バレー 男子 山内。 2019年度男子日本代表チーム 選手・監督・スタッフ|男子日本代表|公益財団法人日本バレーボール協会

山内 晶大

バレー 男子 山内

美しきバックアタッカー、山内(藤本)美加さん。 ロス五輪でアメリカ女子を、バルセロナ五輪でオランダ男子を銀メダルに導いた名将、アリー・セリンジャー氏の指導で1990年代当時、女子ではほとんどなかったバックアタックを習得。 182cm、最高到達点317cmの高さからパワフルな強打を叩き込み、所属していた久光製薬スプリングスの前身クラブ、ダイエーオレンジアタッカーズを第1回Vリーグチャンピオンに導いた。 元プロ野球・オリックス選手の藤本俊彦さんとの結婚を機に引退し、現在は徳島で暮らす。 選手時代の思い出、バレーボールへの思い、バスケットボール選手の娘さんのことについてなどお話しいただいた。 引退されたのは確か……。 お久しぶりです。 引退したのは1997年です。 結婚を機に引退したので、結婚して20年経ったってことですね。 サリー(坂本清美さん)とか、ダイエー時代の同期と行くこともありますね。 依頼があるときに、小学生や中学生に教えています。 子供の(バスケの)試合や仕事もあるので単発的にですが、バレーとは離れたくないというか携わっていきたいと思っていますし、懐かしい人たちに会えるのはリフレッシュにもなって楽しいので、やれるときは頑張りたいなと思っています。 普段も試合はよく見ています。 徳島市の観光案内所で仕事しています。 徳島市の案内をしたり特産品を紹介したりですね。 徳島といえば「阿波おどり」って感じですが、自然も多いですし、観光地としては「うずしお」「かずら橋」もいいですね。 食べ物も海の幸とかおいしいものもたくさんありますね。 それから人柄が「阿波おどり」のようににぎやかながら気さくで優しい人たちなので、いらっしゃっても楽しくゆったり過ごせる場所だと思います。 バレーからずいぶん離れているので、たまにですけどね。 お母さん世代からときどき言われます。 旦那さんと娘が2人です。 主人はスポーツのトレーニングを教えています。 娘2人はバスケットボールを頑張っています。 20年経ったわけですねぇ……。 現役の頃のことを振り返ってみて、今どんなふうに思われますか? やっぱりたいへんでしたね……(笑)でも自分の中で基本というか、バレーができるようになったのはセリンジャーさん(アリー・セリンジャー氏、ロス五輪でアメリカ女子を、バルセロナ五輪でオランダ男子を銀メダルに導いた名将。 国内でもダイエー、パイオニアの監督としてVリーグで優勝)がダイエーに来られて指導を受けるようになってからで、自分の人生が変わりました。 そこからナショナルチームにも選考してもらえるようになったので。 でも、今では子供たちに教えたり触れ合ったりしてバレーボール楽しいなと思えますけど、当時はたいへんなこと、苦しいこと、つらいことが、やっぱり一番でした。 体が資本だったし、セリンジャーさんには徹底的に体を鍛えられましたから。 20歳くらいからずっと。 走り込みやトレーニング、練習がそれはもうたいへんで。 ボールを使うよりも外に出て走ったりすることが多かったですね。 朝や練習後に200mダッシュ3本、5本のノルマがあったり、50m走を20本だったり、1マイル走をしたりなど、ありとあらゆる走るトレーニングをしていましたね。 その後にウエイトトレーニングももちろんあります。 まあ走ることは基本なんですけども。 それで会ったときに、「あれ、やっぱりほんとでした。 たいへんでした」って話したことも。 ほんとにきつかったですね。 ああ、そうですね。 たぶんセリンジャーさんのハードワークをそのまま引き継いでいるんじゃないかなと思います(笑)それだけハードワークしないと「戦う体」を作れないですからね。 そしてそういう体作りの結果、土台ができて、あの「バックアタック」が生まれたわけですね。 今は女子もけっこう打ちますが、1990年代初めとしては珍しかったのではないですか。 セリンジャーさんが美加さんの素質を見てバックアタッカーとしての才能を開花させてくれたわけですね。 そうですね、あの頃は、あまりバックアタックはなかったですね……。 入るタイミングなどいろいろと。 本当にできるまでしつこくやりましたね。 やり始めた頃に40日間の海外遠征があったので、当たり前にバックアタックが打てる、当たり前にバックアタックとして入るフォーメーション、ポジション、コンビができるまで徹底的に言われ続け、やり続けました。 セッターもたいへんでしたよね? はい、名取(辻知恵さん)もたいへんだったと思います。 そうですね。 最初にセンター、それからライトへなど、パターンにしたがっていろんな所から打っていましたね。 バックアタック1本で、ライトからだけセンターからだけみたいになっていることが多いですが、一つのポジションからだけでなく、もっといろんな所から打つとか、もっと絡みを入れてもいいのかなとは思います。 単発になったらバックアタックもあまり意味がないので、前で他がいろいろ絡んでとか……。 ダイエーの時はボールが少々離れようが(パスやディグが)崩れようが、センターなどから絶対にバックアタックに入らなければいけないという感じでやっていました。 全員がその動きの中で止まることなく必ず動かなければいけなかった。 