いて が み ばく。 London徒然草

野沢直子 おーわだばく 歌詞&動画視聴

いて が み ばく

大変ご無沙汰しました。 なんと一年近く放置のこのコラム。 ピップは昨年の11月25日で、17歳。 食べムラがあり、食べないこともあり心配する日もありますが、まあそういうこともあるかと、鷹揚に見守っております。 ブロッサムもなんとかたまにお腹が痛いなりに、頑張っております。 昨年、新しい獣医に行き、結局、その獣医さんと、慢性膵炎じゃないに違いない、と二人で、話をし、新しい薬を試したところ、どうやらそれが効いて(奇跡)お腹が痛くなっても、そこまで激痛に襲われることもなくなりました。 本当に原因はやはりわかりませんが、食事も、なま肉の時間をかけて切り替えつつあり、コントロールしております。 気まぐれ更新、今年から、ぜひ、したいと思う一月であります。 更新が滞った理由として、大きかったことの一つに、家の工事をしていた、ことが大きい理由でした。 昨年の4月から、家の増築工事をしておりました。 3ヶ月ほどで終わると言われていたのに、実は まだ終わっていません。 このままだと一年かかってしまうのか? 何しろ、日本と違い、何事も、予定通りいかないこの国。 覚悟はしていたものの、これほどまでとは思いませんで。。。 すっかりプライバシーも、平和も、心の安定も欠いたまま、10ヶ月。 工事が始まり、すぐに、なんの連絡もなく、誰もこず、説明もなく、電話の応答もなく、、、 それはそれは、まるで、我慢比べのような日々が続きました。 工事、98パーセントは終わりましたが、まだつづいています。 この国に来て、早20年近く、相当のんびりした性格になったと自負しているものの、あまりの想像を絶する事態に、怒るやら、呆れるやらの毎日が一年近くも続いており、それこそ、プチ鬱状態が続いたのでありました。 デスクに座る心のゆとりもなく、ご飯を食べようとすると職人さんがいきなりあわられたり、見ていないと、ブロッサムの口に、チョコレートを放り込んでいるのを見たり。 ということで、聞いてほしい、まだ、未だ終わっていない工事のお話です。 続く ***** わんこの日常はこちら 映画を見ました。 Japan Foundation Touring Film Programme 2018 という、イベントで日本映画を集中して上映するプログラムで、私が見たのは、西川美和監督の The Long Excuse 日本名、永い言い訳 です。 日本では2016年に公開されたようですね。 誘われて、映画に関する事前情報まったくなしで、いきなり会場に行くという、まっさらの状態で、見せていただきました。 評論家でもない自分の感想は、さておいて、自分の大好きなタイプの、どストライクの映画でした。 ドンパチするわけでもなく、殺人が起きるわけでもなく、人間の普遍的な営みと日々の生活をベースに、人間をあぶり出して行く、という大好きな展開。 余韻に浸りつつ、じっと見ていたエンドロールの、企画協力に、是枝監督の名前を見つけ、「なるほど〜」と深く納得。 主演の、本木雅弘さん、おくりびと、以来の主演だとか。 ロンドン在住ということもあったのか、上演前にご挨拶くださいました。 共演陣も、深津絵里、黒木華、竹原ピストルさん達がそのまま、そこに存在し、二人の子供の役者さんには、深く脱帽。 しかし、女性監督なのに、男の人のことがよくわかるんだなあ。。。 そして上演の後、再び本木さんが、ご登壇くださり、質疑応答に応じてくださいました。 合計45分ほどこの役に対して、また、それ以外のことを色々お話しくださり、終了後、出口で待ってくださって、来場のみなさんと、それぞれ写真も一緒に撮らせてくださいました。 私もちゃっかり隣に立って、写真を撮らせていただきましたよん。 見たばかりの役のイメージをひきづっていたわたしは、実際のご本人の繊細そうな佇まいに、驚きながら、そうだよな、あれは役だもの、と。 シブガキ隊の頃のイメージもあいまって、不思議な感覚でありました。 面白い再会もあったのですよ。 この質疑応答や、挨拶の間、通訳を務めていた写真右側の女性、実は、2012年ロンドンパラリンピックのボランティアで、一緒にバスケットアリーナで通訳をした、通称、「べっちゃん」 相変わらず、めまいがするくらい素晴らしい通訳で、ぼれぼれ。 すごい人だなあ。。 あのレベルの通訳さんは滅多にいません(断言) べっちゃんとも短いけれど、話もできたし、映画は楽しんで、心の中から満足して、ホクホクした気持ちで、小雨降る、寒いセントラルロンドンから帰宅したのでした。 わんこたちにも会いにきてね! ロンドンに引っ越して、本当に良かった、と思うのは、庭が持てたこと。 写真は今咲いている花の一部です。 春になって、庭に花が咲き始め、リスが走り回り、鳥がうるさいくらいやってきて、狐も横切って歩き、犬が、走り回れる。 こんなに気持ちを落ち着かせれくれるスペースを持つことができるのは本当にラッキーです。 週末、家族総出で大掃除をしました。 庭のシェド(道具小屋)も整理整頓。 そうそう、イギリスでは、大掃除は、春にするものです。 不要物を車に満載して、持って行ったエリアのリサイクルセンターは、朝から渋滞しておりました(笑)イースターの前に、大掃除。 皆同じなのかもですね。 夏時間も始まり、夕方7時半近くまで明るくなりました。 穏やかに暮らしています。

