夏 草 や 兵 ども が 夢 の あと。 〜 夏草や兵どもが夢のあと 〜

◆夏草や つわものどもが夢の跡・・・。◆(夏の日の夢・・中尊寺)

夏 草 や 兵 ども が 夢 の あと

夏草や兵どもが夢の跡 (なつくさや つわものどもが ゆめのあと) 平泉は奥州藤原氏が繁栄を築いた地。 兄・源頼朝に追われた義経は、藤原秀衡のもとに身を寄せる。 しかし秀衡の次男・泰衡に襲われ30年の生涯を閉じた。 芭蕉が訪ねる500年ほど前のことである。 義経の居城であった高館(たかだち)に登った芭蕉は、簡潔かつ雄大に、平泉の歴史と地勢を描写してみせる。 三代の栄耀(えいよう)一睡の中にして、大門の跡は一里こなたに有。 秀衡が跡は田野に成て、金鶏山のみ形を残す。 先、高館にのぼれば、北上川南部より流るゝ大河也。 衣川は、和泉が城をめぐりて、高館の下にて大河に落入。 泰衡等が旧跡は、衣が関を隔て、南部口をさし堅め、夷(えぞ)をふせぐとみえたり。 偖(さて)も義臣すぐつて此城にこもり、功名一時の叢(くさむら)となる。 「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」と、笠打敷(うちしき)て、時のうつるまで泪を落し侍りぬ。 芭蕉が杜甫の影響を強く受けていたことは、広く知られている。 奥州藤原氏の三代を一睡(一炊の夢)と描き、城にこもった義経の忠臣らは一時の叢と記した。 多から一へ、複数と単数を対比した表現方法も、いかにも漢詩的な素養を感じさせる。 ところで、芭蕉が詠んだ夏草の風景は、猛暑だったのだろうか。 冷夏だったのだろうか。 芭蕉と曽良が一関にたどり着いた5月12日は、新暦の6月28日にあたる。 気象庁の統計では、一関の6月の最高気温は平年値23. 1度で東京の5月に近い。 しかも江戸時代は、地球全体が寒冷化した「小氷期」と呼ばれる時代だったので、さらに1~2度は低かったと考えられる。 むせ返るような草いきれというよりは、寂寞とした夏の風景ではなかっただろうか。 高館・義経堂• 句碑「夏草や兵どもが夢の跡」• 中尊寺の芭蕉像•

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【夏草や兵どもが夢の跡】俳句の季語や意味・表現技法・鑑賞文・作者など徹底解説!!

夏 草 や 兵 ども が 夢 の あと

夏草や つわものどもが・・・。 (夏の夢!) <岩手県 平泉町、中尊寺を訪ねて・・・> 岩手県からのエア・メールです! 夏草や 兵(つわもの)どもが 夢のあと <松尾芭蕉> 中尊寺は、嘉祥3年(850年)に慈覚大師開基した天台宗の. 寺院であります。 建立時は関山弘台寿院と呼ばれました。 その後、貞観元年(859年)に、中尊寺に改められたといいます。 奥州藤原氏の初代清衡は、 この基盤の上に仏国土建設をめざし 中尊寺一山の造営に着手。 文治5年(1105年)藤原氏が滅んだ 年の中尊寺の規模は、寺塔40余宇・禅坊300余宇と史実が. 残っています・・・。 隆盛を極めた中尊寺も藤原氏が滅亡した. 後はすっかり衰退し、建武4年(1337年)の大火災で山内の. ほとんどが焼失。 金色堂と経蔵の一部を残すのみとなりました。 その後、 伊達家累代の保護を受け復興され現在に至っています。 元禄2年(1689年)の5月には、松尾芭蕉がこの地を訪れ. かの有名な 「 夏草や つわものどもが 夢のあと 」の句を残して いるのは、まさに夢のように過ぎ去った、中尊寺の歴史なのです。 僕がここを訪れたのは・・青葉が爽やかな夏の季節でありました! 中尊寺の本堂で、早速お参りをしました・・・! 金色堂は、この覆堂の中に守られてますが・・実に見事です!! (撮影禁止の為、その荘厳な姿をご紹介できないのが・・残念です! ) 五月雨の 降り残してや 光堂(ひかりどう) <松尾芭蕉> 金色堂の側では、経蔵(きょうぞう)が落ち着いた佇まいを見せてくれます。 秋には、周りにあるイロハモミジが 真紅に染まり、見事な風景になります! 6月の青葉に埋づもれる経蔵の佇まいには、 深い歴史の薫りを感じます・・・。 中尊寺の境内には、涼やかな竹林が広がっていました・・・。 ご訪問ありがとうございました! 機会がありましたら、またお立ち寄りください!!.

