作で動画チェックを務めている。 動画班は最終的に、国内スタッフが99人、韓国の外注スタッフが27人、計126人が動員された。 カオナシがメインキャラクターに [ ] 宮崎駿は、長編映画制作の際、事前にシナリオを用意しない。 を描きながらストーリーを構想し、各スタッフは絵コンテがすべて完成する前から作業を進めていく。 その間は監督自身でさえも作品の全容を知らない。 本作では、絵コンテが40分ほど完成したところで転機が訪れた。 2000年のゴールデンウィーク中のある日 、その日は休日だったため、多くのスタッフは出勤していなかったが、プロデューサーの鈴木敏夫、作画監督の安藤雅司、美術監督の武重洋二、加えて制作担当者がたまたま居合わせた。 宮崎はホワイトボードに図を描きながら、映画後半のストーリーを説明しはじめた。 千尋は湯屋で働きながら湯婆婆を打倒する。 ところが、湯婆婆の背後には銭婆というさらに強力な黒幕がいたことが判明する。 ハクの力を借りて銭婆も倒し、名前を取り返して両親を人間に戻す。 このような流れである。 しかし、この案では上映時間が3時間を超えてしまうという意見が出た。 鈴木は公開を一年延期しようと提案したが、宮崎と安藤はこれを否定。 上記のプロットは破棄されることになった。 宮崎はそこでとっさに、千尋が初めて湯屋に入るシーンで欄干のそばに立っていたキャラクターを話題にした。 当初カオナシは、「何の予定もなくてただ立たせていただけ」 だったが、映像にしたときに奇妙な存在感があり、宮崎にとって気になるキャラクターになっていた。 宮崎は即席で、湯屋でカオナシが大暴れするストーリーを語った。 これが採用されることになり、絵コンテ執筆は大きく転換した。 湯婆婆を退治するという展開は立ち消え、代わりに千尋とカオナシの関係にスポットライトが当たることになった。 安藤と宮崎の緊張関係 [ ] 当初は予定通り安藤雅司が作画工程を統括し 、原画修正を任されていた。 鈴木敏夫の約束通り、宮崎駿はタイミングのみをチェックした。 しかし、日を追うにつれ、宮崎と安藤の間の溝は次第に深まっていった。 宮崎は「どこにでもいる10歳の少女を描く」というコンセプトを掲げた。 安藤はこの方針に可能性を感じ、今までの宮崎駿監督作にはなかったような現実的な空間を作り上げることで、ジブリアニメに新しい風を吹きこもうとした。 そのような試みのひとつが「子供を生々しく描く」ということだった。 安藤が用意した千尋のキャラクター設定は、背中が曲がり、無駄の多い緩慢な動作に満ち、表情はぶうたれていて喜怒哀楽が不鮮明だった。 これは従来宮崎が描いてきた少女像からかけ離れたもので、とりわけ、目の描き方が一線を画していた。 序盤のは、千尋の不機嫌なキャラクター性を反映してゆっくりとした展開となった。 しかしながら宮崎は、千尋がグズであるがゆえに先行きの見えてこない物語に苛立った。 絵コンテでは、千尋が湯屋で働きはじめるまでの段階で、すでに40分が経っていた。 そこで、中盤以降は一気にスペクタルに満ちた展開に舵を切った。 千尋も序盤とは打って変わってデフォルメされた豊かな表情を見せ、きびきびと行動するようになった。 そこには、旧来通りの、宮崎らしい、理想化されたヒロインがいた。 安藤はこの方向転換に「違和感と失望」 を抱いたが、それでもなお緻密な修正を続け 、作画監督の通常の仕事範囲を超えて段階でもチェックを行い、場合によっては動画枚数を足すなど 、身を削って作業を進めた。 カットの増加・作画作業の遅延によって補助的に作画監督(・)が増員されたが 、最終チェックはすべて安藤が担った。 結局は宮崎も、当初の予定に反して、修正・原画修正を担うようになった。 宮崎の提示する演出意図と安藤の指示の食い違いに戸惑うスタッフは多かったという。 安藤は制作終了後のインタビューで、最終的には作品と距離をおいた関わり方になってしまったこと、全体としては宮崎の作品の枠を出ることができなかったこと、当初自分で思い描いていた作品はどうしても実現できなかったことを振り返っている。 しかし、宮崎は「安藤の努力と才能がいい形で映画を新鮮にしている」と評価しており 、鈴木は宮崎と安藤の緊張関係によって画面に迫力がみなぎるようになったと語る。 安藤は本作を最後にジブリを退職したが 、『』(2013年)にはメインアニメーターとして、『』(2014年)には作画監督および脚本(連名)としてジブリ作品に再び参加している。 作業の遅延 [ ] 2000年9月20日、スタジオジブリ社長、が死去。 