東急 映画館。 映像事業:東急レクリエーション

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東急 映画館

が所有・運営し、前(東口)を代表する文化施設として知られた。 (15年)に閉館、建物も取り壊された。 跡地には(24年)、新たな複合ビル「」が開業した。 概要 [ ] が構造設計を行い、造、地下1階地上8階塔屋3階建であった。 4つのや美容室、レストラン、書店などの店舗が入り、特に屋上には「」が設置された事もあり、東京の名所としてのコースに組み込まれた程の人気を博した。 当時の国鉄渋谷駅東口は、のターミナルであった事から、交通の混乱を避けるために、開業と同時に歩道橋が作られ、東急東横線の改札口から段差なしで文化会館にいくことができた。 しかし、(平成元年)、に併設される形で日本初の大型の複合文化施設としてが開業し、東急グループを代表する施設ではなくなった。 (20年)、跡地の地下に東京メトロ副都心線が開業した。 この施設の跡地は(24年)に「」として再スタートをきった。 歴史 [ ]• (昭和18年) 00月00日 - 立渋谷小学校の移転に伴いが敷地(金王町36番地)を譲り受け、残された木造校舎を本社分室として使用する。 (昭和20年) 00月00日 - 空襲により全焼する。 終戦後、バラックの「渋谷第一マーケット」が開設され、明治通りの拡張に伴い、敷地の増減を経て現在の敷地が確定する。 (昭和30年) 07月 00日 - 建設着工。 (昭和31年) 0 - 株式会社東急文化会館を設立。 1956年(昭和31年) - 株式会社東急文化会館の運営により 開館。 渋谷パンテオンが開業。 東急文化会館と渋谷駅(1960年頃撮影)• (昭和32年) 0 - が営業開始。 (昭和41年)11月 00日 - 株式会社東急文化会館が、新日本興業(後の)へ吸収合併される。 1966年(昭和41年) - 東急日動画廊開設。 (昭和57年) - 渋谷パンテオンと東急名画座にて『』封切。 半年に及ぶロングランを記録し、同会館史上最大のヒット作となる。 (昭和60年) 00月00日 - 第1回が開催される。 (昭和61年) 06月 00日 - 東急名画座が「渋谷東急2」に改称される。 ( 02年)10月 00日 - 東急レックスが「渋谷東急3」に改称される。 (平成12年) 07月 00日 - 東急ゴールデンホール(結婚式場・宴会場)を閉鎖する。 (平成13年) 0 - 天文博物館五島プラネタリウムを閉鎖する。 (平成14年) 0 - 閉鎖および解体を発表する。 (平成15年) 03月 00日 - が権(5,103 )の共有持ち分の10分の7をにし、を売却する。 ビー・ケー・アセットファンディング有限会社(の特別目的会社)が購入する。 2003年(平成15年) - 完全閉鎖する。 東急文化会館(2003年) フロア [ ] 開館当時のフロア構成 [ ] 文化理髪室 店舗概要 所在地 〒145-0062 2丁目24-15 開業日 (現店舗移転年) 正式名称 文化理髪室 施設所有者 東京都理容生活衛生同業組合大田支部 営業時間 10:00 - 18:30(平日) 9:00 - 18:00(土・日・祝日) 駐車台数 なし台 最寄駅 外部リンク 階 東急文化会館 8F 東急ゴールデンホール・天文博物館五島プラネタリウム 7F 東急ゴールデンホール 6F 東急名画座 5F 渋谷東急 4F 東京田中千代服装学園 3F 資生堂美容室・理髪店 2F 文化特選街 1F 渋谷パンテオン・東急不動産渋谷営業所・文化三共薬局 B1F 東急ジャーナル・文化地下食堂 その後もテナントの入れ替えを繰り返し、過去になどが、最末期にはやなども入居していた。 