こう動いたらこう動くみたいなのが自然にできるようになるまで(コンビ練習などを)やっていました。 複雑なコンビネーションの中からのバックアタック見たいです。 そして美加さんはオリンピックも経験されました(バルセロナ、アトランタ五輪に出場)。 ナショナルチームのことで覚えていらっしゃることは? バルセロナは全日本に選ばれて初めての年だったのでたいへんでしたね。 見ていたスターメンバーが勢揃いで。 (中田)久美さん(現・久光製薬総監督、次期の日本代表監督)、(佐藤)伊知子さん(東北福祉大監督)、(大林)素子さんらがいて、どういう人なんだろう、どうすればいいんだろうってとても不安で緊張していました。 でも、みなさんサバサバしていて、試合は勝負事なので厳しいですしそれは当たり前なんですが、試合や練習を離れると気さくに話ができました。 久美さんとは部屋が一緒のときもあっていろいろと気にかけてくださって、どんなトスがいい? とかも聞いてくださったりして気持ちが楽になりました。 出てわかったんですが、国際大会にもいくつも出ていますが、オリンピックはまるで違う雰囲気でしたし、気持ちがまるで違いました。 やっぱりどの競技もトップの人たちが来ている中で、そこに日本の代表としていられるのは誇らしかったですし、頑張ってよかったと思いました。 でも、よかっただけではなかったですけどね……バルセロナはメダルが懸かっていて本当にたいへんだったし、ものすごく緊張して記憶が……試合も全部は覚えていないくらいで。 それからアトランタはフルで出られず見ていることが多かったので、(私)何をやっているんだろうと感じていたりしましたので(結果はバルセロナ五輪5位、アトランタ五輪9位)。 最初からバレーでなくバスケットだったのですか? はい、そうですね。 まず姉(愛妃)の方が、友達がバスケットボールをやっていて一緒に遊んでいるうちにバスケットやりたいと先に始めました。 妹の方(愛瑚)は(お父さんの影響もあってか)野球がうまくて大好きで少年野球をやる予定だったんですけど、将来的にどうかなと思って……それで体験で姉が行っていたバスケットボールクラブに行ったら、「自分もバスケットをする」ってなりました。 楽しかったんでしょうね。 それからずっとバスケットボールをやっています。 競技は違いますが、日本代表として活躍された経験から、娘さんが日本のトップクラスでやっていけるかなと思われたのはどのあたりですか? 小学校で全国大会に出場して、小松島中学校で、四国大会で優勝して全中に行くことができました。 それで高校から県外へ行くきっかけができ桜花学園に入ったあたりでしょうね。 でも桜花へ行っても厳しかったですね。 全国区の、トップのレベルの選手が集まっていて練習もたいへんですし、親元を離れて寮生活をしていてホームシックになる選手もいたり。 それでもできるだけそうならないように配慮をしてくださる監督で、さまざまなことを考えてくださったり教えてくださったので、本当によかったと思っています。 外に出て子供も性格や考え方も変わったな、大人になったなって思いますし、バスケだけなくて、精神面でも強くなったなって思いましたから。 親元を離れて初めてわかることもありますよね。 体作りは食べることでもあるので。 いくらトレーニングをしていても食事がちゃんとしていなかったら体はできないと思うので、頑張りました。 そんなふうに子供のサポートを頑張ってこられているのは、自分が両親からそうしてもらってきたからというのがあります。 だから、自分も両親がそうしてくれたようにしっかりサポートしてあげたいと思って……それは同じようにスポーツ(野球)選手だった主人も同じ思いです。 日本代表になりたいという気持ちは2人ともやっぱりありますよね。 上の子は大学に行って真剣にやりたい、ユニバの代表にも選ばれたいという思いが強くなっていますし、下の子はちょっと疲労骨折などけがが続いていたんですけど、ようやくしっかりできるようになってきて、今2人とも自分がなりたいという目標に向けて頑張っている状態です。 せっかく始めたバスケですし、厳しい状況で戦ってきて頑張ってきているので、将来も何かしらバスケに携わってもらいたいなと思いますね。 今頑張っていることは絶対無駄にはならないですし必ずプラスになるので、今のうちにたいへんなことをたくさんして今しかできない苦労をやって、自分の頑張ってきたことを身につけて、自分のやりたい道をしっかりと進んでいってほしいと思います。 正直、日本でなく他の国でのオリンピックの方が戦いやすいと思います。 東京は地元ですし、地元だからしっかりとした成績を残さなければならない、どの競技もふがいない試合はできないと、そういった部分でもよりたいへんなのではと思います。 今の段階でも、もちろん個々のレベルは上がっていて世界レベルになっていますが、日本ですから、その東京五輪の日本代表としての日の丸の重みはたいへんになると思うので、今以上に自分をアピールして自分をしっかり出して頑張ってほしいなと思います。 バレーボールは注目される競技でもありますから、老若男女問わずに人気のあるスポーツなので。 現役って長いようで短いですし……。 そうですね。 今は前よりは現役を長く続けられるようになったとは思うんですけど、選手としてプレーできる時間は限られていますから。 今を頑張ってほしい。 大切に過ごしてほしいと思います。