10月16日、にてお別れ会。 宮崎は会の委員長を務めた。 葬儀に出席する喪服の男たちがみなカエルのように見えたと語っており、作中に登場するカエル男たちとの関係をほのめかしている。 徳間は作品の完成を見ずにこの世を去ったが、「製作総指揮」としてクレジットされている。 同時期、作画作業の遅延は深刻化していた。 前述の通り作画監督が増員されたのはこのころだった。 経験の浅い新人アニメーターに対しては「遅くとも1人1週間で1カットあげる」という目標を設定したが、それだけではとても公開に間に合わない計算になり、鈴木は頭を悩ませた。 社内で上げたカットは全体の半分程度にとどまり、残りは外注で仕上げた。 アニメーターのに依頼して実力のあるフリーアニメーターをリストアップしてもらい、支援を要請した。 動画・彩色は、国内の外注スタジオに委託しただけでは間に合わないということが明らかになった。 そこで、ジブリ創設以来はじめて、海外スタジオに動画と仕上を外注することを決断。 スタジオから4人を韓国に派遣した。 韓国のは動画・彩色を、は彩色を担当した。 両社の仕事は高品質で、納期も遵守された。 美術 [ ] 江戸東京たてもの園の子宝湯 美術監督は、美術監督補佐は。 美術班も作画部門と同様新人スタッフが多かったため、武重はほぼすべてのカットの美術ボード を描いた。 しかも、用途別に各カットごと3枚の美術ボードを描くほど念入りだった。 『』の作画監督であるベテランのは、主に不思議の町に入り込む前の世界、冒頭とラストシーンの自然環境の背景を一任され 、該当場面のモデルとなった周辺を独自に取材した。 湯屋の中の巨大な鬼の襖絵は吉田昇が担当した。 宮崎からは「どこか懐かしい風景」「のような擬洋風、の大きな壺」などの指示があった。 色については「とにかく派手に」 「下品なほどの赤」 という指定があり、随所にちりばめられた赤色と湯屋内部の金色がキーカラーになっている。 2000年3月17日には、でが行われた。 江戸東京たてもの園は、企画当初から作品の舞台とされていた場所である。 油屋のデザインについて、モデルとなった特定の温泉宿などは存在しない。 ただし、江戸東京たてもの園の子宝湯は宮崎お気に入りの建物で、特にの屋根に加えて玄関の上に唐破風(別の屋根の形式)を重ねる趣向、および内部のに描かれた富士山のタイル絵などの「無駄な装飾性」に魅了されたという。 また、ジブリの社員旅行で訪れたことのあるも参考にされた。 油屋の内装はが原形になっており 、他にの天井画、の壁面彫刻、広島の遊郭の赤い壁などが参考にされた。 釜爺の仕事場にあった薬草箱はの武居三省堂(文具屋)内部の引出しがモデルになっている。 油屋周辺の飲食店街は、新橋の烏森口や有楽町ガード下の歓楽街をイメージして描かれている。 従業員の部屋は、1950年代の劣悪な労働環境だったの女工たちの部屋や、隣接の内に再現された雑居部屋がモデルとなっている。 湯婆婆の部屋は、和洋の混じったや目黒雅叙園がモデルである。 台湾の台北近郊の町の一部商店主は宮崎駿が訪れスケッチをしたと主張しているが 、宮崎は台湾メディアのインタビューに対して九份を作品の参考にしたことはないと否定している。 CG・彩色・撮影 [ ] スタジオジブリでは『』(1999年)よりデジタル彩色が導入されており、本作は宮崎駿監督作品としては初めて、・撮影の工程がデジタル化された。 これに伴って宮崎は一部の役職を新しく命名し、CG部チーフだった片塰満則は「デジタル作画監督」に、撮影監督だったは「映像演出」になった。 『となりの山田くん』では水彩画調の実験的な彩色が行われたため、長編映画でデジタル彩色を用いて従来のセルアニメーションを再現していく作業は、ジブリにおいては実質的に初めての経験といってよかった。 この状況を踏まえて、作画・美術・デジタル作画・映像演出の各チーフによって「処理打ち合わせ」という会議が持たれ、各部署間での密接な連携が模索された。 たとえば、雨が降ったあとにできた海の描写はデジタル部門や撮影班の上げた成果である。 デジタル作画部門はほぼすべての背景動画 を担当した。 それ以外に、浮き上がる「荻野千尋」の文字や、川の神のヘドロ、海原電鉄から見た黒い人物の様子などを担当した。 映像演出部門では、現像を手掛けると協力して、独自のカラーマネジメントシステムを導入し、デジタルデータをフィルムに変換する際に色調が変化しないよう努めた。 