文化理髪室 [ ] 文化理髪室は文化会館3階にあり、が贔屓にする理容室として知られていた。 当施設閉館後に移転。 店名は変えず、長嶋茂雄も変わらず来店している。 映画館 [ ] 東急文化会館上映作品動員数ランキング 順位 上映年 作品 監督 上映館 動員数 1位 パンテオン 東急名画座 597,687人 2位 渋谷東急 353,725人 3位 パンテオン 309,948人 4位 (監督) (総監督) パンテオン 293,676人 5位 パンテオン 266,931人 渋谷の東口から見える大きな4つの映画看板で知られていた。 以下の館名・定員はすべて閉館時のものである。 渋谷パンテオン (1階) 定員1,119人。 名称は円形劇場を意味しており、プラネタリウムを持つこの建物にちなんでいる。 70mm映写機や(の『闘牛十四号』)もあった超大型の映画館。 その大きさのため、など、数々のイベントの会場となった。 終盤期には、主にチェーンの映画を上映していた。 渋谷東急 (5階) 定員824人。 後のにつながる映画館。 ファミリー向きの映画などが多く上映されていた。 松竹東急系のチェーンマスターでもある。 渋谷東急2 (6階) 定員381人。 開業時は 東急名画座の名称だった。 終盤期には1系の作品を中心に上映していた。 渋谷東急3 (地下1階) 定員374人。 開業時は 東急ジャーナルとしてニュース映画を低価格で流していた。 その後、低料金で映画を提供する映画館として 東急レックスという名称で運営された。 また、映画館としてだけではなく、テレビ番組『』()の収録会場として使用されていた時期もあった。 様々な系列の映画を上映していたが、最終期には 丸の内シャンゼリゼ(現・2)などと少数館でチェーンを組み、ミニシアター向けの映画を中心に上映していた。

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渋谷のシンボルが47年の歴史に幕 サヨナラ「渋谷東急文化会館」

東急 映画館

消えた映画館 地域 映画館 コメント ここで見た映画の数々 日比谷、銀座、有楽町 日比谷スカラ座 東京宝塚劇場のビル内にあったので、映画を見終わって、外に出るとヅカファンの女性の群がたむろしているところをかいくぐって帰路につくのでした。 新しいビルでも同じ状況になっているのだろうか。 シンドラーのリスト、ハード・ウェイ、トミー、真夜中のカーボーイ、パリは霧にぬれて 有楽座 ここは、満員で扉を開けたまま伸びをしながら見た覚えがある。 あれだけ大きな劇場がいっぱいになった映画は「ポセイドン・アドベンチャー」でした。 裏にゲームセンターがあった。 ロシュフォールの恋人たち、夜の大捜査線、招かれざる客、オリバー、暗くなるまでこの恋を、チャイコフスキー、小さな巨人、ジョー・ヒル、屋根の上のバイオリン弾き、ニコライとアレクサンドリア、ラムの大通り、帰郷、フレンジー、ラ・マンチャの男、ポセイドン・アドベンチャー 日比谷映画 ビルの中に入ってるのではなく、独立した建物としてあった映画館としては最高の外観を持っていたと思う。 冒険者たち、007は二度死ぬ、夕日よ急げ、オー!、フレンチ・コネクション、ジュニア・ボナー、ゲッタウェイ、ファミリー・プロット 千代田劇場 (日比谷映画) 旧千代田劇場が日比谷映画と名前を変えた。 名前のみ残っていた日比谷映画もとうとうなくなってしまった。 同ビルにあった芸術座やみゆき座は、その最後も注目されたが、ここはそれもなく、寂しい最終日を迎えた。 二十歳の原点、 朝やけの詩、スケアクロウ、 津軽じょんがら節、フェリーニのアマルコルド、サンダカン八番娼館 シザーハンズ、七人の侍、紅の豚、ジュラシックパーク、クール・ランニング、プレタポルテ、ストレンジデイズ-1999年12月31日-、ナッティ・プロフェッサー・クランプ博士の場合、危険な動物たち、チャンス!