枕草子の作者。 枕草子と源氏物語の作者は誰?書かれた時代や内容は?

枕草子の作者 清少納言について簡単解説!紫式部や定子との関係は?

枕草子の作者

もくじ• 『枕草子』執筆のきっかけ 清少納言がこの作品を執筆することになったきっかけは、定子が内大臣・伊周から紙を献上されたことでした。 これについては、『枕草子』の最後、いわゆる跋文に書かれています。 宮の御前に、内の大臣の奉りたまへりけるを、「これに何を書かまし。 上の御前には史記といふ文をなむ、書かせたまへる」などのたまはせしを、「枕にこそは侍らめ」と申ししかば、「さは得てよ」とて給はせたりしを、あやしきをこよや何やと、つきせずおほかる紙を書きつくさむとせしに、いと物おぼえぬ事ぞおほかるや。 『枕草子』「この草子、目に見え心に思ふ事を」(校注・訳:松尾聰・永井和子『新編日本古典文学全集』/小学館)より 定子の兄、伊周から紙をもらったはいいものの、定子自身は 「これに何を書いたらいいのかしら」と考えあぐねていたのです。 上の御前、つまりは「史記」という書物をお書きになっているけれど、と。 清少納言はそれに対し、 「それなら枕でございましょう」と答えます。 「枕にこそは侍らめ」が由来 そう、この清少納言が言った「枕にこそは侍らめ」が『枕草子』という書名の由来だといわれているのです。 清少納言が「それなら枕でしょう」と答えたので、定子は 「ならばこの紙はお前に取らせよう」と下賜した、というわけで、この作品を書くことになったのでした。 この紙を賜ったときの出来事が書名のきっかけであることは確かですが、この「枕」とはいったい何に掛かっているのでしょうか。 実はこれがよくわからないのです。 いくつか「こうではないか」と考えられている説があるので、紹介してみましょう。 寝具の枕 清少納言は、「帝は史記を書いている」という定子の言葉を受けて、「じゃあ(宮様)なら枕ですね」と答えています。 つまり、「史記」に対応させているということ。 これはダジャレのようなもので、 史記=敷布団(敷が「史記」と同音のため) だから、宮様は 同じ寝具の枕ですね、という意味になるというものです。 枕元に置いておくメモ 「枕草子」という言葉、今の私たちにとっては清少納言の随筆作品を意味する固有名詞ですが、この当時は一般名詞だったという説もあります。 どんなものかというと、考えていることなどを忘れないよう書き留めておく手控えの草子。 つまり、枕元に置いておくメモ帳といった感じです。 四季 「枕」には、たとえば「歌枕」のように歌のよりどころとする枕詞や名所などの 典拠という意味があります。 「帝は史記を書いている」という定子の言葉から、清少納言は「 帝が唐の『史記』を書いているなら、それを枕(よりどころ)にして「四季(これも『史記』と同音)」について書いてはどうか」と提案したという説があります。 『枕草子』は「春はあけぼの……」から始まり、春夏秋冬の美しい景色や物を取り上げた章段も多いことから、作品の内容との整合性もとれる説です。 スポンサーリンク 新しい説が次々と出ている 『枕草子』という書名の由来については、ここで紹介した以外にも複数の説が唱えられています。 しかしどれも「これが正しい」と言い切ることはできません。 研究者によって新たな説も増えつつあり、何が何やら……。 清少納言は何を思って「枕でしょう」と言ったのか。 『枕草子』を読んでいると、清少納言はことあるごとに漢詩を引き合いに出して冴えた発言をしているので、『史記』に引っかけた意味であろうとは思われます。 しかし、書名の由来がその書物に書かれているだけでもありがたいことです。 『源氏物語』なんて紫式部が執筆した当時、どういうタイトルだったのかもはっきりしていないのですから。 【参考文献】.

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枕草子の内容や特徴を中学生向けに解説。作者の清少納言とは?