また、本作は初期の上映作品であり、本来であればフィルム特有の画面の揺れは抑えられる環境にあったが、映像演出の奥井はあくまでフィルム上映を基本と考え、完成画面の上下左右に1センチの余裕を残して、シーンに応じてデジタルデータにわざとブレを加える工夫をした。 宮崎駿・とはに在籍していた1960年代からの知己であり、『』から『』に至るまで、すべての宮崎駿監督長編作品で色彩設計部門のチーフを務めている。 本作ではデジタル化により扱える色の量が飛躍的に増加した。 音楽 [ ] 詳細は「」を参照 音楽を担当したは、『』以降の宮崎長編作品をすべて手掛けており、『千と千尋の神隠し』で7作目。 公開に先駆け2001年4月にイメージアルバムが発売され、5曲のボーカル曲のすべてで宮崎が作詞した。 宮崎はイメージアルバムに収録されたピアノ曲「海」を気に入っており、久石は、この曲が海上を走る電車のシーンにうまく「はまった」ことを喜んだ。 本作ではのや、、、などのエスニックな楽器や現地の人が叩いたリズムのがふんだんに採り入れられ、フルオーケストラと融合するアプローチが行われた。 久石は「スタンダードなオーケストラにはない要素を導入しながら、いかに新しいサウンドを生み出していくか、というチャレンジを試みていた時期ですね」と述懐している。 主題歌 [ ] 詳細は「」を参照 作詞、作曲・歌はソプラノ歌手のによる「いつも何度でも」が主題歌となった。 しかし、この曲はもともと『千と千尋』のために書かれたものではない。 木村弓と宮崎の交流は、1998年夏ごろに木村が宮崎に書いた手紙に端を発する。 木村は前作『』を鑑賞して感銘を受け、自らのCDを添えて手紙を送った。 宮崎は木村に好感を持った。 当時宮崎は『煙突描きのリン』の企画中だったので、そのあらすじを書き添えたうえで 「作品が形になったら連絡するかもしれない」と返事した。 木村は『リン』の世界から刺激を受けてメロディを着想。 作詞家の覚に持ちかけて曲の制作に入った。 こうして、「いつも何度でも」は1999年5月に完成した。 しかし宮崎から連絡があり、『リン』の企画自体が没になったので、主題歌には使うことができないと伝えられる。 「いつも何度でも」はお蔵入りになりかけた。 『千と千尋の神隠し』の主題歌は、宮崎作詞・久石作曲の「あの日の川へ」になる予定だった。 イメージアルバムの1曲目には同名のボーカル曲が収録されている。 しかし、宮崎の作詞作業が暗礁に乗り上げ、不採用になった。 2001年2月、「いつも何度でも」を聞き直した宮崎は、「ゼロになるからだ」などの歌詞と映画の内容が合致することに驚き、急遽主題歌としての再起用を決める。 『千と千尋』を制作するにあたって「いつも何度でも」が潜在的な影響を与えたのかもしれない、と振り返っている。 シングル「いつも何度でも」の売上は50万枚以上を記録した。 着想の源 [ ] 企画書にある「あいまいになってしまった世の中」、「あいまいなくせに、侵食し喰い尽くそうとする世の中」の縮図として設定されたのが、湯屋という舞台である。 湯屋の勤務形態は夜型だが、スタジオジブリもまた夜型の企業であり、企業組織としての湯屋はスタジオジブリそのものがモデルになっている。 宮崎もスタッフに「湯屋はジブリと同じだ」 と説明し、ジブリ社内は「10歳の少女には魑魅魍魎の世界に見える」 と語った。 たとえば、湯婆婆はときどき湯屋から外出してどこか知れぬところへ飛んで行くが、この行動には、会議・出張などで頻繁にジブリからいなくなる鈴木敏夫のイメージが重ねられている。 インタビューによれば、宮崎はの少年労働を扱ったドキュメンタリー番組を見たことがあり、子供が労働することが当然である世界の現状を忘れたくなかったので、過酷な環境下で少女が労働を強いられるストーリーを執筆したと説明している。 ・は「湯屋はである」と指摘し 、作品スタッフの(動画チェック)も同様の発言をしている。 宮崎自身は、千尋が迷いこむ不思議な世界のイメージを伝える文脈で、学生時代に新宿の地帯付近を通りかかったときに見た「赤いライトの光景」についてスタッフに説明したという。 また、雑誌「プレミア日本版」2001年9月号のインタビューでも同様の発言があり、子供のころにはまだ残っていたの「赤いランタン」に触れたうえで、「日本はすべてみたいな社会になっている」「いまの世界として描くには何がふさわしいかといえば、それは風俗営業だと思う」 と語っている。 湯屋に大浴場がなく、個室に区切られていることについて質問されたときには、「いかがわしいこと」をするためであろうと答えている。 