次の

男子バレー山内晶大の顔小さすぎない?結婚・嫁の名前は菜都美!

バレー 男子 山内

男子バレーボール日本代表・山内晶大選手! リオデジャネイロオリンピック男子バレーボール世界最終予選の男子日本代表選手に山内晶大選手が選ばれました! 今日はこのリオデジャネイロオリンピック男子バレーボール世界最終予選に出場する『山内晶大選手』について調べてみました! 山内晶大選手の基本情報! 山内 晶大(やまうち あきひろ)。 1993年11月30日生まれ。 愛知県出身。 身長204㎝、体重74㎏。 所属チーム・・・パナソニック・パンサーズ。 ポジションはミドルブロッカー。 山内晶大選手の魅力は、まずはなんと言っても圧倒的な高さにあると思います。 身長は204㎝。 今回の男子バレーボール日本代表メンバーの中で、ナンバー1の身長の高さになります。 高さという点では、世界レベルとも引けをとらないので、全体では高さに不安がある日本にとって、とても貴重な存在と言えると思います。 是非その高さで、ブロックを量産してほしいところですね! また高さとともに俊敏生も兼ね備えているので、クイック攻撃等の攻撃面でも、期待したいですね。 山内晶大選手の経歴は? 山内晶大選手がバレーボールを始めたのは、なんと高校生の時からになります。 日本代表クラスの選手というと、小さい頃からその競技に打ち込んでいるイメージがかなり強いと思いますので、かなり驚きですよね。 中学生まではバスケットボール部に所属していたとのことなので、俊敏性はここで養われたものなのかもしれませんね。 名古屋市立工芸高等学校に入学した後も、最初に所属したのは、ハンドボール部だったそうです。 しかしながら、当時かなりの細身の体付きだった山内晶大選手は、ボディコンタクトのあるスポーツは向かないと感じて、ハンドボール部も1ヶ月程でやめてしまいます。 そんな時に高校のバレーボール部の志水監督に勧められたこともあり、ハンドボール部に入部したとのことです。 この時の志水監督の誘った言葉が、『うちのバレーボールは厳しくないからうちに入らないかい?』というものだったようです。 実際名古屋市立工芸高等学校のバレーボール部は強豪校とは言えませんが、この時急激に身長が伸びていた山内晶大選手にとってはぴったりだったのかもしれません。 志水監督は、急激に身長が伸びている山内晶大選手に大きな負荷が掛からないような練習を指せていたようです。 身長が急激に伸びる時期に、大きな負荷をかけると怪我等に繋がったり、成長をさまたげる恐れがあるのでそこに注意をしていたそうです。 そんな志水監督の指導が山内晶大選手には、ぴったりだったようで、入学した時に182㎝だった身長が、2年生の時には192センチになり、3年生の時には198センチに急激に伸びています。 そして高3の時には、岐阜国体の愛知選抜メンバーに選出されています。 バレーボールを始めてから2年程で国体メンバーに選ばれていることからも、山内晶大選手がただ背が高いだけではなくバレーボールのセンスがずば抜けていたことがわかるのではないでしょうか。 