次の

「ばく」の索引 1ページ目

いて が み ばく

概要 [ ] 奈良県西部、馬見丘陵中央部の小尾根先端部に築造された山寄せの大型円墳である。 度(58年度)に発掘調査が実施されている。 墳形は円形で、直径48-60メートル・高さ約13メートルを測る。 墳丘は3段築成であるが 、山寄せのため最上段(3段目)のみが完全な円形をなす。 墳丘表面では片が認められるが、原位置を保つものはなく、墳丘表面の化粧のため他古墳から取られたと推測される。 主体部の埋葬施設は両袖式ので、南方向に開口する。 石室全長17. 1メートルを測る、奈良県下では最大級の大型石室である。 石材にはの巨石が用いられ、石室の玄室内には刳抜式家形石棺1基・組合式家形石棺1基(非現存)が据えられる。 両石棺とも盗掘に遭って大きく破壊されているが、発掘調査では石棺の周囲や羨道部から多くの副葬品が検出されている。 この牧野古墳は、後期の末葉頃の築造と推定される。 馬見古墳群では数少ない横穴式石室を有する古墳であるとともに 、墳丘の規模・石室の規模・副葬品の豊富さは当時として優れた内容を示す古墳になる。 被葬者は明らかでないが、第30代のに比定する説が有力視される。 古墳域は(昭和32年)に国のに指定されている。 現在では牧野史跡公園として史跡整備され、石室は立ち入りが制限されているが毎年一時期に公開されている。 来歴 [ ]• (32年)6月19日、国のに指定。 度(昭和58年度)、史跡整備に伴う発掘調査(、に報告書刊行)。 埋葬施設 [ ] 石室 玄室 中央に刳抜式。 主体部の埋葬施設としては墳丘2段目に両袖式が構築されており、南方向に開口する。 石室の規模は次の通り。 石室全長:17. 1メートル• 長さ:左側壁6. 73メートル、右側壁6. 7メートル• 幅:奥壁3. 3メートル、玄門3. 2メートル• 高さ:4. 5メートル• 裾部:左裾長さ0. 7メートル、右裾長さ0. 74メートル• 長さ:左側壁10. 24メートル、右側壁10. 7メートル• 幅:玄門1. 8メートル、羨門1. 77メートル• 高さ:玄門2メートル、羨門2. 2メートル 石室の石材にはの巨石が使用される。 石室の側壁は持ち送りによって構築され、石材の隙間には粘土が詰められる。 石室の床面は礫敷で、その下に排水溝が設けられる。 排水溝は玄室の壁面付近を巡り、玄門付近で合流して羨道を通って石室外に出る。 また開口部には閉塞石が残存する。 石室構造は()と同じ設計になるとされ、同古墳は真の陵とする説が有力であることから、皇室に関わる石工集団による築造とする説がある。 石室の玄室内には刳抜式1基・組合式家形石棺1基の計2基が据えられる。 刳抜式石棺は奥に、組合式石棺は手前に位置する。 それぞれの内容は次の通り。 刳抜式家形石棺(奥) 奥壁側において、石室主軸と直交する方向に据えられる。 組合式家形石棺(手前) 奥棺の手前において、石室主軸と平行する方向に据えられる。 盗掘により完全に破壊され、細片のみが確認されている。 これら2棺は同時埋葬と推測される。 2棺とも盗掘に遭っているが、発掘調査では石棺の周囲や羨道部から多くの副葬品(後述)が検出されている。 