、モンタナの風に抱かれて、メリーに首ったけ、ザ・ビーチ、オーロラの彼方 みゆき座 日比谷に残っていた最後の映画館にも最後の時がやってきた。 みゆき座という女性名をもつにふさわしい映画が上映されていたように思う。 ふたりだけの窓、卒業、ジョンとメリー、影の軍隊、野生の少年、愛の狩人、フェリーニのローマ 、恋のエチュード 、フォロー・ミー 、ジョニーは戦場に行った 、マクベス、バタフライはフリー 、シンデレラリバティー 、かもめのジョナサン、エマニエル夫人 、カッコーの巣の上で 、普通の人々、ドクター、マルコムX、エイジ・オブ・イノセンス/汚れなき情事、ジョイ・ラック・クラブ 、永遠の愛に生きて、フォー・ウェディング 、ナイトメアー・ビフォア・クリスマス、フランケンウィニー、勇気あるもの、ある貴婦人の肖像、クルーシブル、ファースト・ワイフ・クラブ 、ベスト・フレンズ・ウェディング、L. コンフィデンシャル 雨あがる、ワンダー・ボーイズ 、友へ/チング、ハイ・クライム 、ホワイトオランダー、アバウト・シュミット 丸の内東宝 日劇の真下にあった。 だから丸い。 カジノ・ロワイヤル、キャッチ22 日劇文化 日劇の地下にあった、主に高尚な映画あるいはATG作品をやっていた。 小さな階段を下って中に入る。 日劇の体内に入るような感じがした。 木靴の樹、バルカン超特急、生きる、アンドレイ・ルブリョフ、キャロル、夏の妹 丸の内ピカデリー 入り口を入って、階段を上る。 大劇場のおもむきがあって最高。 人間の条件、ファニー・レディー、タワーリング・インフェルノ、ザッツエンタテイメント、ペーパームーン、スケアクロウ 丸の内松竹 丸の内ピカデリーの隣りの地下にあった。 日劇のとなりの朝日新聞のビル裏にあった。 日劇と一緒になくなってしまった。 アメリカの夜、危険な訪問者、愛はひとり、ギャンブラー、殺人捜査、素晴らしき戦争 松竹セントラル 松竹本社の裏にあった。 新しいビルになったが、映画館にはならなかった。 ジャワの東、華麗なる大泥棒、マーフィーの戦い、死刑台のメロディー、プロフェッショナル、ジョーズ、トゥルー・ロマンス、パーフェクト・ワールド、スワロテイル テアトル東京 東京にあった唯一のシネラマ館。 細い紐状のものでスクリーンになっている。 ようするに映画は見せ物に過ぎない部分があるということ。 本当の意味でのシネラマは見てないかもしれない。 ウエストサイド物語、大地震 テアトル銀座 シネラマのテアトル東京の裏にあった。 たしか地下。 フィクサー、ドクトル・ジバゴ、ホスピタル 旧フィルムセンター 1984年9月の火事で多くのフィルムが失われてしまった。 公立のアーカイブとしてのここはとても貴重な場所だった。 より多くの予算をつけて、全ての映画を残さなければならないのではないか。 映像の国立図書館になるべきだ。 1994年に再建なって、特集上映については満足できる作品が選ばれている。 東京の合唱、伊豆の踊子、隣の八重ちゃん、人生のお荷物、或る夜の殿様、別れの曲、乙女の湖、白き処女地、最後の億万長者、罪と罰、大いなる幻影、煙突の見える場所、蛍火、レベッカ、イントレランス、大人は判ってくれない、月世界旅行、いとこ同志、百万両の壺、二十四の瞳、お早よう、蟻の街のアリア 並木座 ここがなくなって、日本映画の名作を見る機会がほとんどなくなってしまった。 分かっていたら、もっと見ておくべきだったと後悔。 赤線地帯、幕末太陽伝、名もなく貧しく美しく、人情紙風船、麦秋、東京暮色、エノケンのちゃっきり金太、めし、姿三四郎、萌えの朱雀 東劇 20年位前に立て替えられてしまった。 以前のは歌舞伎や芝居を上演するための劇場だったようで、内部は重厚かつ華麗な装飾があって、昔はさぞ美しかっただろうと思ったものです。 