枕草子の作者

makura 清少納言の鋭い観察眼が光る日本初の随筆集 枕草子 1 作品について 2 作者について 3 『枕草子の由来』 1 作品について 『枕草子』は、長いのや短いのを含め300あまりの章段からなる随筆集で、内容によって3つに分類されます。 「鳥は〜」とか「うつくしきもの〜」とか、それぞれのテーマに応じて作者の感性に触れる物事を列挙し、さらに主観的な解説を加えたものです。 有名な「春はあけぼの」は、ここに分類されます。 宮中での生活が生き生きと描かれています。 つまり、様々なことに関する清少納言の意見が書かれているわけなのですが、その中にはとても鋭い意見などもあり、彼女の注意力や着眼点がすばらしいものだということがわかります。 2 作者について 『枕草子』の作者の清少納言は、父親の清原元輔は有名な歌人で『後撰集』の選者の一人でもありました。 16〜17歳の頃、橘則光と結婚し、男の子を一人もうけますが、まもなく離婚します。 その後、親子ほど年の離れた藤原棟世と再婚します。 またその後の993年から一条天皇の中宮定子の下に仕えたと言われています。 この頃でも、離婚したり再婚したりと言うことがあったのですね。 離婚した橘則光とは、離婚後は兄弟のようだったともいわれており、不思議なものです。 3 『枕草子』という書名の由来 『枕草子』という書名の由来と成立については、本人が書いています。 清少納言がお仕えしている中宮定子の兄の伊周 これちか が、天皇と定子に上等な紙をプレゼントしました。 天皇はそれに『史記』を書写させ、定子は清少納言に相談を持ちかけました。 清少納言は機転を利かせて、「帝が『シキ』ならこちらは『マクラ』でしょう」と答えて、その褒美に中宮から紙をもらって、『枕草子』をつづったということなのです。 「シキ」と「マクラ」の関係をどう解釈するかについては色々な説がありますが、「シキ」を靴底の「底 しき 」として足に関係するものと見て、「マクラ」は寝具の「枕」で頭に関するものと見る説が有力です。 紙を褒美にもらうなんて、と思う人がいるかもしれませんが、この時代は紙は貴重品だったんですよ。 現代では紙はすぐに手に入りますが、それは木でできており、その資源は限られていますし、昔のように大切に使わなければならないものだなと感じさせられました。

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清少納言とは?日本三大随筆「枕草子」の作者は毒舌三昧の今どきキャリアガールだった?

枕草子の作者

「」(部分) 五月頃の夜、宮中に住む定子の所に「女房はいらっしゃいますか」と声がするので、定子が誰なのか見てくるよう言いつけ、清少納言が声をかけるとが差し入れられた。 それを見た清少納言は「おいこのきみにこそ」(おや「このきみ」でしたよ)と言う( 三巻本130段)。 「このきみ」とは(の子)が竹を「此君」と呼んだことにちなむ。 『 枕草子』(まくらのそうし)とは、中期にに仕えた、により執筆されたと伝わる。 ただし本来は、の「の」を入れずに「 まくらそうし」と呼ばれたという。 執筆時期は正確には判明していないが、長保3年(西暦1001年)にはほぼ完成したとされている。 「 枕草紙」「 枕冊子」「 枕双紙」とも表記され、古くは『清少納言記』『清少納言抄』などとも称された。 「枕草子絵詞」 が「無名」というを持って中宮定子のもとを訪れ、琵琶の名を問うと定子は「ただいとはかなく、名もなし」と答えた( 三巻本89段)。 「虫は」「木の花は」「すさまじきもの」「うつくしきもの」に代表される「ものづくし」の「 類聚章段」をはじめ、日常生活や四季の自然を観察した「 随想章段」、作者が出仕した中宮定子周辺の宮廷社会を振り返った「 回想章段」(日記章段)など多彩な文章からなる。 このような3種の分類は、によって提唱された(『全講枕草子』解説、)。 