かつての日本の湯屋では、湯女による垢すりや性的行為が一般的に行われていた。 そして、鈴木の述懐によれば、企画の原点には鈴木と宮崎の間で交わされた「」についての会話があった。 その内容はこうである。 鈴木にキャバクラ好きの知人がいた。 この知人から聞いた話では、キャバクラで働く女性には、もともとコミュニケーションがうまくできないひとも多い。 客としてくる男性も同じようなものである。 つまりキャバクラは、コミュニケーションを学ぶ場なのである。 異性と会話せざるを得ない環境に放り込まれて働いているうちに、元気を取り戻していく(という従業員もいる)。 鈴木によれば、宮崎はこの談話をヒントにして湯屋の物語を構想した。 すなわち、千尋が湯屋で神々に接待していくうちに、生きる力を取り戻していくというストーリーである。 「神仏混淆の湯治場」という発想は、「霜月祭」がもとになっている。 この祭りは「十二月に神々を招いて湯を浴びさせる」というもので、様々な仮面を被った人々が多種多様な神々を演じて舞う神事である。 鈴木と宮崎は『』 でこの祭りを知り、着想を得た。 霜月祭は、に伝わる「」や長野県の(旧、旧)に伝わる「遠山の霜月祭」など、長野・愛知・静岡の県境にまたがる地域の各地で行われている。 また、の「清沢神楽」や静岡県の「湯立神楽」、愛知県北設楽郡の「花祭り」など「釜で湯を沸かして掛け踊る」というの祭事は、日本各地で行われている。 1994年春頃、宮崎は自宅付近を流れるドブ川を観察する。 川の中では、の幼虫が大量発生して、汚濁した水の中で懸命に生きていた。 宮崎はその様子を見て「今後の人間の運命」を感じる経験をした。 後に宮崎は地元有志とドブ川を掃除し、そのときの経験が汚れた河の神の内部から自転車などを引き出すシーンとして活かされた。 その後も川掃除は宮崎の習慣になっており、2016年に一般市民が制作したドキュメンタリー作品では、宮崎が川掃除などの地域の清掃活動に取り組む様子が収められている。 封切り [ ] 宣伝 [ ] 鈴木敏夫は、宣伝の量と上映館のキャパシティの両方を『』の倍にする計画を立てたと語っている。 鈴木を奮起させたのは、宮崎駿の息子、と、のの言葉だった。 鈴木は、前作に続いて今作でも大ヒットが続けば、宮崎がおかしくなってしまうのではないかと心配していた。 しかし、宮崎吾朗は、当時デザインに取り組んでいたの成功を望み、『千と千尋の神隠し』を前作の倍ヒットさせてほしいと言った。 のちに『』の主題歌を歌うことになる藤巻直哉は、2000年の秋頃に赤坂でばったり鈴木と出くわした。 当時、と博報堂は1作ごとに交代でに入っていたため、博報堂の担当者である藤巻は関わっていなかった。 藤巻はそこで次のようなことを漏らした。 次の作品は、『もののけ姫』の半分は行くだろうとみんな言っている。 電通がうらやましい、と。 鈴木はこの言葉にいきり立ち、必ずや『千と千尋』を大ヒットさせると決意する。 2001年3月26日、江戸東京たてもの園で製作報告会。 宮崎は、「幼いガールフレンド」たちが本当に楽める映画を作りたいと制作の動機を語った。 ・・・・・・が製作委員会を組んだ。 本作から新たに加わった出資企業は2社。 ディズニーは『』から参加していたが、東北新社と三菱商事は初参加だった。 電通経由で特別協賛に入ったと、三菱商事系列企業のはタイアップで活躍した。 ネスレは本編映像を使用したテレビCMの放映などでキャンペーンを展開した。 とのタイアップはジブリにとって初めての経験だった。 それまで鈴木はコンビニを敬遠していたが 、ローソンは全国約7000店の店舗で『千尋』を大々的に告知、独自にフィギュアつき前売り券などを用意し、映画館窓口の販売実績を超える32万枚の前売り券を売り上げた。 この機にジブリとローソンのタッグは確立され、が完成した後にはローソンが唯一のチケット窓口になるなど、関係は続いている。 劇場の本予告・および新聞広告ではカオナシが前面に押し出された。 本予告は二種類が作成され、2001年3月から5月までの予告「A」は、千尋が不思議な町に迷いこみ、親が豚になってしまうところまでを風にまとめたものだった。 対して、6月から流れた予告「B」は、千尋がカオナシを湯屋に招き入れ、カオナシが暴走するところまでをまとめた。 鈴木は、本作を「カオナシの映画」であると考え、カオナシを宣伝の顔として立てることを決めた。 その理由として、千尋のキャラクターの極端な変貌を鈴木が感じ取っていたことが挙げられる。 