10億ドルの頭脳、ジュリアス・シーザー、冒険者、さらば美しき人、おかしなおかしな大追跡、大いなる勇者、アリスの恋、セント・アイブス、ファウルプレイ、カリフォルニア・ドリーミング 銀座東急 ずっと以前に「前線座」という名前の映画館だったらしい(本からの知識)。 銀座といっても新橋寄りにあった。 ある愛のすべて、シンドバッド 黄金の航海、わが青春のとき 日本橋 三越名作劇場 三越別館にあった。 なんであんなところに映画館を作ったのだろう。 デパートにある美術館と同じ発想か。 見やすかった。 シェルブールの雨傘 新宿 新宿ローヤル ワシントン靴店の後ろにあった。 はっきりとしたコンセプトで上映する映画を選んでいたように思う。 営業マンがひまつぶしに入るのに一番のところではなかったか。 流れ者、ザ・カー、モンテ・ウォルシュ、大悪党ジンギスマギー、死刑台に接吻、大脱獄、ミニミニ大作戦 新宿西口パレス 小田急デパートの裏にあった。 男と女、幸福、ヘルプ、ビートルズがやってくるヤーヤーヤー 新宿日活名画座 いまや伝説となった映画館。 伊勢丹前の今、丸井のところにあった。 何階にあったのか、階段をずっと上っていった覚えがある。 冒険者たち、太陽がいっぱい、罪と罰 新宿文化 日劇文化とは兄弟のような関係か。 おしゃれな感じの黒い外装が特徴的。 破壊!、ルシアンの青春、私のように美しい娘 シネマ新宿 新宿日活オスカー 新宿ロマン 新宿京王名画座 新宿のどこにあったかを思い出せない、かわいそうな映画館。 いや、かわいそうなのは映画館ではなく、私自身だ。 だれか教えて。 ひとりぼっちの青春 警視の告白 ぐうたらバンザイ 生きる、カサンドラクロス、スキャンダル アルゴ新宿 日活の上映館で、独特な視点で映画を選んでいて貴重な存在であった。 新宿駅南口のごちゃごちゃしたところにあった。 にっかつが倒産して、ここも消えた。 櫻の園、12人の優しい日本人 渋谷 東急名画座 東急文化会館ビルの6階にあった名画座。 いついっても混んでいた印象がある。 それだけいいのをやっていたのだろう。 1本立ての名画座は今はない。 ティファニーで朝食を、グレート・レース、若草の祈り、哀しみの終わるとき、恋する女たち、昼下がりの情事、おしゃれキャット、帰らざる夜明け、ひとりぼっちの青春、BIRD・SHT、愛のふれあい、ジャイアンツ、ベッドかざりとほうき、時計じかけのオレンジ、イルカの日、離愁、南太平洋、ダブ、さよならの微笑 渋谷全線座 わりと大きな劇場だった。 2階の後ろから見るとスクリーンはずっと向こうにあった。 007は殺しの番号、ゴールド・フィンガー、サウンド・オブ・ミュージック、おかしなおかしなおかしな世界、ニューヨーク大混戦、チップス先生さようなら、ネバダ・スミス、ナタリーの朝 渋谷パレス 西武B館裏、今の渋谷シネパレスの場所にあった。 雪国、忍ぶ川、明日の壁をぶち破れ 渋谷パンテオン 東急文化会館の1階。 ここは上記の名画座以外にはあまり入っていない。 どこでも見られる映画をわざわざ渋谷で見ることないからだ。 羊たちの沈黙、ノッティングヒルの恋人、ワイルド・ワイルド・ウェスト 渋谷東急 東急文化会館の5階。 フォールームス、大いなる遺産、鳩の翼 渋谷東急2 東急文化会館の6階。 元東急名画座。 マルコヴィッチの穴 渋谷東急3 東急文化会館の地階。 オリヴィエ・オリヴィエ 池袋 文芸座、文芸座地下あるいは文芸座2、ルピリエ 見逃した作品を追いかけることができる貴重な場所だった。 オールナイトの雰囲気も最高。 新文芸座は最高にきれい。 名画座にしておくのはもったいないくらい。 童年往事、ニュージャックシティ、悲しき酒場のバラード、ファミリービジネス、恋人たちの予感、ピラミッド、密告の砦、エドワード・ヤンの恋愛時代、LOVE LETTER、この窓はだれのもの 池袋日勝 池袋地球座 池袋劇場 池袋松竹 池袋スカラ座 明治通り沿いに並んであった。 