もっとも、分類の仕方が曖昧な章段もある(たとえば第一段「春は曙」は、通説では随想章段に入るが異論あり)。 を中心としたで綴られ、総じて軽妙な筆致の短編が多いが、の没落と清少納言の仕えた中宮定子の身にふりかかった不幸を反映して、時にかすかな感傷が交じった心情の吐露もある。 作者の洗練されたセンスと、事物への鋭い観察眼が融合して、『』の心情的な「」に対し、知性的な「」の美世界を現出させた。 総じて簡潔な文で書かれ、一段の長さも短く、現代日本人にとっても読みやすい内容である。 ただし、後述するように『枕草子』の内容は伝本によって相違しており、現在ではそれら伝本はおおよそ雑纂形態(・)と類纂形態(・)の2つの系統に分けられている。 雑纂形態の本は上で述べた3種の章段をばらばらに並べているが、類纂形態の本はそれらを区別整理して編集したものであり、この編集は作者の清少納言よりのちの人物の手によってなされたという。 しかし雑纂形態の伝本である三巻本と能因本においても、章段の順序や本文にかなりの相違があり、清少納言が書いたという『枕草子』の原形がどのようなものであったのかは明らかではない。 書名の由来 [ ] 「枕草子絵詞」(部分) 二月十一日の早朝、定子の暮らす宮中の登花殿に妹のと父、道隆の夫人貴子が訪れ定子に対面する( 三巻本100段)。 「枕草子」という書名全体についていえば、この作品がこの書名で呼ばれるようになった当時において「枕草子」は一般名詞であった。 『枕草子』の執筆動機等については巻末の跋文によって推量するほかなく、それによれば執筆の動機および命名の由来は、が妹中宮定子とに当時まだ高価だったを献上したとき、「帝の方は『』を書写されたが、こちらは何を書こうか」という定子の下問を受けた清少納言が、「 枕にこそは侍らめ」(三巻本系による、なお能因本欠本は「枕にこそはし侍らめ」、能因本完本は「これ給いて枕にし侍らばや」、堺本と前田本には該当記事なし)と即答し、「ではおまえに与えよう」とそのまま紙を下賜されたと記されている。 「枕草子」の名もそこから来るというのが通説であるが、肝心の 枕とは何を意味するのかについては、古来より研究者の間で論争が続き、いまだに解決を見ない。 は日本古典全書『枕冊子』の解説で、 枕の意味について8種類の説を紹介したが、そのうちの代表的な説を以下に述べる。 備忘録説:備忘録として枕元にも置くべき草子という意味(所引註で説かれたのをはじめ、近世の・らに継承されまで広く支持された説)• 題詞説:・名辞を羅列した章段が多いため(「枕」を「」「歌枕」などの「枕」と同じく見て、内容によって書名を推量した説で、『』『』などに見える)• 秘蔵本説:枕のごとく人に見すまじき秘蔵の草子(説)• また、『』に美しいを形容するのに普通名詞としての「枕草子」が用いられたことも指摘されている(、角川文庫『枕草子』解説)。 近年()のは、当時、唐風・唐様に対し和風・和様のものが意識されて多くの作品が生まれていることから、これは「史記=しき」を「」と連想し、定子に対して清少納言が「四季を枕に書きましょうか」というつもりで答えたのであり、「唐の『史記』が書写されたことを踏まえ、その『しき』にあやかって四季を枕にした和の作品を書くことを宮に提案したもの」とする新説を唱えている。 すなわち『枕草子』が「春はあけぼの」から始まるのは、まず最初の話題として春夏秋冬の四季を取り上げたということである。 なお、は本文の解釈から、上記の定子より紙を賜ったという話は清少納言の作った虚構であるとしている。 評価 [ ] 「枕草子絵詞」(部分) 元年(995年)十月、一条帝がに行幸することがあった。 その帰り、一条帝の生母が還幸の様子を桟敷から見物していたのを、一条帝がをとどめて詮子に挨拶をする( 三巻本122段)。 『』に比肩するの双璧として、後世の・・に大きな影響を与えた。 