不機嫌な千尋の視線に沿ってゆったりとした前半の展開と、中盤以降のきびきびと働く千尋を追いかけるような展開にはギャップがあり、鈴木は本作を「1本で2本分の映画」であるように思った。 鈴木の語ったところによれば、宮崎自身も当初は「千尋とハクの話」だと考えており、カオナシ中心に宣伝を行うことに違和感を持っていた。 しかし、映画が完成に近づいた段階でラッシュ(完成した素材を荒くつないだ映像)を見て、「千尋とカオナシの話」であることを認めたという。 当初は、の書いた「トンネルのむこうは、不思議の町でした。 」というが使われていた。 しかし、宣伝プロデューサーを務めたの の意見で 、「〈生きる力〉を呼び醒ませ!」というサブコピーが考案され、新聞広告などではこちらのほうが大きく取り上げられた。 宣伝チームはローラー作戦をかけ、通常であれば行かないような地方の小さな町まで訪れるなど、徹底したキャンペーンを張ったと鈴木は証言する。 公開 [ ] 2001年7月10日、で完成披露会見。 同日、日比谷で完成披露試写会。 宮崎は前作の公開時に続いて、またしても長編引退をほのめかした。 試写の反応は絶賛一色だった。 しかし、作品の完成は公開日の2週間前で 、試写にかけられる時間がわずかしかなかったことから、『』ほどの大ヒットにはならないだろうという観測が多勢を占めていた。 この日の試写会には千尋のモデルとなったの娘、奥田千晶も現れた。 宮崎は鈴木とともに千晶を出迎え、「この映画はおじさんと千晶の勝負だ」と言った。 上映後の千晶の反応は上々であり、宮崎と鈴木は喜んだ。 「おわり」のカットで描いた不鮮明なイラストについて宮崎が尋ねると、千晶はそれが自分の落とした靴の絵であることを正しく言い当てた。 2001年7月20日公開。 すぐさま爆発的なヒットになり、週末映画ランキングでは公開以来26週連続トップ10にランクインした。 さらに、公開32週目には前週の18位から一気に4位に浮上した。 11月11日までの4か月間で、興行収入262億円、観客動員数2023万人を記録。 『』が保持していた日本の映画興行記録を塗り替えた。 1年以上のロングラン興行になり、最終的には308億円の興行収入を叩き出した。 この記録は2018年現在も破られていない。 宮崎の個人的な友人である千晶を喜ばせたいという動機でスタートしたこの映画は、実にのべ2350万人 もの日本人の足を劇場に運ぶに至ったのである。 空前のヒットの興行的な要因としては、まず宮崎の前作『もののけ姫』が1420万人 を動員し、新規顧客を開拓したことが挙げられる。 また、『もののけ姫』から『千と千尋の神隠し』に至るまでの期間に、が全国的に普及し、人気作品を映画館の複数スクリーンで集中的に上映する体制が整っていたこともある。 公開と同時に、他の作品を上映する予定だったスクリーンが『千と千尋の神隠し』に回され、シネコンでの上映を占拠していった。 一方、こうした類のない大ヒットは、他の上映作品の興行に悪影響を及ぼした。 2001年12月に行われた「大ヒット御礼パーティ」の席上では、興行関係者が困惑を露わにした。 興行収入300億という数字は、1年間に公開される邦画のすべてを合わせた量に相当したからである。 本作で行われた大宣伝とは対照的に、次回作『』では「宣伝をしない」宣伝方針が取られた。 公開前の内容の露出は極端に抑えられることになり、宮崎もメディアから姿を消した。 これに関して、鈴木は千と千尋の神隠しがヒットしすぎたことにより、本来ならある程度数字を挙げることができた様々な作品がヒットせず、多方面に迷惑をかけてしまったため、千と千尋がヒットした後に関係者が集まり、二度と千と千尋のような作品を出さないよう、ある程度棲み分けることにしたと語っている。 英語版の公開まで [ ] 英語吹替版は社のがエグゼクティブ・プロデューサー(製作総指揮)を担当。 配給の優先権を持っていたのはだったが 、2001年8月にディズニーで行われた上映会では、当時だったの反応は芳しくなかった。 宮崎は米国での公開に積極的ではなかったが 、鈴木は検討を重ねた末、宮崎の熱烈なファンであるラセターに協力を依頼することにした。 1982年、宮崎はアニメ映画『』の企画で渡米し、このときにラセターと面識を得ていた。 当時まだディズニーに在籍し、不遇の時にあったラセターは、『』を鑑賞して衝撃を受け、以来宮崎の熱心なファンとなる。 1987年には『』制作時のジブリを訪れてもいる。 