今は家電、カメラ店が並んでいる。 赤い鳥逃げた?、反逆の報酬、王将 地上最大の脱出作戦、アメリカ上陸作戦 日本百年、アドベンチャー・ファミリー 流れの譜 暗殺の森、ミネソタ大強盗団 大塚 大塚名画座 大塚駅を下りて、信号を渡り映画館に行くまでの商店街のにぎわいが好きだった。 あそこで食料を調達した。 今はどうなっていることか。 都電は健在。 さらば冬のかもめ、幸福の旅路、誓いの休暇、危険なめぐり逢い、魔術師、デリンジャー、道、旅情、ロイ・ビーン、ソイレントグリーン 鈴本キネマ 大塚名画座と同じビル内の地下にあった。 日本映画をやっていた。 名画座の雰囲気ではなく、シネマカリテで二本立てって感じか。 細長い館内。 幻の光、マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ、スイート・スイート・ビレッジ 高田馬場パール座 高田馬場つながりでここは忘れられないところ。 たしか西友の店のところにあった。 いつも混んでいた印象がある。 学生が多く来ていたようす。 フェリーニの道化師、グリニッジビレッジの青春、哀しみのベラドンナ、ウィークエンドラブ 東京 八重洲スター座 八重洲口にあった、ささやかだが通好みの二本を組んでいた。 愛情物語、ピクニック、山猫、夏の嵐 上野 上野パーク 上野公園入り口近くにあった。 ジョアンナ、エスカレーション 上野日活オスカー 同上、今はパチンコ屋 ラスト・ラン 上野傑作座 今のヨドバシカメラあたりの二階にあった、スクリーン裏から上映されていた。 大攻撃、地上より永遠に 浅草 東京倶楽部 内部は時代がかったアールデコ風の意匠、浅草華やかりし頃の遺産のようだった。 ニューヨーク・ストーリー 中野 中野名画座 駅前の地下にあった小さな映画館。 セブンチャンス、蒸気船、続・激突!カージャック 六本木 シネヴィヴァン六本木 いったいどうして? と思った、なくなると聞いた時に。 これで六本木に行く用事はまったくなくなった。 最初の頃はかなり積極的な作品をやっていたのになあ。 内装がすっきりとしていてとても気に入っていた。 今はどうなっているのか、行く機会がないのでわかならい。 季節のはざまで、君はどこにいるの?、木と市長と文化会館または七つの偶然、愛しのタチアナ、恋人たちの食卓、愛情萬歳、黒い罠、ウェールズの山、ケス、家庭生活、夜空に星のあるように、ブラック・ジャック、レディーバード・レディーバード、夏物語、オープン・ユア・アイズ 飯田橋 飯田橋佳作座 ここは、洋邦問わずやってくれて、駅からも近いから、時間ぎりぎりでダッシュして行ったりした。 今はパチンコ屋に変わっている。 でも飯田橋にはギンレイホールがまだある。 がんばれ! 歴史としての聖書、お吟さま、錆びた炎、パリの灯は遠く、ヤング・フランケンシュタイン、ウエスト・ワールド、大地の子守歌、ブルジョワジーの秘かな愉しみ、ベンハー、青春の蹉跌 神保町 南明座 本屋街の裏側にあった、相当歴史のありそうな映画館、その最後期に出会ったわけだ 真昼の衝動、バーバレラ 水道橋 後楽園シネマ 後楽園の黄色いビルの1階にあった。 ここはずいぶん通った思い出の映画館だ。 最後のころはシネドームと名を変えた。 引き裂かれたカーテン、ミクロの決死圏、バルジ大作戦、戦争は終った、気狂いピエロ、ロンドン・パリ大脱線、ジャングル・キャット、ファンタジア、屋根の上の赤ちゃん、さよならコロンバス、サテリコン、アリスのレストラン、哀しみのトリスターナ、ひまわり、ヘザース ベロニカの暑い日、四万十川 青山 キノ青山 表参道駅近くのビルにあった。 映画館らしくない狹い場所で、いつのまにかなくなった。 無秩序な少女、アタラント号.