その後は愛知学院大学に進学。 バレーボールを始めてからわずか5年程の2014年4月、全日本メンバーに登録、5月23日のワールドリーグ対ドイツ戦に出場し、日本代表デビューを果たしています。 9月には、仁川で行われたアジア競技大会に出場、銀メダルを獲得する活躍をみせています。 2015年12月にVプレミアリーグのパナソニック・パンサーズに入団が内定しています。 山内晶大選手がイケメンでかっこいい! 山内晶大選手 一番右 は、柳田将洋選手 右から二番目 、石川祐希選手 左から二番目 、高橋健太郎選手 一番左 とともに、全日本の将来を担うであろうイケメン選手、『NEXT4』の1人になっています。 東京オリンピックの強化選手である『team CORE』にも選ばれていて、期待の若手選手です! そしてルックスも、超高身長で甘いマスクと文句の付けようがなく、イケメンとしても大人気になっています。 一部では、巨人の坂本選手に似ているという声もあるみたいですね! 山内晶大選手の彼女は? そんな実力もあって、イケメンで高身長の山内晶大選手ですが、彼女がいるのかどうか、とても気になりますよね。 とりあえず現在のところは、彼女がいるという噂はないようです。 しかしながら、高校時代には彼女がいたそうです。 以前雑誌のインタビューで、『高校卒業の時に第2ボタンを付き合っていた彼女にあげた』答えていたそうです。 なのでもしかすると、現在でもひっそりと交際を続けている可能性もあるかもしれませんね。 山内晶大選手は、テレビ番組で好きな女性のタイプについて聞かれた際に、『背の高い女性』と答えています。 理想は180㎝以上とのことでした。 理由は、相手が常に自分を見上げることになってしまうと相手が疲れちゃうから。 というとても優しい理由でした。 確かに山内晶大選手は204㎝なので、180㎝くらいの女性の方が並んだ時にバランスがいいですよね! 180㎝くらいの女性と言えば、同じ女子バレーボールの選手とかがお似合いなのかもしれませんね。 個人的には、女子バレーボール日本代表の古賀紗理那選手 180㎝ 、石井優希選手 180㎝ 、宮下遥選手 177㎝ なんてお似合いな気がするんですがどうでしょうか。 いずれにせよ、山内晶大選手はかなりのイケメンなので、女性にはかなりモテそうだということは間違いないと思います! 山内晶大選手に注目! 2016年にはリオデジャネイロオリンピックが開催されます。 前回のロンドンオリンピックでは、世界最終予選で敗退して、出場すらできなかった男子バレーボール日本代表。 今回のリオデジャネイロオリンピックは、是非出場権をつかみとってほしいと思います。 それには山内晶大選手の活躍が必要ではないでしょうか。 是非注目していきたいと思います! 他の日本代表選手の記事はこちら!.

次の

山内晶大の喫煙説やバレーが下手と言われる噂の真相は?かわいい彼女と結婚間近?|Fun Fun Sports!