その後、ピクサーが創立されるとラセターは移籍し、1995年の『』を皮切りに、ヒット作を送り出していた。 ラセターが説得した結果、ディズニーが北米での配給権を取得。 ラセターは『』の監督、 ()を英語版監督に、『』のプロデューサー、 ()を英語版プロデューサーに指名した。 英題は Spirited Away に決まった。 吹替版は原作に忠実に制作された。 2002年9月5日から10日間、宮崎・鈴木らはプロモーションのために米国へ渡った。 ラセターは、ピクサー社を案内したり、複葉機による遊覧飛行を用意したりと、ジブリの一行を手厚くもてなした。 このときの様子を収めた映像は、DVD『ラセターさん、ありがとう』(、2003年)として発売されている。 9月20日、北米10都市で公開。 以後約1年間に渡って小規模ながら興行が続いた。 同年12月からは全米で次々と映画賞を受賞した。 最終的には約1000万ドルの興行収入を記録した。 中国公開 [ ] 日本公開から18年の歳月を経て、2019年6月21日より 、 およそ9000か所の映画館で初公開された。 テレビ放送、ホームメディア [ ] にはの『』でテレビ初放送され、46. 過去にテレビ放送された劇場映画の最高である。 ビデオリサーチ・地区調べでも46. 日本だけでなく、にはで、にはで、にはでもテレビ放送された(でもテレビ放送実績あり)。 ・は2002年7月に発売された。 日本国内におけるVHSの出荷本数は250万本、DVDの枚数は300万枚だった。 合計550万本の出荷は、やはり新記録だった。 DVD色調問題 [ ] 2002年7月に日本で発売された『千と千尋の神隠し』のや、 に収録されている本編映像が、劇場公開版や予告編・TVスポットなどと比べて赤みが強いとして、スタジオジブリと発売元の、消費者センター などに苦情が寄せられた。 両社は、DVD制作時に用意されたマスターの色調には、意図的な調整を施しているためであり、「このクオリティが最高のものと認識しております」と説明した。 映画上映時のTVCMや上映用プリントやDVDに収録された予告編、TVスポットなどにはこの調整は施されていないため、両者の色調が異なっているが、あくまで本編の色調が正しいとした。 2002年11月、この問題で一部ユーザーは、販売元のブエナビスタを相手取りに提訴し、正しい色調のDVDとの交換と慰謝料などを請求した。 本係争は2004年9月に「ディズニー・ジャパンは購入者に誤解や混乱が生じたことに遺憾の意を表明する」「今後DVD販売に際しデータを調整した時は明記する」「原告らは請求を放棄する」など全5項目の和解が成立し決着した。 その後、北米、ヨーロッパ、韓国では、日本で発売されたものよりも、赤みの強くない映像が収録されたDVDが販売された。 での2003年1月24日の『』(開局50周年記念番組)でのには、DVDと同様のマスターが使用され、以後も使用されるようになった。 2011年1月7日、日本テレビの『金曜ロードショー』で、初めてハイビジョンマスターにより放送。 赤みが大幅に軽減され、北米版DVDに近い赤みの強くない映像で放送された。 2014年4月1日、本作の化が正式発表された。 発売予定日は2014年7月16日。 Blu-ray版ではDVD版のような赤みは無くなり、劇場版と同等の色調で収録された。 同時に発売されたデジタルリマスター版DVDも同一の映像マスターを基にしているため、画面の赤みはない。 海外進出 [ ] この節のが望まれています。 日本以外の国での題名 この節には、一部のコンピュータやで表示できない文字(:2004 で規定されている文字および、・・・・)が含まれています ()。 『Spirited Away』(英語)訳:spirit away=「誘拐する、神隠しにする、忽然と連れ去る」• 『 센과 치히로의 행방불명』(韓国語、:Sen-gwa Chihiroui haengbangbulmyeong)直訳:「千と千尋の行方不明」• 『Le Voyage de Chihiro』(フランス語)直訳:「千尋の旅」• 『Chihiros Reise ins Zauberland』(ドイツ語)直訳:「千尋の魔法の国の旅」• 『El viaje de Chihiro』(スペイン語)直訳:「千尋の旅」• 『A Viagem de Chihiro』(ポルトガル語)直訳:「千尋の旅」 評価 [ ] 2002年2月6日、のコンペティション部門に出品。 同映画祭コンペ部門の長編アニメーション映画の出品は初。 