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109シネマズ二子玉川(二子玉川)上映スケジュール・上映時間:映画館

東急 映画館

が所有・運営し、前(東口)を代表する文化施設として知られた。 (15年)に閉館、建物も取り壊された。 跡地には(24年)、新たな複合ビル「」が開業した。 概要 [ ] が構造設計を行い、造、地下1階地上8階塔屋3階建であった。 4つのや美容室、レストラン、書店などの店舗が入り、特に屋上には「」が設置された事もあり、東京の名所としてのコースに組み込まれた程の人気を博した。 当時の国鉄渋谷駅東口は、のターミナルであった事から、交通の混乱を避けるために、開業と同時に歩道橋が作られ、東急東横線の改札口から段差なしで文化会館にいくことができた。 しかし、(平成元年)、に併設される形で日本初の大型の複合文化施設としてが開業し、東急グループを代表する施設ではなくなった。 (20年)、跡地の地下に東京メトロ副都心線が開業した。 この施設の跡地は(24年)に「」として再スタートをきった。 歴史 [ ]• (昭和18年) 00月00日 - 立渋谷小学校の移転に伴いが敷地(金王町36番地)を譲り受け、残された木造校舎を本社分室として使用する。 (昭和20年) 00月00日 - 空襲により全焼する。 終戦後、バラックの「渋谷第一マーケット」が開設され、明治通りの拡張に伴い、敷地の増減を経て現在の敷地が確定する。 (昭和30年) 07月 00日 - 建設着工。 (昭和31年) 0 - 株式会社東急文化会館を設立。 1956年(昭和31年) - 株式会社東急文化会館の運営により 開館。 渋谷パンテオンが開業。 東急文化会館と渋谷駅(1960年頃撮影)• (昭和32年) 0 - が営業開始。 (昭和41年)11月 00日 - 株式会社東急文化会館が、新日本興業(後の)へ吸収合併される。 1966年(昭和41年) - 東急日動画廊開設。 (昭和57年) - 渋谷パンテオンと東急名画座にて『』封切。 半年に及ぶロングランを記録し、同会館史上最大のヒット作となる。 (昭和60年) 00月00日 - 第1回が開催される。 (昭和61年) 06月 00日 - 東急名画座が「渋谷東急2」に改称される。 ( 02年)10月 00日 - 東急レックスが「渋谷東急3」に改称される。 (平成12年) 07月 00日 - 東急ゴールデンホール(結婚式場・宴会場)を閉鎖する。 (平成13年) 0 - 天文博物館五島プラネタリウムを閉鎖する。 (平成14年) 0 - 閉鎖および解体を発表する。 (平成15年) 03月 00日 - が権(5,103 )の共有持ち分の10分の7をにし、を売却する。 ビー・ケー・アセットファンディング有限会社(の特別目的会社)が購入する。 2003年(平成15年) - 完全閉鎖する。 東急文化会館(2003年) フロア [ ] 開館当時のフロア構成 [ ] 文化理髪室 店舗概要 所在地 〒145-0062 2丁目24-15 開業日 (現店舗移転年) 正式名称 文化理髪室 施設所有者 東京都理容生活衛生同業組合大田支部 営業時間 10:00 - 18:30(平日) 9:00 - 18:00(土・日・祝日) 駐車台数 なし台 最寄駅 外部リンク 階 東急文化会館 8F 東急ゴールデンホール・天文博物館五島プラネタリウム 7F 東急ゴールデンホール 6F 東急名画座 5F 渋谷東急 4F 東京田中千代服装学園 3F 資生堂美容室・理髪店 2F 文化特選街 1F 渋谷パンテオン・東急不動産渋谷営業所・文化三共薬局 B1F 東急ジャーナル・文化地下食堂 その後もテナントの入れ替えを繰り返し、過去になどが、最末期にはやなども入居していた。 文化理髪室 [ ] 文化理髪室は文化会館3階にあり、が贔屓にする理容室として知られていた。 当施設閉館後に移転。 店名は変えず、長嶋茂雄も変わらず来店している。 映画館 [ ] 東急文化会館上映作品動員数ランキング 順位 上映年 作品 監督 上映館 動員数 1位 パンテオン 東急名画座 597,687人 2位 渋谷東急 353,725人 3位 パンテオン 309,948人 4位 (監督) (総監督) パンテオン 293,676人 5位 パンテオン 266,931人 渋谷の東口から見える大きな4つの映画看板で知られていた。 以下の館名・定員はすべて閉館時のものである。 渋谷パンテオン (1階) 定員1,119人。 名称は円形劇場を意味しており、プラネタリウムを持つこの建物にちなんでいる。 70mm映写機や(の『闘牛十四号』)もあった超大型の映画館。 その大きさのため、など、数々のイベントの会場となった。 終盤期には、主にチェーンの映画を上映していた。 渋谷東急 (5階) 定員824人。 後のにつながる映画館。 ファミリー向きの映画などが多く上映されていた。 松竹東急系のチェーンマスターでもある。 渋谷東急2 (6階) 定員381人。 開業時は 東急名画座の名称だった。 終盤期には1系の作品を中心に上映していた。 渋谷東急3 (地下1階) 定員374人。 開業時は 東急ジャーナルとしてニュース映画を低価格で流していた。 その後、低料金で映画を提供する映画館として 東急レックスという名称で運営された。 また、映画館としてだけではなく、テレビ番組『』()の収録会場として使用されていた時期もあった。 様々な系列の映画を上映していたが、最終期には 丸の内シャンゼリゼ(現・2)などと少数館でチェーンを組み、ミニシアター向けの映画を中心に上映していた。

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