バレー 男子 山内

美しきバックアタッカー、山内(藤本)美加さん。 ロス五輪でアメリカ女子を、バルセロナ五輪でオランダ男子を銀メダルに導いた名将、アリー・セリンジャー氏の指導で1990年代当時、女子ではほとんどなかったバックアタックを習得。 182cm、最高到達点317cmの高さからパワフルな強打を叩き込み、所属していた久光製薬スプリングスの前身クラブ、ダイエーオレンジアタッカーズを第1回Vリーグチャンピオンに導いた。 元プロ野球・オリックス選手の藤本俊彦さんとの結婚を機に引退し、現在は徳島で暮らす。 選手時代の思い出、バレーボールへの思い、バスケットボール選手の娘さんのことについてなどお話しいただいた。 引退されたのは確か……。 お久しぶりです。 引退したのは1997年です。 結婚を機に引退したので、結婚して20年経ったってことですね。 サリー(坂本清美さん)とか、ダイエー時代の同期と行くこともありますね。 依頼があるときに、小学生や中学生に教えています。 子供の(バスケの)試合や仕事もあるので単発的にですが、バレーとは離れたくないというか携わっていきたいと思っていますし、懐かしい人たちに会えるのはリフレッシュにもなって楽しいので、やれるときは頑張りたいなと思っています。 普段も試合はよく見ています。 徳島市の観光案内所で仕事しています。 徳島市の案内をしたり特産品を紹介したりですね。 徳島といえば「阿波おどり」って感じですが、自然も多いですし、観光地としては「うずしお」「かずら橋」もいいですね。 食べ物も海の幸とかおいしいものもたくさんありますね。 それから人柄が「阿波おどり」のようににぎやかながら気さくで優しい人たちなので、いらっしゃっても楽しくゆったり過ごせる場所だと思います。 バレーからずいぶん離れているので、たまにですけどね。 お母さん世代からときどき言われます。 旦那さんと娘が2人です。 主人はスポーツのトレーニングを教えています。 娘2人はバスケットボールを頑張っています。 20年経ったわけですねぇ……。 現役の頃のことを振り返ってみて、今どんなふうに思われますか? やっぱりたいへんでしたね……(笑)でも自分の中で基本というか、バレーができるようになったのはセリンジャーさん(アリー・セリンジャー氏、ロス五輪でアメリカ女子を、バルセロナ五輪でオランダ男子を銀メダルに導いた名将。 国内でもダイエー、パイオニアの監督としてVリーグで優勝)がダイエーに来られて指導を受けるようになってからで、自分の人生が変わりました。 そこからナショナルチームにも選考してもらえるようになったので。 でも、今では子供たちに教えたり触れ合ったりしてバレーボール楽しいなと思えますけど、当時はたいへんなこと、苦しいこと、つらいことが、やっぱり一番でした。 体が資本だったし、セリンジャーさんには徹底的に体を鍛えられましたから。 20歳くらいからずっと。 走り込みやトレーニング、練習がそれはもうたいへんで。 ボールを使うよりも外に出て走ったりすることが多かったですね。 朝や練習後に200mダッシュ3本、5本のノルマがあったり、50m走を20本だったり、1マイル走をしたりなど、ありとあらゆる走るトレーニングをしていましたね。 その後にウエイトトレーニングももちろんあります。 まあ走ることは基本なんですけども。 それで会ったときに、「あれ、やっぱりほんとでした。 たいへんでした」って話したことも。 ほんとにきつかったですね。 ああ、そうですね。 たぶんセリンジャーさんのハードワークをそのまま引き継いでいるんじゃないかなと思います(笑)それだけハードワークしないと「戦う体」を作れないですからね。 そしてそういう体作りの結果、土台ができて、あの「バックアタック」が生まれたわけですね。 今は女子もけっこう打ちますが、1990年代初めとしては珍しかったのではないですか。 セリンジャーさんが美加さんの素質を見てバックアタッカーとしての才能を開花させてくれたわけですね。 そうですね、あの頃は、あまりバックアタックはなかったですね……。 入るタイミングなどいろいろと。 本当にできるまでしつこくやりましたね。 やり始めた頃に40日間の海外遠征があったので、当たり前にバックアタックが打てる、当たり前にバックアタックとして入るフォーメーション、ポジション、コンビができるまで徹底的に言われ続け、やり続けました。 セッターもたいへんでしたよね? はい、名取(辻知恵さん)もたいへんだったと思います。 そうですね。 最初にセンター、それからライトへなど、パターンにしたがっていろんな所から打っていましたね。 バックアタック1本で、ライトからだけセンターからだけみたいになっていることが多いですが、一つのポジションからだけでなく、もっといろんな所から打つとか、もっと絡みを入れてもいいのかなとは思います。 単発になったらバックアタックもあまり意味がないので、前で他がいろいろ絡んでとか……。 ダイエーの時はボールが少々離れようが(パスやディグが)崩れようが、センターなどから絶対にバックアタックに入らなければいけないという感じでやっていました。 全員がその動きの中で止まることなく必ず動かなければいけなかった。 こう動いたらこう動くみたいなのが自然にできるようになるまで(コンビ練習などを)やっていました。 