の『』、の『』と並んでと称される。 肯定的評価• 枕草子こそ、心のほど見えて、いとをかしう侍れ。 さばかり、をかしくも、あはれにも、いみじくも、めでたくもあることも、残らず書き記したる中に、宮のめでたく盛りにときめかせ給ひしことばかりを、身の毛も立つばかり書き出でて、関白殿失せさせ給ひ、内の大臣流され給ひなどせしほどの衰へをば、かけても言ひ出でぬほどの、いみじき心ばせなりけむ (さまざまな回想を記した中に、ただ中宮がめでたく栄えておられ、風雅をたしなみ、しみじみと情け深く、配慮にすぐれた素晴らしい様子を描き、伊周・兄弟の左遷や実家の衰退にともなう中宮の悲境について、いささかも言及しないのは、清少納言の「いみじき心ばせ」であった、とする『』作者の見解)。 枕草子は人間存在、自然を共に深く愛した故に、それを、それぞれの位相において、多種多彩の美として享受・形成した()。 次から次へと繰り出される連想の糸筋によって、各個の章段内部においても、類想・随想・回想の区別なく、豊富な素材が、天馬空をゆくが如き自在な表現によって、縦横に綾なされている()。 「季節-時刻」の表現(春は曙など)は、当時古今集に見られる「春-花-朝」のような通念的連環に従いつつ、和歌的伝統に慣れ親しんだ読者の美意識の硬直性への挑戦として中間項である風物を省いた斬新なものである()。 中宮定子への敬慕の念の現れである。 道隆一族が衰退していく不幸の最中、崩じた定子の魂を静めるために書かれたものである。 故に道隆一族衰退の様子が書かれていないのは当然である(同上)。 自賛談のようにみえる章段も、(中略)中宮と中宮を取り巻く人々が失意の時代にあっても、天皇の恩寵を受けて政治とは無縁に美と好尚の世界に生きたことを主張している()。 批判的評価• 清少納言の出身階級を忘れひたすら上流に同化しようとした浅薄な様の現れである()。 (自分の親族身分のみならず、身分が高い者に対しても敬語がないため)• 「定子後宮の文明の記録」に過ぎず、「個」の資格によって書かれたものではない()。 伝本 [ ] 『枕草子』の成立についてはその跋文に、長徳2年()のころ、左中将だったが作者の家から持ち出して世上に広めたと記しているが、その後も絶えず加筆され、末年ごろに執筆されたとみられる文もある。 『源氏物語』の古註『』に引かれる『枕草子』の本文には現存本にないものもあり、複雑な成立過程を思わせる。 現在、『枕草子』の伝本は以下の4系統が知られている。 三巻本(雑纂形態)• 能因本(雑纂形態)• 堺本(類纂形態)• 前田本(類纂形態) これらも伝本間の相異はすこぶる大きく、たとえば「三巻本と能因本とでは、作者を別人とするしかないほどの違いがある」(石田穣二『鑑賞日本古典文学8』「枕草子」総説)という。 古典文学の本文校訂は、できる限り古い写本を底本(基準とする本文)に用いる。 『枕草子』の伝本のなかで最古とされるのは前田本であるが、現在『枕草子』においては三巻本を底本としそれが読まれている。 前田本の類纂形態の内容が作者の清少納言の手によるものではなく、後人の手によってまとめられたものとされているからである。 堺本も同様の理由により、一般に読まれる本文として使われることはまずない。 能因本はのに底本として利用されたことにより、『枕草子傍注』や『』(註)といった注釈書とセットになって近代まで『枕草子』の本文として主流を占めた。 しかし大正14年(1925年)、三巻本系統の伝本(桂宮本)を底本とした『清少納言枕草子』 が刊行されると、古活字本の本文に対する批判が起こる。 さらに昭和3年(1928年)、が「清少納言枕草子の異本に関する研究」と題した論文において各系統の伝本について紹介し、流布本(『春曙抄』本文)に対する安貞二年奥書本(三巻本)の優位性を唱えた。 このとき三巻本が第一類と第二類の二つに分けられる。 