山梔玉(左)・ガラス玉(右) 附属博物館展示。 石室は盗掘に遭っているが、発掘調査では多くの遺物が検出されている。 奥壁と刳抜式石棺の間• 馬具 - 杏葉、鏡板、辻金具、飾り金具、引手金具、障泥縁金具など。 銀装大刀• ガラス小玉• 右側壁と組合式石棺の間• 馬具 - 辻金具、飾り金具など。 鉄鏃 多数(200本余り )• 須恵器 - 甕片、蓋坏。 金銅製山梔玉• 玄門付近• 大量の朱 - 組合式石棺から出されたものか。 ガラス粟玉 多数(13,000個以上)• 折れ曲げられた鉄刀• 須恵器 多数 - 原位置を保つ。 木製容器• 木心金銅椀• 馬具 - 雲珠、杏葉、障泥金具、磯金具、壺鐙。 盗掘の際に移動されている。 石室前庭部• 馬具片• ガラス玉• 滑石製臼玉• 須恵器 遺物整理によれば馬具は2組あったとされる。 横穴式石室については黄泉の国神話の舞台とする説が知られるが、本古墳においても玄室の石棺付近(元々は石棺上か)で検出された桃が対応するものとして注目され、羨道の容器群は黄泉の国における死者の食べ物と推測される。 被葬者 [ ] 35 ( 37 斉明天皇) 36 牧野古墳の実際の被葬者は明らかでないが、 (おしさかのひこひとのおおえのみこ)に比定する説が有力視されている。 押坂彦人大兄皇子は第30代の第一皇子で、当時皇位の有力候補としてら反に擁立されたが、途中で歴史から名を消した人物である(一説ににより暗殺)。 本古墳を押坂彦人大兄皇子の墓とする確かな資料は欠くが、本古墳に比定する説では所在地の『延喜式』の記載との対応、築造時期、墳丘規模、石室規模が根拠とされる。 文化財 [ ] 国の史跡 [ ]• 牧野古墳 - 1957年(昭和32年)6月19日指定。 現地情報 [ ] 所在地• 馬見北8丁目(牧野史跡公園内) 交通アクセス• (近鉄) から、奈良交通バス(馬見北1丁目行き)で「馬見北9丁目」バス停下車(下車後北東へ徒歩約3分) 関連施設• 附属博物館(畝傍町) - 牧野古墳の出土品等を保管・展示。 『飛鳥発掘物語』扶桑社、2004年、pp. 43-45。 『飛鳥発掘物語』扶桑社、2004年、pp. 40-42。 参考文献 [ ] (記事執筆に使用した文献)• 史跡説明板(広陵町教育委員会設置)• 牧野古墳パンフレット(広陵町教育委員会事務局文化財保存課、2018年)• 北村文治 「押坂彦人大兄皇子」、 戸原純一 「成相墓」(押坂彦人大兄皇子項目内)。 「牧野古墳」『 30 奈良県の地名』、1981年。 刊行後版(収録)、2006年。 河上邦彦「牧野古墳」『』、1989年。 関連文献 [ ] (記事執筆に使用していない関連文献)• 『史跡牧野古墳(広陵町文化財調査報告 第1冊)』編、広陵町教育委員会、1987年。 『史跡牧野古墳(広陵町文化財調査報告 第1冊:復刻版)』奈良県立橿原考古学研究所編、広陵町教育委員会、2005年。 関連項目 [ ]• - 押坂彦人大兄皇子の子の茅渟王の墓か。 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 - 国指定文化財等データベース()• - 広陵町ホームページ.