2月27日、最優秀作品賞であるを受賞した。 監督『』と同時受賞だった。 世界三大映画祭で長編アニメーションが最高賞を獲得するのは史上初だった。 2003年2月12日、へのノミネートが決定。 3月23日の授賞式で受賞が発表された。 2020年現在に至るまで、同部門を受賞した日本のアニメーションは本作のみである。 また手描きのアニメーションとしても唯一の受賞作である。 授賞式には宮崎の代理で鈴木敏夫が出席する予定だったが、3月20日に米軍を中心とする有志連合がを開始し、事態が緊迫化したため、断念した。 宮崎の受賞コメントは次のようなものになっている。 いま世界は大変不幸な事態を迎えているので、受賞を素直に喜べないのが悲しいです。 しかし、アメリカで『千と千尋』を公開するために努力してくれた友人たち、そして作品を評価してくれた人々に心から感謝します。 — 宮崎駿、 アカデミー賞を受賞したことが示すように、本作は英語圏でも広範な評価を得ている。 平均レートは8. 「『千と千尋の神隠し』は、見事に描き出されたおとぎ話であり、眩惑的、魅惑的だ。 この作品を見た観客は、自分たちの住んでいる世界がいつもより少しだけ興味深く、魅力的なものに感じられるだろう」。 のは満点の四つ星をつけ、作品と宮崎の演出を称賛している。 また、本作を「今年のベスト映画」のひとつとしている。 のエルヴィス・ミッチェルは肯定的なレビューを書き、アニメーションシーケンスを評価している。 また、ルイス・キャロルのと好意的な文脈で引き比べており、この映画が「気分としての気まぐれさ moodiness as mood 」についての作品であり、キャラクターが作品の緊張感を高めていると評している。 誌のデレク・エリーは、「若者と大人が同じように楽しめる」とし、アニメートと音楽を評価している。 のケネス・タランは吹き替えを評価しており、「荒々しく大胆不敵な想像力の産物であり、こうした創作物はいままでに見たどのような作品にも似ない」としている。 また、宮崎の演出も評価している。 オーランド・センチネル紙のジェイ・ボイヤーもやはり宮崎の演出を評価し、「引っ越しを終えた子供にとっては最適」の映画だとしている。 2009年2月にがインターネット調査した「 歴代最優秀作品の中で、もう一度観たいと思う作品」で1位に選ばれた。 2016年7月、アメリカの映画サイト・The Playlistが、21世紀に入ってから2016年までに公開されたアニメのベスト50を発表し、本作が第1位に選ばれた。 2016年8月、英BBC企画「21世紀の偉大な映画ベスト100」で第4位に選ばれた。 2016年に実施された「スタジオジブリ総選挙」で第1位に選ばれ、2016年9月10日から16日まで5スクリーンで再上映された。 2017年4月、映画批評サイト「TSPDT」が発表した「21世紀に公開された映画ベスト1000」にて、第8位に選ばれた。 2017年6月、ニューヨークタイムズ紙が発表した「21世紀のベスト映画25本」で、第2位に選ばれた。 2017年6月、英エンパイア誌が読者投票による「史上最高の映画100本」を発表し、80位にランクインした。 2018年8月、ワシントンポスト紙が発表した「2000年代のベスト映画23本」に選出された。 2018年10月、英BBCが企画・集計した、「非英語映画100選(英語圏にとっての外国語映画100選)」にて、37位に選ばれた。 2019年6月、中国の映画情報サイト「時光網」が発表した、「日本アニメ映画のトップ100」で、第1位に選ばれた。 2019年9月、英インディペンデント紙(デジタル版)が選ぶ、「死ぬ前に観るべき42本の映画」に選出された。 2020年1月、英エンパイア誌が発表した「今世紀最高の映画100選」にて、日本映画で唯一選出された(15位)。 1回目の放送はの視聴率(45. 0ポイント上回り、2003年の年間視聴率1位を記録した(日本テレビの年間視聴率1位は史上初)。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 名前の由来は。 銭婆によってネズミにされた坊に出くわしたときには、自分の息子だと気づいていなかった。 絵コンテに収録されている釜爺のセリフによれば、契約印があれば湯屋の労働協約を変えることができ、従業員を奴隷にすることもできる。 自分を母・湯婆婆と間違えた際は、「お母さんと私の区別もつかないのかい」と呆れた様子を見せている。 