複雑なコンビネーションの中からのバックアタック見たいです。 そして美加さんはオリンピックも経験されました(バルセロナ、アトランタ五輪に出場)。 ナショナルチームのことで覚えていらっしゃることは? バルセロナは全日本に選ばれて初めての年だったのでたいへんでしたね。 見ていたスターメンバーが勢揃いで。 (中田)久美さん(現・久光製薬総監督、次期の日本代表監督)、(佐藤)伊知子さん(東北福祉大監督)、(大林)素子さんらがいて、どういう人なんだろう、どうすればいいんだろうってとても不安で緊張していました。 でも、みなさんサバサバしていて、試合は勝負事なので厳しいですしそれは当たり前なんですが、試合や練習を離れると気さくに話ができました。 久美さんとは部屋が一緒のときもあっていろいろと気にかけてくださって、どんなトスがいい? とかも聞いてくださったりして気持ちが楽になりました。 出てわかったんですが、国際大会にもいくつも出ていますが、オリンピックはまるで違う雰囲気でしたし、気持ちがまるで違いました。 やっぱりどの競技もトップの人たちが来ている中で、そこに日本の代表としていられるのは誇らしかったですし、頑張ってよかったと思いました。 でも、よかっただけではなかったですけどね……バルセロナはメダルが懸かっていて本当にたいへんだったし、ものすごく緊張して記憶が……試合も全部は覚えていないくらいで。 それからアトランタはフルで出られず見ていることが多かったので、(私)何をやっているんだろうと感じていたりしましたので(結果はバルセロナ五輪5位、アトランタ五輪9位)。 最初からバレーでなくバスケットだったのですか? はい、そうですね。 まず姉(愛妃)の方が、友達がバスケットボールをやっていて一緒に遊んでいるうちにバスケットやりたいと先に始めました。 妹の方(愛瑚)は(お父さんの影響もあってか)野球がうまくて大好きで少年野球をやる予定だったんですけど、将来的にどうかなと思って……それで体験で姉が行っていたバスケットボールクラブに行ったら、「自分もバスケットをする」ってなりました。 楽しかったんでしょうね。 それからずっとバスケットボールをやっています。 競技は違いますが、日本代表として活躍された経験から、娘さんが日本のトップクラスでやっていけるかなと思われたのはどのあたりですか? 小学校で全国大会に出場して、小松島中学校で、四国大会で優勝して全中に行くことができました。 それで高校から県外へ行くきっかけができ桜花学園に入ったあたりでしょうね。 でも桜花へ行っても厳しかったですね。 全国区の、トップのレベルの選手が集まっていて練習もたいへんですし、親元を離れて寮生活をしていてホームシックになる選手もいたり。 それでもできるだけそうならないように配慮をしてくださる監督で、さまざまなことを考えてくださったり教えてくださったので、本当によかったと思っています。 外に出て子供も性格や考え方も変わったな、大人になったなって思いますし、バスケだけなくて、精神面でも強くなったなって思いましたから。 親元を離れて初めてわかることもありますよね。 体作りは食べることでもあるので。 いくらトレーニングをしていても食事がちゃんとしていなかったら体はできないと思うので、頑張りました。 そんなふうに子供のサポートを頑張ってこられているのは、自分が両親からそうしてもらってきたからというのがあります。 だから、自分も両親がそうしてくれたようにしっかりサポートしてあげたいと思って……それは同じようにスポーツ(野球)選手だった主人も同じ思いです。 日本代表になりたいという気持ちは2人ともやっぱりありますよね。 上の子は大学に行って真剣にやりたい、ユニバの代表にも選ばれたいという思いが強くなっていますし、下の子はちょっと疲労骨折などけがが続いていたんですけど、ようやくしっかりできるようになってきて、今2人とも自分がなりたいという目標に向けて頑張っている状態です。 せっかく始めたバスケですし、厳しい状況で戦ってきて頑張ってきているので、将来も何かしらバスケに携わってもらいたいなと思いますね。 今頑張っていることは絶対無駄にはならないですし必ずプラスになるので、今のうちにたいへんなことをたくさんして今しかできない苦労をやって、自分の頑張ってきたことを身につけて、自分のやりたい道をしっかりと進んでいってほしいと思います。 正直、日本でなく他の国でのオリンピックの方が戦いやすいと思います。 東京は地元ですし、地元だからしっかりとした成績を残さなければならない、どの競技もふがいない試合はできないと、そういった部分でもよりたいへんなのではと思います。 今の段階でも、もちろん個々のレベルは上がっていて世界レベルになっていますが、日本ですから、その東京五輪の日本代表としての日の丸の重みはたいへんになると思うので、今以上に自分をアピールして自分をしっかり出して頑張ってほしいなと思います。 バレーボールは注目される競技でもありますから、老若男女問わずに人気のあるスポーツなので。 現役って長いようで短いですし……。 そうですね。 今は前よりは現役を長く続けられるようになったとは思うんですけど、選手としてプレーできる時間は限られていますから。 今を頑張ってほしい。 大切に過ごしてほしいと思います。

次の