昭和10年(1935年)には楠道隆が堺本との比較により、三巻本の中で第一類の本文が第二類のものよりも純正であると評価した。 以後も能因本と三巻本との間で本文の優劣論争が繰り広げられた結果、三巻本は各系統の中でもっとも古態に近いとされ、能因本の本文は三巻本よりも劣るものとされている。 これは堺本、前田本についても同様である。 よって三巻本による本文が教科書にも採用されており、能因本、堺本、前田本による本文の出版は三巻本と比べてごく少数となっている。 ただしこれは『枕草子』に限らず、古い時代に成立した仮名の文学作品のほとんどについて言えることであるが、現在と違って本を作るのに人の手で書き写すしかなかった時代には、作者の手から離れた作品は書写を重ねるごとに誤写誤脱が加わり、また意図的に表現や内容を書き替えるということが普通に行われていた。 現在、『枕草子』において善本とされる三巻本についても、作者とされる清少納言の原作から見れば幾度となく書写を繰り返した結果成立したものであり、その間に多くの改変の手が加わっていると考えられる。 これは三巻本よりも本文の上で劣るとされている能因本や堺本、前田本も同様であるが、要するにいずれの系統の伝本であっても、書写の過程で本文に少なからぬ改変が加えられており、三巻本においてもそれは例外ではないということである。 「個々の章段については、彼此優劣が錯綜していて、必ずしも常に三巻本本文が能因本本文に立ちまさっているとは断じ切れない」という意見もある。 以下、各系統の大略について述べる。 三巻本 [ ] 詳細は「」を参照 雑纂形態をとり、三巻からなる。 「耄及愚翁」というと思しき人物による2年()の奥書を持つ系統の伝本で、池田亀鑑が昭和3年に命名した。 もともとは上下二巻だったのをさらに2冊ずつに分けて4冊にしたものが、そのうちの第一冊を失った結果三巻(3冊)になったものである。 三巻本はこの第一冊にあった章段がない本(第一類)と、それを補った本(第二類)の2種類に分けられる。 「耄及愚翁」による奥書には2部の『枕草子』を人から借り、これらをもとに本文を写したとしているが、それらがいかなる素性の本であったかは触れておらず、また「依無証本不散不審」(証本〈拠りどころとすべき伝本〉がなく、本文に不審なところがあっても解決できない)と述べている。 以前にさかのぼる完本は見出されていない。 第一類本(甲類) - 「春は曙」の冒頭第1段から75段までがなく、76段「ここちよげなるもの」から始まる伝本。 298段以降に「一本」すなわち書写した本にはもともとなく、他本からの転載として29段を書き加える。 「一本」と跋文もあわせて253段。 第一類本で第1段から75段までの本文のあるものは見つかっていない。 蔵本、図書寮蔵本、家蔵本• 第二類本(乙類) - 328段。 第一類本(甲類)に欠けている第1段から75段までを補うが、その本文は堺本のものと校合されているといわれる。 弥富破摩雄旧蔵本、刈谷図書館蔵本、伊達家旧蔵本、旧蔵本、中邨秋香旧蔵本、古梓堂文庫蔵本 現行で読まれる三巻本の本文は、第二類本の第1段から75段までを底本として用い、そのあとは第一類本を底本とする形をとっている。 なお、鎌倉時代後期成立の七段分が現存しており、白描ので詞書は三巻本系統の本文を使用したものと見られる。 能因本 [ ] 詳細は「」を参照 これも雑纂形態の伝本で通常上下二巻として伝わるが、その章段の順序は同じ雑纂形態の三巻本とはかなり相違し、また内容にも相互に出入りがある。 清少納言と姻戚関係にあった(その姉妹の一人が清少納言の実子の妻)が所持していた本であるという奥書があることにより、能因本と呼ばれる。 蔵本 - もと蔵で上下二巻の冊子本。 室町時代の書写本で筆者はとも、またはその子ともいわれる。 野坂元定蔵本 - これも室町期の伝本。 下巻のみの零本であるが、ほかの能因本にはない元年()の奥書があり、能因本の存在がこの時期にまでさかのぼることのできるものとして貴重とされる。 