絵コンテでは「ゼニーバの声 やさしくなりすぎないこと こわいおばあさまです」と注意書きされている。 この呪いは、千尋が銭婆の元へ届けた頃には判子から消えていた。 宮崎は「長虫」という語で龍を指すことがある。 着ているシャツの袖も腕の長さに合せて同時に伸縮する。 イメージボードでは、リンのイラストの横に「白狐」と記されている。 絵コンテには「部長と課長とおもって下さい」とある。 ただし、千尋に対しては差別意識から「そんなもったいない事が出来るか」「手で擦ればいいんだ」と渡すのを拒否している。 「腐れ神」が何かという疑問の謎解きは作中でなされないが、腐臭を放つ忌むべき有害な神なのだと思われ、湯屋の皆はオクサレ様をそれと決めつけて対応してしまう。 釜爺の回数券に名が記されている。 きっかけとなった宮崎と鈴木の面会は、1999年1月の出来事とする記述もある。 公開を1年延期して3時間の映画を作るという提案について、鈴木の真意は不明である。 映画公開直前の2001年6月20日のインタビューでは「真剣でした。 そういう映画を見たかったし」 と語っている。 一方、公開から10年余りが経った2016年の聞き書きでは、宮崎の提示したプロットについて「正直にいうと、ちょっとバカバカしいんじゃないかと思った」 と語っている。 しかし、宮崎の前で正直に不満を述べるわけにはいかない。 そこで、上映時間が延びてしまうというプロットの弱点をとっさに指摘した、という説明に変わっている。 安藤は漫画家ののファンで、高野のように少ない線のみで人体を生々しく表現することに憧れを持っていた。 通常、アニメーションの美術制作は三段階に分けて行われる。 背景のイメージをおおまかに描き起こしレイアウト化した美術設定、本番の背景作業に入る前により指針とする絵を描き、色味や物の質感などを詳細に指定する美術ボード、そして実際に撮影に使用される背景素材を各スタッフが分担し描く本番の作業である。 『千と千尋の神隠し』では、宮崎が絵コンテで背景を作りこんでいったため、武重は美術設定を制作していない。 も参照。 宮崎はアニメーターのの結婚式で目黒雅叙園を訪れたことがあった。 その名の通り動く背景。 手書き作画の場合は、通常の人物の動きと同じように、アニメーターが動きを起こす。 本作のようにCGで作画される場合もある。 以下は舘野の発言の引用。 「当初『小さい子供のための映画』と聞いていましたが、あのお風呂屋さんもがいて、一種の遊郭みたいな場所ですね。 昔から宮崎さんが描きたいと思っていて、描けなかった部分だったのかなと思いました。 それと、宮崎さんが書いた歌詞に、カオナシが千尋を食べちゃいたいという箇所があるでしょう。 さんが、『ついにホントのこと言っちゃったねぇ』って、種明かししたみたいに喜んでいました(笑)。 のちに「ジブリ学術ライブラリー」ブランドでブルーレイ化。 市川がジブリ作品の製作に関わったのは本作のみだった。 2013年、社長となった市川が映画の新しい企画(『』)を製作した際には、鈴木がを紹介している。 その後、「DVD・VHS本編のクオリティは、その色を忠実に再現したものと認識しております」と変更された。 翌年から名称はに。 コンペティションの名称は途中から「」になった。 遅くとも2003年からはこの名前が使われていることが確認できる。 2014年、東京国際アニメフェアはと統合してにリニューアル。 東京アニメアワードはとして独立した。 日本テレビ開局50周年記念番組として放送。 宮崎駿監督の受賞を記念して放送される。 番組序盤には『』から『』まで、宮崎駿監督の全11作品の名シーンを振り返る特別企画が放送された。 出典 [ ]• IMDb. 2016年11月18日閲覧。 221. 2016-09-06. 2016年9月6日閲覧。 IMDb. 2016年11月18日閲覧。 251. 252. 2016年9月10日閲覧。 , p. 254. 監督 2013年11月16日. 東京: ドワンゴ. へのインタビューで。 Berlinale. 2013年8月9日閲覧。 Academy of Motion Picture Arts and Sciences. 2016年11月18日閲覧。 2016年8月23日. 2016年11月18日閲覧。 , p. 王様のブランチ 2013年8月10日放送• , p. , p. 244. , p. 232. , p. 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