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“つわものどもがゆめのあと”とは

夏 草 や 兵 ども が 夢 の あと

1689年3月27日(新暦5月16日)、松尾芭蕉は門人の曾良をともなって、江戸から東北・北陸へ600里(約2400km)、150日間の「おくのほそ道」の旅に出ました。 奥州藤原氏が平泉で滅亡してから500年後のことです。 江戸・深川を出発してから44日目、5月13日(新暦6月29日)に奥州平泉を訪れた芭蕉は、藤原三代の栄華の儚さと義経の最期を偲び、あの有名な句を詠みました。 「夏草や 兵どもが 夢の跡」 (なつくさや つわものどもが ゆめのあと) 高館(たかだち)にのぼってあたりを見渡すと、藤原氏の栄華の痕跡はあとかたもなく、ただ夏草が茂る風景が広がるばかり。 栄華の儚さを詠んだ句です。 続いて芭蕉は中尊寺を訪れ、美しい金色堂を参詣し、以下の句を残しました。 「五月雨の 降り残してや 光堂」 (さみだれの ふりのこしてや ひかりどう) 光堂とは金色堂のことです。 あらゆるものを朽ち果てさせる五月雨も、光堂にだけは雨を降らせず残してくれたかのように、500年経っても光堂は色あせずに美しいままだ、と詠んだものです。 中尊寺には、芭蕉の像とともに、この句の句碑があります。 浄土思想に基づいて造られた平泉の建造物や庭園は、日本独自の発展をとげた 平泉は岩手県南西部に位置します。 11世紀末から12世紀にかけての約90年間、藤原清衡(きよひら)に始まる奥州藤原氏が、この地を拠点としました。 清衡は浄土思想を唱え、この平泉に、中尊寺や毛越寺(もうつうじ)をはじめ、数多くの寺院や宝塔を建立し、これら建築物や庭園の一群が世界遺産へと登録されました。 平泉には大きく5つの見どころがあります。 ・中尊寺 清衡が1105年から造立に着手し、1124年、金色に輝く金色堂が完成しました。 中尊寺の境内には、全盛期には40にも及ぶお堂や塔があったとされています。 ・毛越寺(もうつうじ) 火災により現在は建物は残っていません。 当時はお堂や塔が40以上もあったそうです。 ・無量光院跡 宇治平等院鳳凰堂を模して建てられましたが、建物は焼失し、現在は礎石が残っています。 ・観自在王院跡 2つの阿弥陀堂がありましたが、1573年に焼亡、今は舞鶴が池が残っており、史跡公園として整備されています。 ・柳之御所遺跡 「吾妻鏡」に記されている「政庁・平泉館」の可能性が高いとされていて、現在も学術的な発掘調査が行われています。 平泉行きの特別列車!! 秋田からは 「平泉・藤原号」、仙台からは 「仙台ジパング平泉」 5月は平泉に向かう臨時列車が運行します。 この時期だけの特別列車に乗って平泉を訪れる鉄道の旅もまた、風情がありますね。 ゴールデンウィークが過ぎた5月は、暑くもなく寒くもなく、旅にはちょうどいい季節ですね。 中尊寺には「五月雨」を詠んだ芭蕉の句碑があります。 新緑がまぶしい初夏のこの時期、芭蕉の足跡を追って、世界遺産の平泉を訪れてみてはいかがでしょうか。

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