古活字本 - からにかけて出版されたもので4種類あり、冊数は5冊または7冊となっている。 ただしその本文は三巻本も用いて改めたり、また版に写す際に誤刻したりしたところが多くあり、本来の能因本の本文から見れば不純なものであるという。 堺本 [ ] 詳細は「」を参照 類纂形態をとる。 上下二巻で、に住む道巴という人物が所持した本を、元年()に清原枝賢が書写したとの奥書より「堺本」と呼ばれるが、現在この系統で近世以前にさかのぼる写本は確認されていない。 回想章段と跋文を欠く。 その伝本は2種類に分けられている。 第一類 - 282段を所収し元亀元年の奥書がある。 旧蔵本、朽木文庫旧蔵本など。 朽木文庫旧蔵本は、『堺本枕草子評釈』(速水博司、、)の底本となっている。 第二類 - 208段を収める。 が書写したとの奥書がある本で、宸翰本と呼ばれる。 第一類と比べると下巻後半の本文を欠いており、本来第一類であったものの残欠本と見られるが、本文は第一類よりも古態を伝えているという。 『』第二十七輯には『枕草紙 異本』としてこの宸翰本が収録されている。 『新校群書類従』は第二十一輯に収めるが、これは校異および下巻後半に欠けた本文の補填を高野辰之旧蔵本で行ったものである。 前田本 [ ] 詳細は「」を参照 類纂形態の伝本で四巻。 第一巻に107段、第二巻に89段、第三巻に102段、第四巻に32段を収めるが、さらに第五巻があって紛失したものとみられる。 上記の三巻本、能因本、堺本にはない章段を含み、同じ類纂形態の堺本とは章段の順序が異なっている。 この系統の伝本は伝来本(蔵)があるのみである。 金の箱に入っており、その蓋には金で「清少納言枕草子」とある。 中期の書写で『枕草子』の伝本の中では最古のものとされ、に指定されている。 6年(1629年)4月にが江戸の前田邸を訪れた折、この前田本『枕草子』を蒔絵の箱とともに床の間脇の棚に飾ったとの記録があり、これ以前に前田家に入っていたと見られる。 本文は『前田家本枕冊子新註』に翻刻がある。 注釈書・研究書 [ ] 底本について注記のないものは、三巻本の本文による。 明治時代以前の注釈書 [ ]• (・)(能因本)• (・以後)(能因本)• (岡西惟中・)(能因本) 写本・校注 [ ]• 『枕冊子』日本古典全書、校注• 『枕草子』、池田亀鑑・岸上慎二校注• 『枕草子』新日本古典文学大系、渡辺実校注• 『枕草子(上・下)』、萩谷朴校注• 『枕草子』()・校注(能因本)• 『枕草子』新編日本古典文学全集()松尾聰・永井和子校注• 『完訳日本の古典 枕草子(上・下)』小学館、松尾聰・永井和子校注(能因本)• 『日本の文学 枕草子(上・下)』、校注• 『枕草子春曙抄杠園抄』(春曙抄)• 『新校本枕草子』、根来司校訂• 笠間書院、杉山重行編、• 『前田家本枕冊子新註』古典文庫、田中重太郎校注(非売品、前田本) 評釈 [ ]• 『枕草子評釈』、金子元臣(能因本)• 『枕草子精講』、・(能因本)• 『全講枕草子』、池田亀鑑• 『枕草子評釈』、増渕恒吉• 『枕冊子全注釈』、田中重太郎• 『枕草子講座1〜4』• 『鑑賞日本古典文学8 枕草子』角川書店、石田穣二• 『補訂 枕草子集註』、関根正直(能因本)• 『枕草子解環1〜5』、萩谷朴• 『堺本枕草子評釈』、速水博司(堺本) 文庫で読む枕草子 [ ]• 『枕草子』、池田亀鑑校訂• 『新版 枕草子(上・下)』、石田穣二訳注• 『枕草子(上・下)』、訳注(能因本)• 『枕草子(上・中・下) 、上坂信男・ほか訳注• 『枕冊子(上・下)』、田中重太郎訳注• 『校本枕冊子』古典文庫、田中重太郎校訂(非売品) 枕草子論攷 [ ]• 『』池田亀鑑• 『清少納言枕冊子研究』笠間書院、田中重太郎著• 『枕草子研究』岸上慎二著• 『枕草子研究 続編』笠間書院、岸上慎二著• 『枕草子の研究 