次の

いて が み ばく

概要 [ ] 中国で「獏(貘)」は古くから文献に見えるが、どんな動物であるかについては文献によって一定しない。 『』釈獣には「白豹」であるといい、『』には「熊に似て黄黒色、蜀中()に住む」(『爾雅』疏に引く『』も同様だが「白黄色」とする)であるという。 『爾雅』の注には「熊に似て頭が小さく脚が短く、黒白のまだらで、銅鉄や竹骨を食べる」とあり、を指したようである。 『説文解字注』でも「今も四川省にいる」とあるので、やはりパンダである模様。 後に、白黒まだらであることからと混同され、また金属を食べるという伝説が大きく取り上げられることになった。 『』にも引かれている「貘屏賛」序によると、鼻は、目は、尾は、脚はにそれぞれ似ているとされる。 中国の獏伝説では悪夢を食らう描写は存在せず、獏の毛皮をやに用いると疾病や悪気を避けるといわれ、獏の絵を描いて邪気を払う風習もあり、代にはに獏が描かれることもあった。 こうしたが日本に伝わるにあたり、「悪夢を払う」が転じて「悪夢を食べる」と解釈されるようになったと考えられている。 『後漢書』や 『』の注に 伯奇(はくき)が夢を食うといい 、これが獏と混同されたとの説もある。 なおこの「伯奇」を「莫奇」と書いてある文献もあるが、江戸時代の小島成斎『酣中清話』の記載を孫引きしたもののようである。 日本の末期には、獏の図や文字は縁起物として用いられた。 に良いを見るためにの下にの絵を敷く際、悪い夢を見ても獏が食べてくれるようにと、船の帆に「獏」と書く風習も見られた。 江戸時代には獏を描いた札が縁起物として流行し、箱枕に獏の絵が描かれたり 、獏の形をした「獏枕」が作られることもあった。 中国の聖獣・と混同されることもある。 のにあるも、本来は白澤の像とされている。 近年のフィクションで獏もしくはそれをイメージしたキャラクターが悪役として出る場合は、伝承とは逆転して良い夢を食べて絶望に追いやったり、悪夢を見せたりすることが多い。 実在の動物との関連 [ ] バク科の哺乳類のは、この伝説上の獏と姿が類似する事から、この名前がついた。 このことから、古代中国にはバク()が生息しており、後世において絶滅したがために、伝説上の動物・獏として後世に伝わった可能性も否定はできない。 なお古代中国においては、他にも()ややや()が生息しており、の野生ゾウの個体群を除けばその後に絶滅している。 またのモデルとなったはである。 脚注 [ ] []• 荒木達雄「」『東京大学中国語中国文学研究所紀要』第9号、2006年、 1-22頁。 『』巻22・貘屏賛序。 「貘者、象鼻・犀目・牛尾・虎足、生南方山谷中。 寝其皮辟温、図其形辟邪。 135• , p. 479. 259-261• 「伯奇食夢」• 等『』巻14・太常寺。 「伯奇食夢」• 142• 小島知足. 貘食夢. (古典籍総合データベース) 参考文献 [ ]• 『図説・日本未確認生物事典』、1994年。 『日本俗信辞典 動・植物編』、1982年。 日野巌『動物妖怪譚』下、〈〉、2006年(原著1926年)。 編著『日本妖怪大事典』角川書店〈Kwai books〉、2005年。

次の