増補版』右文書院、林和比古著• 『枕草子論』笠間書院、目加田さくを著• 『枕草子論考』、榊原邦彦著• 『枕草子研究』風間書房、藤本宗利著• 『新しい枕草子論』、圷美奈子著• 『枕草子の新研究』新典社、浜口俊裕・古瀬雅義編 枕草子周辺 [ ]• 『清少納言伝記攷』新生社、岸上慎二著• 『人物叢書 清少納言』吉川弘文館、岸上慎二著• 『日本の作家11 清少納言 感性のきらめき』新典社、藤本宗利著• 『清少納言』笠間選書、村井順著• 『清少納言をめぐる人々』笠間選書、村井順著• 『枕草子幻想 定子皇后』思文閣出版、下玉利百合子著• 『枕草子周辺論』笠間書院、下玉利百合子著• 『枕草子周辺論 続編』笠間書院、下玉利百合子著• 『東西女流文芸サロン-中宮定子と-』笠間選書、目加田さくを・百田みち子著• 『平安朝サロン文芸史論』風間書房、目加田さくを著• 『枕草子の婦人服飾』思文閣、安谷ふじゑ著• 『枕草子の美意識』笠間書院、沢田正子著 講義 [ ]• 『枕草子 女房たちの世界』、谷川良子著• 『岩波古典講読シリーズ 枕草子』岩波セミナーブックス、渡辺実著 事典・資料 [ ]• 『日本文学研究資料叢書 枕草子』有精堂、日本文学研究資料刊行会• 『枕草子大事典』、枕草子研究会編• 『枕草子必携』学燈社、岸上慎二著• 『図説日本の古典6 蜻蛉日記・枕草子』、木村正中・ほか編• 『枕草子・紫式部日記』新潮古典文学アルバム、鈴木日出男著 現代語訳など [ ] 枕草子を平易に理解する入門編としては、現代語訳された、などがある。 入門書• 『枕草子入門』有斐閣新書、ほか著• 『これなら読めるやさしい古典 枕草子』汐文社、 現代語訳• 『桃尻語訳 枕草子(上・中・下)』、著 エッセイ• 『「枕草子」を旅しよう』、著• 『イラスト古典 枕草子』、文・、画・• 『枕草子REMIX』(のち)、著• 『リンボウ先生のうふふ枕草子』、著• 『ヘタな人生論より枕草子』、著 小説• 『まんがで読む古典 枕草子(1, 2)』角川書店、面堂かずき著• 『まんがで読む古典 枕草子』集英社、面堂かずき著• 『枕草子』、著• 『赤塚不二夫の古典入門 枕草子』学研、著• 『』、著 参考書• 『枕草子と徒然草を7日で制覇する』、板野博行著• 『イラスト古典全訳 枕草子』、著、イラスト・永井文明 外国語訳 [ ]• による抄訳()• による全訳()• 林文月による全訳()• による加工全訳()最近の英訳でもっとも親しみやすいといわれる。 初めて日本語の原文から直接スペイン語に翻訳された完全訳。 その他 [ ] 監督による公開の映画『( The Pillow Book)』は、「現代の清少納言(清原諾子)」の話を標榜している。 とはいえ、ストーリーはエロチックであり、ヒロインに日本人でなくの女優を起用し、舞台の場景は物語の中では「京都」としながら、実際には香港で撮影されている。 脚注 [ ]• 池田亀鑑「枕草子の形態に関する一考察」 『岩波講座日本文学 10』 岩波書店、。 16-20• 五味『人物史の手法』(2014)pp. 65-73• 『校註日本文学大系』第三巻所収。 三巻本系統の伝本を底本にした注釈書は、本書がはじめてであった。 『国語と国文学』第五巻第一号(昭和三年一月特別号)、明治書院• 光明道隆 (楠道隆)「枕草子三巻本両類本考」 『国語国文』第五巻第六号(昭和10年6月)、臨川書店• 『枕草子』 『新編日本古典文学全集』18、小学館 479頁• 『前田家本枕冊子新註』解説29頁 関連項目 [ ] ウィキクォートに に関する引用句集があります。 ウィキソースに の原文があります。 - 年間(-)頃成立、作者は他とされる。 枕草子を翻案した。 外部リンク [ ]• 昭和四年()有朋堂刊の能因本系本文を底本とする。

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